2010年1月23日
こんにちは。工房員の我妻です。
先日、同窓会というものに行ってきた。厳密には、10人程度が集まるプチ同窓会とでもいおうか。僕は中学を卒業してから、なんどか引越しを繰り返してきた。当時はケイタイ普及夜明け前。小学校~中学校の旧友とのパイプはゼロに等しく、風の噂で彼らが今何をしているのかということを聞いているに過ぎなかった。
僕にとって、「一番面白かったのはいつだろう?」と振り返るとき、揺るぐことなく『小学校~中学校時代』であったと考える。そこを過ぎ去ってからは、“いかにつまらなくならないか”だけを考えて、日々生きていたような気さえする。あのときが沸点であり、あれ以上面白いものはこの世に存在していないとすら思う。全てが面白おかしく狂っていた。
今では30歳になってしまっている。中学卒業から数えると15年も会っていない。明日死んでしまったら、半生会わなかった計算になってしまう。自分を形成したであろう友人たちだが、人生の半分以上も顔を会わせていないとなると、もはやそれは疑わしきもので、本当にそこに実在していたのかも、思い出もあやふやだ。あんパンの中身は、当然あんが入っている。人生の半分以上、当たり前のようにそこにあったあんパンを食べていないとなると、やっぱり「あんパンの中身は本当にあんが入っているのだろうか?」と疑わしくなるものなのか。
そういう中で、たまたま、
小学校~中学校時代の面子と会う機会に恵まれた。
一緒の塾に通って一緒の団地に住んでいた仲の良かった友人が、美術刀剣刀匠の資格をもった立派な『刀鍛冶』として岡山で働いていることが分かった。偶然にも刀鍛冶としての彼のHPを見つけたことから判明したことだった。唯一僕と連絡網のある小学校時代からの友人が、彼にメールを送り親交が復旧した。1月は東京庵で仕事があるとのことで、だったらその時に会おう。連絡が取れて、来れそうな人間が集まるというアンオフィシャルな同窓会を開こう。
彼は同窓会の前日まで、他の刀匠と仕事をするため山篭りをしていたらしい。決して空手バカ一代ではない。その刀匠の庵が山の中にあるからということらしい。山から下りてきた彼を囲んだ旧友の数は10人程度だっただろうか。ただただ懐かしく、本当に嬉しかった。15年会っていないというのは、15年月日を重ねている。「案外、歳を取ってみるもんだなぁ」と妙に思ってしまった。
15年という褶曲した月日の稜線は霞がかり、川底を覆うように堆石した各々の15年は計り知れないし、推し量れない。色々変わっている部分もあるけど、まったく変わっていない。こうやって顔を合わせるだけでこんなにも嬉しいということが面白い。またいつ会うのか分からないけど、集まった面子のほとんどと15年もあっていなかったというのは、いまとなってはそれすらも良き思い出。
まるで蜃気楼のようだった。
朝方家に帰ってきたときは、昨日のことを“まるで昨日のことのように”思い出していた。ヘルツォークの『アギーレ』で、キンスキーが客船を人力で山越えさせるシーンがある。なぜだかあのシーンが、今はいっそう分かる気がする。
来月から個人的な今年の山場が始まる。その目前に30歳になり、旧友との連絡網が復興した。昨日の蜃気楼のなかで、僕は霞を食べることが出来たのだろうか。その答えはこれからだ。
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