2004年9月27日
今日は一段と寒い。
本や雑誌などを読んで、ボランティアについて考えた。かつてはボランティアサークルにまで入って、活動に打ち込んでいたわけだが、今はどうにも胡散臭く見える。
たとえば、アート関連のボランティアというのがはやっている。アートマネージメントという職業の人気もここ数年で飛躍的に高くなっており、とにかくアートに関わりたい、という人たちのために、アーティストの制作活動や展示などを支える場が与えられる。また、これはボランティアとは少し趣が違うのだが、ある自主映像を支援する団体は、映画やテレビ現場のADのような仕事を、半年間”タダ働き”で経験できるという「作家育成プログラム」を立ち上げている。実態はボランティア活動と一緒、である。
しかし、僕は、こういうのは、労働力に対する侮辱なのではないかと感じてしまう。一生懸命なにかに打ち込んでいる、その時間は、金銭的には「無価値」という判断だ。むろん、参加者は金銭的価値以上の経験などを積むことで、精神的満足感を得られているのかもしれない。けれど、「アート志向の若者は、それらしいことを言えば、タダで働いてくれるから、ラッキー」という、権益者の怠慢な思考に、踊らされているだけなのかもしれない、と僕は思う。
やはりボランティア活動の原点は、強から弱へ、富から貧へという構造が基本なのだと思う。ボランティア精神の祖とされるシュバイツァーは、自分を兄、助ける相手を弟ということで接していた。そのことに対する批判もあるというけれど、僕はその関係は自然だと思う。無理に対等になる必要もないし、自分が弟で、あなたは兄ですなんていうボランティアは、現実問題成立しないと思うからだ。
そういう意味でも、最近のアート系ボランティアは、弱→強に対する流ればかりが目に付く気がする。もちろん僕は本だけの知識なので、ただの想像というか、妄言なわけだが。
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