2010年8月28日

Liquid Fiction 発売のお知らせ

よっつです。

先日、僕と工房員・アヅマさんであの有名芸能リポーター・梨元勝さんの取材に同行しました。
以下はその時の模様の一部なのですが…。



ご覧の通り、予期せぬ事故のため予定されていた取材は中止されました。
その時、本来であれば取材する予定だった地下アイドルのDVDが、明日、7月21日にリリースされます。








『Liquid Fiction』

出演:菅谷美穂 木嶋のりこ 神出サヤ
    山口森広 高澤靖宏 三好謙人 湯田昌次(劇団ソコソコ)
    勢登健雄(ツィンテル)  梨元勝(特別出演)
    平八郎Funk Z オグラミツヒロ 井上智之(ばいそん) 太田大輔 
    ほか

監督:棚田清
脚本:我妻正清・棚田清・吉村真悟 
助監督:吉村真悟  
編集:小川馨 
制作:関根信裕 
A&R:越智和樹
プロデューサー:中島純(ポニーキャニオン)
製作総指揮:Orz-s

制作:フォノビジョン
製作/発売元:Liquid Fiction製作委員会
販売元:ポニーキャニオン

予告編:




ご購入はこちら:
 Liquid Fiction-ちぇり~★腐ぁ~む- 特別版

 Liquid Fiction-ちぇり~★腐ぁ~む- 通常版



彼女達「ちぇり~★腐ぁ~む」は実在する、いや、実在していたグループであります。
先週メジャーデビューCD「Liquid Fictions」も発売されております。

 Liquid Fictions[CD]

ですが、諸般の事情により、上記DVDの発売を以って解散が決定いたしました。
このDVDはCDの特典映像として、メジャーデビューに到るまでの彼女達の足取り、そして解散の真相が記録されたものです。

四方山話は数え切れない程あるのですが、それはまたの機会に譲るとして、ここでちょっと一発ぶっておこうかと思います。
このDVDに関しては観ない人が損をします。
これ程強気な告知をするのは多分初めてですが、これを観て「つまらない」という印象を持たれても「じゃあセンスが合わないんだね」の一言しかありません。
おそらくレンタル店にはほとんど出回らないと思いますが、騙されたと思って購入してみてください。全力で騙しますので。
最後に念のため、この物語はフィクションです。途中までは。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#よっつ|よっつの日記|コメント・トラックバック(0)

2010年8月28日

旅行に遺稿

こんばんは。我妻です。

かつてみうらじゅん氏を取材した際に、MJは「僕は自分のことをたまたま日本に駐日しているだけの人だと思っています。ゆるキャラやとんまつりもその一環であって、人様の文化を駐在視点で見ているだけなんですけどね(笑)」と言っていた。
それ以来、僕もMJほどではないにしろ、旅行でどこかを訪れた際には、極力フラットに、「この光景は世界のどこかにあった光景であって、たまたま今日僕はこの光景を目にしただけなんだろうな」と思うようになった。もちろん、そこには感動や衝撃といった感性を揺さぶる要因に溢れているし、何かしらの催しがある際はあらかじめ調べていったりするわけで、“完全に”客観視をして旅先を訪れることは不可能ではあるものの……。
『当たり前のことを駐日大使のような趣で考えてみる』というのはとても面白い発想なので、ぜひ諸兄姉にもオススメしたい。人は誰しも何かしらの親善大使であるかもしれないのだ。
さて。あれこれ色々と紹介したいものがあるのだが、今回僕は、故郷・北海道のいくつかの断片についての魅力を簡単ではあるがお伝えしようと思う。

①野付半島について



地図をご覧になっていただければお分かりのように、釣り針のような形をしている日本最大級の砂嘴である。バカリズムのネタではないけれど、有事の際に北海道をハンガーのように吊るすとすれば、(全体のバランスから鑑みるに)野付半島か長万部(おしゃまんべ)のどちらかに票が二分されるのではないかと思う。野付は静水域に堆積した漂砂の陸地であるため、渡島半島の付け根に位置する長万部のほうが強度では勝るものの、1つ上のオシャレを目指すならボトムのベルト通しにキーリングのように野付半島を吊るすことを推奨したい。その際、漂砂への増強材料は、北海道ホームセンターの本丸『ホーマック』でお求めいただければ幸いである。

野付半島は5分の4くらいまで車で進入することができ、末端までは徒歩移動となる。囲まれる形で存在する野付湾には立ち枯れたトドマツの残骸が湿原上に立ち残る『トドワラ』という光景が広がり、対岸の根室海峡には曇っていても国後島をはっきりと望むことが出来る。



来訪者はアシッドなトドワラと、プリズン感漂う国後島に挟まれる形となり、否応なく孤独感に押しつぶされること請け合いである。国後島を背景に写真を撮るにしても、『近くて遠い国後島』というキャッチコピーの看板を含めた政治的背景のほうが鮮明にあらわれてしまい、ここが観光地であることを心から忘れ去らせてくれる仕様となっているので注意が必要だ。ちなみに、その磁場に侵されたのか僕の表情は拉致被害者のような灰燼としたものになってしまったため、ここにその写真を載せることを自粛させていただいた。国後島のみの写真でご容赦願いたい。

砂嘴に進入する道は『フラワーロード』と呼ばれており、季節と天気さえ都合がつけば、まるで天国の入り口のように美しくも奇怪な光景に出会えるだろう。



しかしながら、写真の通り天候が急変し、右半分が集中豪雨、左半分が陽光というアシュラ男爵、または、清水アキラの谷村新司と研ナオコのモノマネのような光景になってしまい、僕は無意識のうちに親指を隠してしまう、霊柩車を見たときのような感覚に陥る有様であった。本来は荒涼とした風景にひとかどの植花という癒し効果があるはずなのだが、砂嘴に落水する容赦ない雨粒に加え、何百メートル区間おきに設置される
『北方領土還せ!!』という看板ならびにメッセージの強力なコラボレーションが、なにか鮮烈な巨大儀式を仕掛けているように思えるだけで、そのプログレ感たるや“陶酔”の一語に尽きるものがあった。そのためフラワーロードのフラワーとは、植花ではなくヒッピー的意味のフラワーなのではないかと、本気で思ってしまったのも、決して飛語にはならないと思うのだが、いかがだろうか。

雨が晴れると写真のように虹がかかったのだが、国後島方面にかけて描かれたプリズムは、まさに実写版PINK FLOYD『The Dark Side Of The Moon』(邦題:狂気)としか形容できない光景である。アルバムのあの三角形は国後島だったのだ。





ご自身のDark Side Of The Moonに触れてみたい折は、
ぜひ野付半島へ。
北海道にしかない素晴らしき世界を体験してみてはいかがだろうか。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#aduma masakiyo|アヅマ日記|コメント・トラックバック(0)

2010年8月9日

真夏の怪談話

『怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである』



上記は数あるニーチェの名言の一つです。有名なので知っている人も多いのではないでしょうか。それにしても、素晴らしく的を射た表現です。願わくば原文で理解したいと思っているほどです。皆さん、いかがお過ごしですか。我妻です。

先日、海浜幕張まで用事があったので、京葉線に久方ぶりに乗りました。舞浜駅では、夏休みとはいえ、平日にもかかわらず多くの名もなき人々が下車していきました。高校生カップル、ママさん連中、北関東の亜人間、特徴がないのが強いて言えば特徴です的凡人の方など沢山の異邦人が、夢の国へと吸い込まれて逝くのを見て、僕は何故だろう? ギシギシと歯軋りを奏でておりました。きっと心の優しいチビッコが僕をみたら、「ねぇ見て、ママ。なんであの人、泣いてるの…?」と呟いたことでしょう。そしてママから、「あんなウ●コ、見ちゃいけません!!」と怒られることでしょう。



この世は「対」になっているのだから、僕は当然のように帰りも、海浜幕張から東京に向かって京葉線で帰ってこなければなりませんでした。僕はいつもここで「怪物」を見るのです。深淵を覗いてしまうのです。ご存知の通り、京葉線は八丁堀駅を過ぎたあたりから地上に出ます。その逆である上り電車に乗るということは、八丁堀手前から車体は土中へと滑り込んで消えてゆくのです。

ディ●ニーランドで、カルマを殺ぎ落としたハッピーな人たちを、舞浜で大量に積載して地下に潜る京葉線の上り電車は、下りのそれに比べて明らかに『重い』。正&陽のエネルギーを積んだ車内は、ドラゴンヘッド1巻の修学旅行に浮かれる風景に似た多幸感に包まれている。そこにひたすらi-Podにスラッシュメタルを突っ込んでいるような僕が同居する。“風邪気味なので少し調子が悪い”と思う込むことにした僕は、ミッ●ーの帽子を被る輩全員のケツに、プラグを差し込みBOZE製アンプと繋げて「Welcome to fun land!!」と叫んでやりたかったのだが、「怪物」が僕を覗いてそれどころではない。



前述したとおり八丁堀手前から地下に潜ることで、車窓には闇しか広がらない。何も見えないその闇を覗くと、怪物が浮かび上がってくる。そいつはいつも僕とソックリの顔をしている。僕。自分の姿が暗闇の車窓に浮かび上がる。驚くようなパッとしない、苦虫を噛み殺したかのような顔が闇に浮かんでいるのです。僕はこんな戦後まもない人間みたいな面をして、つり革を握って…いや僕が握っているのは…つり革じゃなくて蜘蛛の糸!? ちがう、これは最後の理性を掴んで…もしかしたら人間の腕?!…ざわざわ…俺の負け?! 武田勝頼になっちゃった?! そんなたいして意味のない(というか意味の分からない)幻術に惑わされながら、暗闇に浮かぶ自分を凝視する。八丁堀からの一区間を、panic&idiotな感覚で怪物の名を借りた化け物と対峙するはめになる。京葉線に乗ると、ほとんどこうだ。

誰が設計したかわからないですが、ディ●ニーランド最大のアトラクションは「八丁堀~東京」間にこそあるのです。舞浜で乗車した方々は、この化け物たちを鑑賞して御覧なさい。一瞬にして夢から覚めることでしょう。ユダヤの格言で「妻を選ぶときは階段を一歩降り、友を選ぶときは階段を一歩上がれ」というのがありますが、土中深くにある京葉線のホームまでと続く、あの階段数はまさにユダヤの格言を暗喩しているかのようです。あの階段は「魔」そのものであり、僕は毎回あの階段が現代版「黄泉比良坂」としか思えません。怪物は目の前に。しかしながら、闇でしか見ることが出来ない。だから、怪物なのです。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#aduma masakiyo|アヅマ日記|コメント・トラックバック(0)

2010年8月6日

Squad number eight

文体診断というものが流行っていると聞いて、やってみた。
5000字以内の文章をフォームに入力して診断ボタンを押すと、自分の文体は過去から現在まで数多居る作家や著名人の中で誰に一番近い文体であるかを診断してくれるものらしい。



試しに最近の日記の中から、一番日記ぽい記事を入力してみた結果、こんな感じになった。


(画像クリックで拡大します)

1位:松本幸四郎 … 読んだ事無い、てか何代目を指してるんだ。
2位:小林多喜二 … 頭の中から「プロレタリア! プロレタリア!」という歌が
3位:猪瀬直樹  … こちらも存じ上げませんでした。



では本日のメインイベント。現在個人的に翻訳しているチャック・パラニュークの本の訳文を入力してみた。結果、こんな結果に。


(画像クリックで拡大します)

1位:浅田次郎  … 「鉄道員」の人ですが、元自衛隊員とは知らなかった。
2位:小林多喜二 … いよいよプロレタリア臭が離れなくなってきた。
3位:直木三十五 … 小説家、脚本家、映画監督とマルチな方だったらしいですが、存じ上げず。

ここでチャック・パラニュークと出てくれば、喜び勇めたものを。


最後に、今仕事で書いている企画書の文章を入力してみると、以下の結果になった。


(画像クリックで拡大します)

1位:石原莞爾  … 軍人さん。満州事変の首謀者だそうです。
2位:中曽根康弘 … 第71~73代内閣総理大臣。
3位:麻生太郎  … 第92代内閣総理大臣。



どういう仕組みで診断が行われているかはわからない。だがやはり無意識の内に、目的に合わせて多少なりとも文体を変えている事はわかった。
総合的には、プロレタリア的な立場に居るお堅い人って感じなのだろうか。
好きな作家さんの名前がひとつも出て来なかったのが悔しいところではある。

暇潰しに皆様もどうぞ。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#よっつ|よっつの日記|コメント・トラックバック(0)

2010年8月3日

アーバン・レジェンドX

先日の日記の続きとなっております。


よっつです。

今年の4月にリリースされた「『超』都市伝説」の続編、「『超』都市伝説X」が7月30日にリリースされました。



「『超』都市伝説X」
2010.07.30 レンタル開始
詳細はこちら

お陰様で前作は好評のようです。有難うございます。

今回の見所は、やはり神戸のUFO・スカイフィッシュ専門家の方へ行った取材ではないでしょうか。
収録された素材は一見の価値ありです。

そして前作から続き物となっている「樹海の悪霊」、果たして僕ら取材班を待ち受けているものは何なのか…。
と、こちらも皆様の目でお確かめ頂きたいです。

前作同様、街のビデオ屋さんに行けば並んでいると思います。
8月に入って暑さも本格的になってきた今日この頃、是非是非この作品で涼をとってみて下さい。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#よっつ|よっつの日記|コメント・トラックバック(0)

2010年7月17日

傑作『ハウルの動く城』

宮崎駿監督作品は、さまざまな見方が出来る。あくまで以下の総評は、僕個人の視点に特化しているため、批評とも戯言とも受け取っていただいて結構だ。その上で、『ハウルの動く城』は、宮崎アニメでも屈指の名作であると声を大にして言いたい。

では、何が傑作たらしめるのか?
まず特筆すべきは、「動く城」という舞台装置があまりに秀逸であったということだ。一つの扉がタイムトンネルとなり、時空を越える。この映画は≪巨大な密室劇≫といっても過言ではない。「ハウルの動く城」を舞台に、時空が変わるという仕掛け・・・これは何かに似ている。そう、能の舞台にソックリなのだ。場所や状況が変わるのではなく、時間が過去から現在、そして未来に飛び交う「複式夢幻能」の世界にピタリと当てはめることができるのだ。

動く城の扉が、「橋掛かり」的な意味合いを持っていることも意味深だ。老いたソフィーと若いソフィー、獣人化したハウルと美青年のハウル、老人に化けたマルクルと普通のマルクルなど、時空を越えた姿で扉を行き来するのは、橋掛かりの来迎的メタとしか思えない。

そして何ゆえこの物語から「能」的なメッセージを感じたかといえば、人の「思い」=人の「呪い」という中世の呪術的偏愛傾向が強烈ゆえだ。小野小町を偏愛するあまり、深草少将は彼女に呪いをかけ、結果狂い老いてゆく「卒塔婆小町」。1人の若い女が評判の寺の鐘に偏執的興味を持ち、挙句、その鐘の中に閉じ込められ大蛇へと変貌する「道成寺」。これらを筆頭とした能の名作といわれる作品にも通ずる、ソフィーをはじめとした登場人物の「思い」は、やがて「呪い」となり、自らの姿さえ変えてしまう。「ソフィー」「ハウル」「魔女」は、まさに日本中世的な偏執愛にかられた≪救われない魂≫以外のなにものでもない。日本中世における魔法とは「呪い」、すなわち、人の「思い」なのである。この偏愛を、巨大な密室である「動く城」という舞台装置だけで、夢幻能的に一切の説明も無駄もなく描き出す。これほどピュアでドロドロな偏愛群を、一つの舞台に錬金術的に閉じ込めたというのが信じられない。これはもう、公開当時世間でもてはやされていた”片思いをキレイに描いた「ハチミツとクローバー」“に対する駿からのアンサームービーとしか思えません。

日本の「能」のような時空をこえる劇というのは、世界中世を見渡しても、日本しか行っていなかったくらい、超斬新でエキセントリックな世界なのです。他の国がようやくこの舞台装置に気が付き、まともな演劇としてスタートさせたのは、近代国家以降。そしてそれはカフカの現代劇が、近代国家では初めてと言われているはず。カフカもまた「変身」「審判」など、舞台が変わらず自分が変貌してゆく世界を描き出した巨人の一人であった、ということは今更いうまでもないでしょう。つまりこの「ハウルの動く城」は、(能的な意味も含めた)「変身」というテーマとも、切っても切れぬ関係であるというわけなのです。

能ではその思いが成就すると、その呪いが解ける、もしく天に召すケースが多い。ソフィーやハウルが、ラストシーン近くから、何の説明・理由もなしに、普通の姿に戻っていることに、意味が分からなかった人も多いのではないでしょうか。しかし、上記のように、思いが成就すると同時に姿が≪元に戻る・救われる≫能の世界においては、このハウルのラストシーンは至極納得のできる自然な呪いの解け方であったと、僕は思う。その演出のために「戦争」といういかにも映画的な山場を、唐突に盛り込まざるを得なかったのは、個人的にあまり好きではないが、近世以前とは常に戦争の歴史でもあるわけだから、それも情状酌量の余地があるところだろう。

さらに白眉と云わざるをえない演出は、「動く城」が舞台装置としての機能を果たすとともに、移動装置としての役目もはたす「箱庭」であったということだ。ゴミ屋敷でしかなかった城が、ソフィーが移住し、城がキレイに掃除され、そしてあろうことか魔女と犬が住人として増えるという箱庭感。極めつけは、住人の誰一人として、まともな人間がいないという終末観。痴呆のフリをする老獪な魔女には、まんま「幸楽」の赤木春江をキャスティングしたいくらいだし、ソフィーは泉ピン子でなんら問題ない。宮崎駿的な現代社会への変態メッセージも随所に散りばめられ、ユーモアとアイロニーのバランスも絶妙。しかしながら、この「動く城」での狂騒的行動(逆噴射家族的行動)が、何故かアットホームに素敵に思えてしまうから不思議だ。そこが宮崎駿が稀代の監督たるゆえんだと思う。(ラストシーンのボロ板に案山子が加わる構図は、襖絵を見ているかのような静的躍動感に溢れていて本当に素晴らしいカットだと思う!!)

最後に、この映画は久石譲作曲のテーマ曲がほぼ繰り返しでいろんな場面で使用されている。3拍子のワルツであろうこのテーマ曲。ツー・チャッ・チャッ×∞という心地よいリズムは反復しそのままに、だんだん起伏を増していく。能的な舞台装置はそのままに、時空が、状況が起伏を増していくこの物語に、いかにもピッタリだということも偶然の一致ではないような気さえする。いやはや恐れ入ります。

僕の感じ取ったことはたまたま偶然であり、宮崎駿監督が意図したものとどれだけ重なっているのか謎だ。しかし、僕から見ればこの作品は、完全に複式夢幻能だった。それでいて純粋に面白かった。「もののけ姫」や「千と千尋」のような、無理やりストーリー性を持たせた感じの堅苦しさや、飲み込み易いように液化したかのような甘ったるさもない。夢幻のなかで繰り広げられる物語は、当然、展開も夢幻の如くなり。それをアニメという異形に転化してしまう発想と手腕。アニメでありながらここまで感情を扱うという試み。これほどまでに宮崎駿のパラノイドが、文字通り成就した作品はないのではなかろうか。
『ハウルの動く城』に対しては常に微妙な評価ばかりを目にしますが、僕のなかでは、畏怖の念すら抱かせる”日本の中世と西洋の中世が融合した傑作劇”です。その思いもまた、物語同様、偏狂的に抱き続けていくことになるのだと思います。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#aduma masakiyo|アヅマ日記|コメント・トラックバック(0)

2010年7月3日

身の毛のよだつ中間報告

よっつです。
夏といえば怪談。というわけで、チャック・パラニューク著・「Haunted」を、仕事の合間を縫って、大体半分位まで読み進めた。

Haunted (著)Chuck Palahniuk


怪談集だという触れ込みで読み始めたものの、相変わらずそうとは言い切れない、微妙なところを突いて来る。

洋書を読むのは2冊目で、作者も同じではあるが、読みやすい英文と読み難い英文というのはあるのだなあと痛感。というのも、今回の基本設定は「作家のワークショップに集まった17人の男女が互いに奇妙な話を語り合う」というものなのだ。前回悩まされた各種専門用語は、登場人物が多い分濃度が薄まっているものの、それぞれが物語を話す際の口調、あるいは筆致がバラバラで、人物によっては凄く読み難い。
全国100人位の、さらに原書をもう読んでいるとなると65人位に減ってしまうだろうが、その人達にだけわかる書き方をすると、登場人物のひとり、ミス・アメリカ(頭の軽そうなブロンド娘)はかなり手こずった。正直かなり怪しい訳し方しかできていない。
あとはどうしても判断付かなかったのがディナイル署長? 局長? 彼女の職業だ。公務員だという事まではわかるが、結局「county」が何を指すのかがどうしてもわからないでいる。

とまあ、本当に読んでる人しかわからないとは思うが、このまま続ける。自己満足で良い。取りあえず今まで読み切った各話について2言3言、感想を書いてみる。尚、各話タイトルの日本語は僕の付けた勝手な邦題、英語が原題である。後に付けるのは、作中の語り手の名前(これも勝手訳)とする。



●「はらわた(Guts)」聖ガットフリー
独創的なオナニーを追及した3人の少年の3様の顛末。
やはり前評判の高さ通り、頭ひとつ抜きん出ている印象。あちらの朗読会では失神者が続出したというこの話、本当に当時社会現象になったらしく、英語版ウィキペディアにはこの話単体で特記項目になっている程。調子に乗ったニューヨークの学校教師が生徒に読ませて停職処分を受けたとか、当初この短篇と別の作品を一緒にして出版する計画だったものが、その別の作品がさらに「問題作」という理由で出版社からNGを喰らったとか、そんな話が書かれている(そっちも気になる!)
並の人よりもホラーに慣れていると思しき僕が、話の中に登場する「ある食べ物」について、しばらく食べるのを想像しただけで気分が悪くなった。
※この話だけは、タイトル・人物名共に「ミステリマガジン 2005年6月号」に掲載された柳下毅一郎訳版を引用させて頂きました。


●「足捌き(Foot Work)」マザー・ネイチャー
風水、アロマテラピー、そしてリフレクソロジー。こういったニューエイジな文化の禁じ手を使った裏稼業のお話。
必殺仕事人みたいな感じ。知り合いのエステティシャンに是非真偽の程を確かめてみたい。


●「楽屋にて(Green Room)」ミス・アメリカ
TVショッピングの商品説明で各地を渡り歩く人々の織り成す、滑稽な恋の話。前述の通り読み辛く、正直把握できてない気がする。


●「スラム街遊山(Slumming)」レディ・バッグレディ
暇を持て余した金持ち達の悪趣味な遊び、それはホームレス体験。
実際、「slumming」という単語がある位だから、行為としてはよくある話なんだろうか。


●「最期の言葉(Swan Song)」スランダー伯爵
ひょんなきっかけでかつての有名子役と出会ったジャーナリストが、そのインタビュー記事を新聞社に売り込もうとした末に…。
話として目新しさがあるわけではないが、切なくてたまらなくなった。今のところ「はらわた」に次ぐ印象。


●「犬年齢(Dog Years)」ウィッティア氏
ある老人ホームに入所している、見た目に相応しくない若々しさを保ったひとりの老人の秘密とは。
予想できない展開で、非常に面白かった。この作品のヴィランと目される、ワークショップの主催者・ウィッティア氏のふてぶてしさと共に痛快な1話。「奇妙な話」分野の中では「はらわた」と双璧をなしている。


●「野心の的(Ambition)」ヴァンダル公爵
芸術家として名を成すために行ったいたずらで、とある美術評論家に目を付けられた画家が、さらなる躍進のため評論家の言うがままに一線を超えて…。
前作「Diary」にも繋がるお話も入っていて、また美術業界の端っこの方をかすめている感じの僕としても「ありそう」とわくわくする話だった。読後感は「グリーンマイル」っぽい。


●「編集作業(Post-Production)」クラーク夫人
生活に困窮したある夫婦が、一攫千金を夢見て2人でポルノビデオを撮影しようと目論むが…。
「主観と客観のギャップは大抵の人を死に至らしめる」という言葉は、凄く共感する。


●「エクソダス(Exodus)」ディナイル局長
児童虐待の被害者達の事情聴取に使われる精巧な人形と、それを購入した独り身の総務の女性にまつわるお話。
用いられる要素はろくでもないものばかりなのに、どうしてこう、感動的なお話になるかなあ、と唸ってしまった。勿論良い意味で。ラストなんて、アメリカン・ニューシネマの臭いがするもの。


●「パンチドランカー(Punch Drunk)」ゴッドレス牧師
豪華な旅客機の中で目を覚ます男、だが酷く殴られたらしく、状況が飲み込めない。果たして彼はどうしてここに、そして飛行機はどこへ向かっているのか…。
これもまた切なさに胸が締め付けられるお話。ラストでフィルムが尽きる時のハレーションが見える位ぐっと来たが、「サバイバー」以上に映像化が無理だと思う。クリティカル過ぎて。


●「儀式(Ritual)」マッチメイカー
小さな頃から家族の間で通じていた、意味も無く笑える言葉の、おぞましい由来とは。
ある有名な都市伝説in世界大戦という感じ。子供の頃から触れていて何も疑問に思わなかった事柄の意外な事情、というネタは結構好きだ。


※因みに語り手達の名前はオフ会で使われるハンドルネームみたいなもので、実際に伯爵だったりするわけではない。「スーパーヒーローとは真逆の、過去の罪に因んだ名前」で、各話の前には人物紹介を兼ねた詩が披露される。



冒頭、エドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」より抜粋されたこんな一文が載っている。



「そこには非常に美しく、でたらめで、奇妙な、怖ろしい、少なくとも嫌悪感をかき立てるものがあった」
(糞訳)


おそらくこれが今作を象徴するニュアンスなのであろうが、今のところ、これをパラニュークがやるとさらに「滑稽さと切なさ」が加わるのだなあという印象だ。

また、並行してワークショップの模様も描かれるのだが、勿論単なるワークショップであるはずがなく、また参加者達の野心も絡み合った挙句、普通じゃない状況に叩き込まれている。その先行きも気になるところだ。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#よっつ|よっつの日記|コメント・トラックバック(1)

2010年6月29日

毒眼鏡

こんばんは。

サッカー日本代表、思わぬ快進撃が続いて今日の夜もあちこちでアニバーサリーベイビーが十月十日後に生まれてくるのではないでしょうか!? 皆さん、いかがお過ごしですか?? 我妻です。

最近は雨ばかり降り続いていますから、皆さんも雨に濡れることに慣れてきた頃合だと思います。ですから、ここらで水を一つや二つ刺しても、さしてお変わりなどないものと存じます。

月形半平太じゃないですけど、「春雨じゃ濡れてまいろう」、あの台詞くらい寛大な気持ちで、以下を追っていただければ嬉しいです。

要するに毒眼鏡です。
なんなんですか?? この手のひら返しは。
どこの劇的BEFORE/AFTERなんでしょうか。
「まぁ、なんということでしょう! 匠は毒眼鏡の評価を一変させてしまったのです!」

嘘でも日本が元気になるような快進撃。
それそのものはすばらしいことだし、とても嬉しいです。
しかしながら喜ぶことと評価することはイコールなのでしょうか。
仮に評価するとして、それは不屈の精神で不慣れな役目を全うしている本田であったり、リーダーとして闘う集団に変貌させた長谷部であったりと各選手たちに対してでしょう。
その証拠に選手たちの口からは、「毒眼鏡さんのために」とか「毒眼鏡さんはじめ、コーチ・スタッフも一丸となって」という言葉は聞こえてこないじゃないですか(ゴールしても誰も毒眼鏡には抱きつきに行かないじゃないの)。

むしろ、毒眼鏡一人がやたらと、「控えの選手はじめ、スタッフ一丸となって」などなど、やたらと裏方の人たちを持ち上げるような発言ばかりが目立つ。これは、選手たちからも信頼されていない自己(個人)を陰陰とするがための、大将らしさを演出するカモフラージュ的発言としか思えません。個人の資本を否定する全体主義的発想といっても差し支えありません。

毒眼鏡は夢から覚めただけで、何一つ勇将らしいことはしていない。
毒眼鏡への手のひら返しほど、釈然としないものはない。
「本田カッコいい!!」というような人たちは良く考えてほしい。
本田なら、『(毒眼鏡への評価は)ごもっともだが、俺の考えは違った』と放言するのではないだろうか。
所詮、その程度のサッカー熱、もっといえば盛り上がりそのものが全体主義的なイベントであって、僕のようにこと細かく考えるほうが無粋であるというのもわかってはいる。
しかしながら、盛り上がりに乗じてコロコロと自分の意見を変える、そんなような何度も見覚えのある光景を目の当たりにすると、水を差さずにはいられない。

今、なんとなく“消費税を上げないとヤバいから上げるのは仕方ない”と思っている人って、小泉さんのとき、なんとなく“郵政民営化をしたほうがいい”と思った人たちと同じなんじゃないでしょうか。
確かにマニフェストやるやる詐欺の民主も醜いけども、自民党にnoと叩きつけて民主に投票した人たちの諦めの早さ、すなわち信託したことへの無責任さこそ呆れかえる事柄ではなかろうか。
そして民主は、『4年間は消費税を上げない』とマニフェストに記述してあるわけだから、今回の増税論は明らかに公約違反にもかかわらず、「(ギリシャみたいになるのは怖いから)消費税引き上げは仕方ない」と肝心の民主に投じたであろう人たちが心変わりしている節操のなさ。ギリシャみたいになるのが怖い…って思っている人のどれくらいがEUの何たるかを知っているのだろう。毒眼鏡への評価も同じ。つまりは、おっさん、おばさん、彼ら彼女ら、みんなサッカーも政治も同じ感覚で評価してんだよ。

もうね。この意思亡き心変わり具合は、遠藤のコロコロPK以上にコロコロだし、本田のブレ球FK以上にブレブレ。
今大会の日本のMVPは上記2選手以上に、毒眼鏡に謝罪した人たちだね。
とんでもないビッグプレーだよ。
ランパードの幻ゴール以上に、暴力的な誤審だよ。

まぁ、日本に限ったことじゃなく人間なんて単なる動物にすぎないわけだから、世界のどこにいたって大なり小なりシンプルなものなんだろう。そう考えれば、4年に1度くらいの時は…と鞘におさめたい気持ちもあるものの、支持率がドロップしたと思ったら(何もしていないのに)ホップするような不自然な人たちだからね。

「せっかくこれからパラグアイ戦だってのに、水を差すようなことばかりいいやがって! いいじゃないか、変化するのが人の心情ってもんだろ!!」
僕の意見を耳障りに思う方も多いでしょう。
そう思う人は僕を見かけたら『ブブゼラ』と是非声をかけて下さい。
その時、僕は貴方のことを『ジャブラニ』って呼んであげるから。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#aduma masakiyo|アヅマ日記|コメント・トラックバック(0)

2010年6月14日

笑ってごらん

ご無沙汰してます。よっつです。

現在お仕事でピコピコピーなので、友達から最近教えてもらった動画で「生きてるぞー」の信号を送っておこうかと思い、筆を執りました。



実は今やってる仕事と極々薄く関連性はあったりしますが…。
取りあえず3人目のおじいちゃんが最高です。
情報提供してくれたH君、多謝!

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#よっつ|よっつの日記, ダメ工房映像図書館|コメント・トラックバック(0)

2010年5月31日

「もじあるき」神楽坂編 再放送のお知らせ

ダメ工房で制作を担当した、BSフジ「Beポンキッキ」の1コーナー「もじあるき」神楽坂編が再放送されます。



放映日
2010年6月7日(月) 神楽坂編(10分)

BSフジ「Beポンキッキ」
朝7:30~8:00 (再放送 夕方5:00~)

インターネット配信
フジテレビKIDSクラブにて、各放送週の金曜〜日曜まで配信

出演
チェルシー舞花/清水優哉

内容
街を歩きながら、毎回決められた文字を探すコーナーです。
今回は神楽坂で「と」を探します。

よもやま話(前回書いたもの)
個人的には「もじあるき」の中では一番良くできたというか、集大成のような作品になった。神楽坂は子ども番組で文字を探すには難しい街だったのだが、それが逆に、試行錯誤の機会を与えてくれた。「”無い文字”をどうやって”有るようにする”のか」というチャレンジは、ひょっとしたら、ただ”そこに有る文字”を探すよりも、面白い結果をもたらしたんじゃないか、という気がする。BGMは大好きなYo La Tengo(WEB版はフリー音源ですが)を使い、ブリッジやアニメも時間をかけて作った。実写もより、丁寧に繋げたと思う。テレビ番組というのは何度も繰り返して見るものではないと思うが、何度も繰り返して見ないと気づかないような仕掛けを盛り込んだり(そういうの好きなんです)。さてどうなりますやら。

Summer Sun

よもやま話(新たに追加)
この作品を作ってから約半年後に、私用で神楽坂の街を歩く機会があった。なんとなく、「もじあるき」で歩いた道をもう一度歩いてみた。すると、いろいろなものが変わっていて驚いた。あるはずの店が変わっていたり、細かい看板の類いが違っていたり。この作品の中で出てくる、お化けが暗闇からのぞいているところは、今はもう改装が終わっている。こうやってあらためて同じ道を歩いてみて、街って変わるなあ、生きているなあと思った。そういう面白さを伝えられるだけ、続けてみたかったものだが、そういうことをやれる機会が、根拠は無いんだけれど、いつか、来るような気がしている。

この作品があまりによくできたので、これ以降の作品は、何かをしなきゃ、と力を入れてしまった。最終的にはそれが、このコーナーを続かせない遠因になっただろう。あらためて見返してみると、この作品では、仕掛けがシンプルだったのが良かったのかな。

このエントリーを含むはてなブックマーク この記事をクリップ! コメントを見る ブックマークに追加する

#Keisuke Oosato|ごろりの日記|コメント・トラックバック(0)
Page 1 of 0