2010年3月21日

嘘の嘘のそのまた嘘

世の中には嘘が蔓延している。嘘の記憶や嘘の調書。嘘の見解に嘘の知識。そういったものが近い将来、Kindleでダウンロードできる時代になるかと思うとゾクゾクする。もちろん『楽しみ』として。

ウォーリック大学の研究者であるStuart Cadwallader氏によれば、IQが高い中高生ほど、ヘビメタをよく聴いているという。才能にあふれた中高生ほどストレス発散のためにヘビーメタルを聴く傾向があるのではないかと推測しているらしい。




とりあえず、この調査を実施したスチュワートさんの頭が“完全に悪い”ということは置いておいたとして、中高生のころからメタルを聞いている僕の見解としては、ぜんぜん頭が良くなりません。どうしたらいいのでしょうか。




メタルゴッドことJudas PriestのPVには迷作が沢山あるのですが、前半のマッスルシーンの不可解さは、さしもの才能にあふれた中高生でもクリアできないのではないでしょうか。「ホットロッキンッッン!!」といいながら焼け石に水をBukkake(ぶっ掛け)る映像は、あまりに難解すぎるテーマです。旅行などに行き、宿泊施設にサウナがある際は、僕も必ずといっていいほどやってしまいます。




森ガールなぞという言葉が世間では認知されているようですが、日本のメタルシーンではその数年前から“森メタル”という言葉が浸透していたことをご存知でしょうか? 彼らはその火付け役ともいえ、LOUDPARK06に参戦する予定だったのですが、あえなくキャンセル。このフェスティバルに参加した僕は大変残念に思っていたのですが、ANVILを見れたのは良かったです。そうです。映画『ANVIL』のラストシーンは、このLOUDPARK06だったのです。ということは、あの撮影を終えてからANVILの二人は2年間まったく売れていない状況が続いていたというわけです。ちなみに、この映画。いまだに二人にとって「メタル界の名プロデューサーはクリス・タンガリーディス」という認識が切なかったりと、所々にメタル好きでしか分からない悲哀が隠れていたりします。




見事なまでの知性のなさ! 『知性は方法や道具に対しては鋭い鑑識眼を持っていますが、目的や価値については無為です』というアインシュタインの言葉を表現しているかのようです。品格、品格と繰り返していた安倍さんに送りつけてやろうかと思えるほどのクオリティ。WASPは、この曲以外にも「chainsaw charlie」などメタル史に輝く名曲を沢山残していますので、「人は見た目で考えちゃダメ!」の典型です。

そうそう。最後に。
先日、さいたまスーパーアリーナにてACDCのライブを見てきました。




最高。

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2010年2月19日

vancouver olympic

早いものでトリノから4年が経過しました。
4年前のトリノでは、カーリングに大ハマリしてしまい、Youtubeをはじめ、方々でネタ探しに明け暮れておりました。
そんななか見つけたのがコレでした。



『人間はハマってしまうと、こんな物騒なものにまで行き着いてしまうのだなぁ』と、今の自分が過去の自分に警鐘を鳴らしている次第です。
ボードの点数が66666…(number of the Beast)ではなく、なぜ8並びなのかイマイチ理解できませんが、久々に「正統派バカメタルPV」を見た気分で、とてもほっこりしたのを覚えています。

そんなスウェーデンチーム。デュポン姉妹擁するデンマークに勝利するなど、調子はなかなかのようです。PVでノリノリのアンナさんも健在のようで、日本チームとの対戦がいまから楽しみです。
METAL IS FOREVERとはよく言ったもので、スウェーデンチームの面子が、4年前とほとんど変わっていないというのも色々な意味で驚きです。 

“氷上のチェス”などと知的なイメージが先行しがちのカーリングですが、意外とBurning!Burning!だったりしますので、みなさんもご覧になっていただければ幸いです。
説明するまでもなく僕はスウェーデンチームを応援しているため、スウェーデンチームを中心としたプログラム構成の民放キー局が、ある日突然空から降ってくればいいなぁと願ったり願わなかったり。
そんなバングーバーの日々が続いております。

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2010年2月8日

怪物

こんばんは。工房員の我妻です。

珍獣って、響きが面白いだけです。やっぱり「珍」の要素を動きやら態度やらで示してこそ、珍獣たる面白さがあると思うのです。珍獣といわれる動物が、ピクリとも動かなかったら、やっぱり興味が殺がれちゃうわけでしょ? 

むかし、リットン調査団のトークライブを見に行ったとき、そんなことを思った。普段、舞台で「シャイニングウィザード」とか「鶴田のニー!」とか飛び跳ねている人たちが普通に喋っているのを見たとき、物凄い違和感を感じてしまったのです。まったく動かない。珍獣は、動かないとただのアニマルだということに気が付いたのです。止まっていても成立するのは、そりゃ動物じゃなくて実は怪物なんだよ。

余談開始。
でも、トーク中の2時間、水野さんの左手がずっと震えていたのには好感が持てた。あれはセブンセンシズだった。ピンクフロイドの「ザ・ウォール」なんかを、あの震えと合わせてかければ最高の興ざめになるはず。舞台で震える人なんて嫌いだけど、舞台で震えない人間はもっと嫌い。
余談終了。

少し前、怪物を見た。
それはゾウでした。2月3日のこと。岡山市の池田動物園が、飼育しているゾウの「メリー」に恵方巻きを食べさせるというnews映像を見たときのことでした。その恵方巻きは、トウガンの中にシャリに見立てたサツマイモと、小松菜、ニンジン、バナナなどを入れた“2本で重さ10キロ”もあるゾウ用としてこしらえた特製のものだった。断面部分を見ると、粉々にされ散りばめられた彩り豊かな野菜が、我々が食す恵方巻きと同じようなデザインになっており、たしかにそれは恵方巻きとして遜色のない出来栄えを誇っていた。

丁寧に飼育員が、ゾウを西南西の方角に誘導し、あの長い鼻に特製恵方巻きをクルクルっと巻きつかせて、口に運ばせようとしていた。
だけど、刹那にゾウは恵方巻きを足で踏み潰すや粉砕し、地べたのうえで残飯状となったそれをムシャムシャと食べ始めてしまった。もちろん西南西なんか向いてやしない。

こいつは怪物だ、と僕は映像を見ながら思った。

「引越しのご挨拶に伺いました」と、新たに隣に居を構えることになったお隣さんから、挨拶がてら粗品を渡された瞬間、それを足で踏み潰し、箱から飛び出た何かしらの物質を凝視しつつ『わざわざお心遣いありがとうございます』と挨拶したらどうなるだろう。
どんな形であれ、“奥様は魔女”ならぬ“隣人は化け物”というソープオペラが幕を開ける。

ゾウに恵方巻きという人間の文化を押し付ける光景。口に運ぶ気配すら見せず、いきなり足で冬瓜を粉砕するゾウの動物本来の凄さを見たとき、やはりゾウは怪物なのだなぁと畏怖を感じてしまった。

カズ三浦カズ「人間も動物ですよ」(「日本も世界ですよ」的な)

ならば、ゾウからみれば、無理やりワケの分からない物体を鼻に巻きつかせられ口に運ばせようとした人間たちこそが怪物に写ったかもしれない。ムシャムシャと残飯を食い散らかす怪物・ゾウと、それを満足そうに見つめる怪物・飼育員さんたち。その中間に、バラバラと散乱する野菜たち。あれは、まるで中国とアメリカに挟まれる日本?! 気が付くと、そこには政治的ポンチ絵が完成していたのでした。

享保13年。
長崎から2ヶ月かけて江戸までゾウを連れてきたとき、東海道には多くの見物人が訪れたという。京都を通過する際には、天皇にお目通りすることとなり急遽、ゾウに従四位が贈位された(無階ではお目通りができないため)。歩いていただけなのに、従四位。ちなみに石田三成も従四位。

カズ三浦カズ「人間も動物ですよ」(「日本も世界ですよ」的な)

色々あるが、春先にゾウを見に行こうと決めた。そんな日記です。

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2010年1月23日

同窓会

こんにちは。工房員の我妻です。

先日、同窓会というものに行ってきた。厳密には、10人程度が集まるプチ同窓会とでもいおうか。僕は中学を卒業してから、なんどか引越しを繰り返してきた。当時はケイタイ普及夜明け前。小学校~中学校の旧友とのパイプはゼロに等しく、風の噂で彼らが今何をしているのかということを聞いているに過ぎなかった。

僕にとって、「一番面白かったのはいつだろう?」と振り返るとき、揺るぐことなく『小学校~中学校時代』であったと考える。そこを過ぎ去ってからは、“いかにつまらなくならないか”だけを考えて、日々生きていたような気さえする。あのときが沸点であり、あれ以上面白いものはこの世に存在していないとすら思う。全てが面白おかしく狂っていた。

今では30歳になってしまっている。中学卒業から数えると15年も会っていない。明日死んでしまったら、半生会わなかった計算になってしまう。自分を形成したであろう友人たちだが、人生の半分以上も顔を会わせていないとなると、もはやそれは疑わしきもので、本当にそこに実在していたのかも、思い出もあやふやだ。あんパンの中身は、当然あんが入っている。人生の半分以上、当たり前のようにそこにあったあんパンを食べていないとなると、やっぱり「あんパンの中身は本当にあんが入っているのだろうか?」と疑わしくなるものなのか。

そういう中で、たまたま、
小学校~中学校時代の面子と会う機会に恵まれた。

一緒の塾に通って一緒の団地に住んでいた仲の良かった友人が、美術刀剣刀匠の資格をもった立派な『刀鍛冶』として岡山で働いていることが分かった。偶然にも刀鍛冶としての彼のHPを見つけたことから判明したことだった。唯一僕と連絡網のある小学校時代からの友人が、彼にメールを送り親交が復旧した。1月は東京庵で仕事があるとのことで、だったらその時に会おう。連絡が取れて、来れそうな人間が集まるというアンオフィシャルな同窓会を開こう。

彼は同窓会の前日まで、他の刀匠と仕事をするため山篭りをしていたらしい。決して空手バカ一代ではない。その刀匠の庵が山の中にあるからということらしい。山から下りてきた彼を囲んだ旧友の数は10人程度だっただろうか。ただただ懐かしく、本当に嬉しかった。15年会っていないというのは、15年月日を重ねている。「案外、歳を取ってみるもんだなぁ」と妙に思ってしまった。

15年という褶曲した月日の稜線は霞がかり、川底を覆うように堆石した各々の15年は計り知れないし、推し量れない。色々変わっている部分もあるけど、まったく変わっていない。こうやって顔を合わせるだけでこんなにも嬉しいということが面白い。またいつ会うのか分からないけど、集まった面子のほとんどと15年もあっていなかったというのは、いまとなってはそれすらも良き思い出。

まるで蜃気楼のようだった。
朝方家に帰ってきたときは、昨日のことを“まるで昨日のことのように”思い出していた。ヘルツォークの『アギーレ』で、キンスキーが客船を人力で山越えさせるシーンがある。なぜだかあのシーンが、今はいっそう分かる気がする。
来月から個人的な今年の山場が始まる。その目前に30歳になり、旧友との連絡網が復興した。昨日の蜃気楼のなかで、僕は霞を食べることが出来たのだろうか。その答えはこれからだ。

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2010年1月17日

因縁の府中自動車試験場へ

こんにちは。工房員の我妻です。

先日、因縁の府中自動車試験場に、免許の更新に行って来ました。
≪なぜ因縁になったのか?≫については、以下の「府中試験場~免停返上篇」をご覧下さい。

———————– 
ある日のこと。

苦虫を噛み殺しながら東府中くんだりまで交通違反者講習を受けに行ってきた。ルサンチマン100%の芳醇な殺気を漂わせながら、自動車講習を受けに。はっきり言ってね、席について左右前後を見渡すと、どいつもこいつも一癖ありそうなケダモノばかりで、とてもじゃないが堅気な人間なんて一人もいない。そりゃそうだ、平日の早朝からこんなデッドエンドにいる輩は基本的にヤクザな商売している人間しかいねぇもん。

トラッカー、ビラ配り、サンドウィッチマン、ニート、ホスト崩れ、ベーゴマ職人、ロマンスグレー、そして俺…そんな人間たちしかいないわけでね。言わば、違反者たちによる違反者のための人間動物園ですよ! 人間学園「ZOO」と名付けよう! まず最初に、それが違反講習の本質だと理解していただいたうえで、下記を追っていっていただければ幸いです。

まずこの講習なのだが、名前では呼ばれない。僕は1025番というトリッキーな名前で(あだ名は25番)一日を過ごすことに。「なんでこんな雑居房みたいな仕打ちされなきゃいけねぇんだ! 俺の中のサソリが黙っちゃいねぇぞ!」ってんで、渡辺文雄的存在をメッカチにしてやろうと思ったんですが、教官の人たちは意外と親切なんで拍子抜け。

『親切のエレメント』を巧みに使い分ける教官の手馴れた対応に、キバを抜かれる人間学園の獣たち。講習を受けていたケダモノの人数は27人ほどいたのですが、この第一関門『親切のエレメント』の時点で、ニート・サンドウィッチマン・ベーゴマ職人あたりの、言うなれば独眼鉄・偏翔鬼・男爵ディーノ(@男塾)レベルの猛者は軍門に下ってしまうことに。

午前の講習は違反にまつわるエトセトラなんかの高説をたれるのですが、この説法がなかなか厄介な関門。延々と、交通事故に遭った人たちの悲惨話を煽るんですよ。春団治みたいな面をした教官が生き生きとした顔で「植●人間! 障●者! ●がもげたりしてハンデだな! そりゃ悲惨の限り! 獅子身中の虫を殺せ!」(ホントにそう言ったんだよ!)とか説法するんですけど、あまりにパンクで。何かの前衛運動かと思ってしまうほどの舌鋒に、思わず笑っちゃいました。「交通事故の叩き売り」という演目なんて初めて見たし、なにより、あんなにも恍惚の表情で“人の生き死に”を語る人を久しく見ていなかったので。『府中のゲッぺルス』を見れただけでも高い金を払った甲斐がありました。この利剣によって煩悩や魔障を打ち砕かれた受講者も多数で、彼らは何を思ったのかメモ欄に教官の教えである「常楽我浄」と書き綴っておりました(これもホントなんだから!)。

お昼を過ぎる頃には、27人のうちの約半分が魂を砕かれ、もぬけの殻になっていましたが、僕はさきほどのデマゴーグを録音するほどの余裕もありましたし、まだまだ健全でした。しかし午後! 

これこそがこの講習の最大の山場であります。「運転実習」(14000円)の他に、「屋外活動」(10000円)という項目があり、我々違反者は双方どちらか一方を受けなければならないわけですが、4000円も高い「運転実習」を受ける人のほうがなんでか多い。終了時間はどちらも一緒なのに、なんでか車に乗るほうが多い。僕なんかは原付で捕まったケダモノですよ。「なんで車なんか運転しなきゃいけねぇんだ!」ってことで、「屋外活動」を選んだんですが、どうも予想以上にダメージが大きいような気がしてきて、内心穏やかではなくなってきたのも事実でした。気がつけば、「獅子身中の虫を殺せ!」と小声で呟くマイセルフになりかけておりました。危ないィィ!

ゴミ掃除とか自転車の整理などとタカをくくっていたんですけど、活動内容はどうやら「交通量の激しい交差点での手旗の上げ下げとティッシュ配り」ということが判明。
おいィィィ! 聞いてないよォォォ! 完全な『辱め』じゃないか! 俺に“ロードス島の巨像”になれと? 見世物になれってか? 加えて「ティッシュ配り」だとォォォォ? 俺の人間的アキレス部を切断する気か?! お里が知れちゃうよ! 

“交通量の激しいところで客観的に現場を見ながら社会活動をする”ということらしいけどさ、確かに交通的には『善』かもしれないけどね、ホスト崩れ・ニート・サンドウィッチマン・酒気帯び常習者、そして俺なんかがそんな人目の多いところで交通活動をしたら社会的には『悪』以外の何物でもないでしょうが! みんな、オデコに『悪』ってタトゥーを入れている大罪者ですよ! 

だってホスト崩れなんか、元プロボクサー畑山みたいな金縁メガネをかけて、全身黒のロングコートを着たうえから、「交通安全」って書かれたタスキをかけてんだよ。コントじゃない! 俺が子供だったら、『不安』しか感じないね。「交通安全」っていうタスキかけてる人物が限りなく安全じゃない人種なんだよ。「~~~哉(也)」って反語文法があったけど、彼一人で体現しちゃったよ。“歩く疑問の終尾詞”となった彼氏、もちろん「横断中」っていう手旗を持ってるんだけど、絶対に「ここではないどこかを横断中」って解釈されちゃうよ。あんなね、瀬々敬久がプロデュースしたみたいなホスト崩れが手旗持ってたら、僕たちなんて単なるVシネの共演者にしかならないですよ。

彼以外にも、ティッシュ配りが社会的に悪影響を及ばすのでは? と感じた人ももちろんいました。小学生たちに≪マジで故意する5秒前≫みたいな危ないオッサンもいたし。キチンと考えてよォォ、何の更正に来たのかわがんねぇよ。

ちなみに、僕は来世分の笑顔を前借りして精一杯配ったので(残りティッシュ数:ゼロ!)、中選挙区制に戻れば当選するくらいの『街の人気者』にはなれたと思います。途中、僕のあまりの作り笑いに翻弄されたのか、中国人らしきご婦人が「産婦人科はどっちですか?」と聞いて来るほど! もちろん、場所は答えずに笑顔で『謝々!』とだけ返事をしておきました。ともあれ、二度とこんなことは避けたいッ。場所の都合上、多磨霊園を縦断して駅まで戻らなければならない、という断罪感も抜かりがないよね。
from the cradle to the graveっかての。

————————

と、こんな因縁があったわけです。
まぁ今回は、特に何もなかったんだけどね。

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2010年1月11日

1QQ8

こんばんは。工房員の我妻です。

今年はW杯イヤーです。思い起こせば、ドイツワールドカップにおける日本の惨敗は、文字通り惨めなものでした。“チームがバラバラだった”などと後に回顧されていますが、その構造の中心が『中田と反中田派閥の対立』だったのは、今更いうまでもないのでしょう。僕は、それに関する記事や書籍などを読んでみて、この二つにはまさしく相反する発想があったのではないかと、個人的結論に至りました。

それは、反中田派(黄金世代を中心にしたメンバー)といわれた彼らのスタンスが、座的・ムラ的な特徴だったのに対し、中田は家父長的・イエ的な発想の持ち主だったのではないのだろうか?? ということでした。まるで中世の西国と東国のようなスタンスの違いです。これじゃ、チームに和をもたらすことなどできるわけがないですよ!! なぜって、この後、日本は南北朝に分かれて内乱が始まってしまったわけですから(日本史で一番面白い時代ではあるのですが)。

具体的に何が違うかってのを、簡単におさらいすると……。
西国の村落生活中心に対して、東国の在地領主制。弥生文化を早期に取り入れたのに対し受け入れなかった東国。婚姻による結合…すなわち年齢階梯制を重んじるのに対し同族結合関係を重んじる東国。海を生活の中心に考えているため、貿易と水田に重きを置く西国に対して、山を重んじ農耕と土地…そして銭に主を置く東国…まさに西船東馬な相違…などなど。

リフレッシュの意を含んだマリオカートでワイワイする村落自由生活的反中田派閥に対し、あくまで合理的発想に基づいた時間管理をする中田。先輩後輩の縦の関係を尊重することや、黄金世代など呼ばれエリート街道を進んできた一種の選民的発想も少なからずあったであろう反中田派閥に対し、カズやゴンに対してもタメ口でダメだしをしていた年功序列など意に介さない中田。楽しくやって尚且つ勝てればいいという発想の反中田派閥に対して、サッカーはビジネスでもあるわけだから勝たなきゃ意味がないという発想の中田。
反中田グループと中田の食い違いは、まるで中世の西国&東国のように全てが真逆の発想で動いていたのではないのかって思ってしまうわけです。けっこう無理やりだけど、僕は西国&東国的な差異が当てはまるような気がしてしまうのです。

そんなわけだからして、反中田派閥(小野など)は正月の年取魚として「ブリ」を食べているのに、中田だけは「サケ」を食ったりするのだろうし、「餅は四角!」だと吼える中田に対して、反中田派閥は「はぁ? 丸に決まってんでしょ!」と反発したり、「死穢」を忌避する中田に対して、「産穢」を忌避する反中田派閥などなど…そんなところまで対立していたのではないだろうか?? と、疑念は止まらない。そりゃ、ボールどころか何も回ってこない!

この溝を埋めるのがカズであったりしたんだろうなぁと。実際、中田は態度こそ家父長的だけど、本来は父的存在に助けられて躍動する長男的資質の持ち主のように感じます。彼の出発点でもある『前園の後ろで「ラ王!」と叫ぶ姿』を覚えている人ならばご理解いただけると思うのです。ツネ様こと宮本では、役不足だったのでしょう。

もし名波であったなら…。
サッカーファンならそう思った人は少なくないはずです。
その名波浩の引退試合が先日行われました(当日、静岡エコパスタジアムに観戦しにいった人たちが羨ましい!!)。
いかに名波という存在が大きかったのかを改めて思い知らされました。フレンドリーマッチ的な要素が極めて高いとはいえ、あんなに華のある国内の試合って、ここ最近あっただろうか。もちろん思い出補正がかかってはいるのだけれど、98年組のまばゆいこと。この試合に4万人以上のお客さんがつめかけたというのが、論より証拠。ジュビロ組も含めて、あの面子だけでずっと酒が飲めてしまうから不思議です。本当に素晴らしい引退試合でした。いいもん見れた、ありがとう!

あと、中田は今すぐにでも現役に復帰するべき。

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2010年1月6日

鰭崎英朋展へ

こんばんは、工房員の我妻です。

先日、弥生美術館にて1月3日より開催している「鰭崎英朋展」へ行ってきました。何年か前に新聞で小さく特集されたのを読んで以来、僕は鰭崎英朋という挿絵画家が好きになり、今回の展覧を昨年から楽しみにしていたのです。昨今、泉鏡花の集成本「続風流線」の挿絵に見られるような妖艶かつ粋然な画風や、生涯「挿絵一筋」として画家人生を送ったことなどが再評価され、じわじわとその存在が再浸透してきているようです。

純文学以外の家庭小説や探偵小説が当時の文壇で「文学」と認められなかったように、当時の明治~大正という時代において、挿絵画家もまた「画家」とは認められなかったといいます。日本画研究会「烏合会」の仲間であり、ともに挿絵界を牽引していた鏑木清方は、その後、本格的に日本画家へ転向し大成するや、その名を今に残すこととなったものの、挿絵一筋に生きた鰭崎英朋の名は、挿絵衰退の流れに飲み込まれ歴史の谷に置き去りにされることとなります。なぜ、彼が挿絵一筋に生きたのか。そういったことに興味を覚えてくださった方は、ご自分の眼で弥生美術館まで足を運んで確かめてきてくれるのではないか、と期待しております。

本来ならば、荒涼とした谷の合間の、まるで月の世界のような何もないところでその存在を思い返されるでもなく、ただ時の過ぎ行くのを当たり前のように思い返すだけであったかもしれない鰭崎英朋という人物に、唯一、光明を差し込ませるにいたったものがあるとすれば、それは泉鏡花という存在であったことは間違いないと思います。事実、僕も泉鏡花ファンであり、たまたま新聞で鏡花の文字を見つけたところ、記事の核心が「鰭崎英朋」であっただけ、という幸運に恵まれた結果に過ぎなかったほどです。

我々が目にする再編集/再語訳された現在の明治~大正時期の小説に、かつては挿絵が挟まれるのが通例だったことを考えると、なんとも不思議な感じがします。例えば、英朋が描いた泉鏡花の小説「愛火」の口絵なんかは、間違いなく現代語訳された今のものにも残したほうが、より一層の世界観の広がりをみせると思うのです。泉鏡花の世界観は好き嫌いがはっきりわかれるところだと思いますから、挿絵を加えることによって、少なからず苦手意識を和らげる効能はあると思うのです。特に、英朋の描く絵の雰囲気は、まさに鏡花の小説の世界にピッタリなわけですから!! 現代語訳にしてくれるのは大変読みやすく助かるのですが、“当時の雰囲気を残す”ということにももう少し気を配れないものなのかと思ってしまいます。

先ほど、鏡花と英朋の相性はピッタリだと書きましたが、それもその通りで、二人には「大の幽霊好き」という共通点があったようです。極度の潔癖症の鏡花と仲良くなるというのは、よほど他の部分で感性が合わないと無理でしょうから、その幽霊好きたるや相当のものだったのでしょう。現に、英朋は「あそこには幽霊が出るらしい」と噂の立ったところには必ず訪れていたといいますし、墓地の隣に引越しをしたということも伝えられています。鏡花の幽霊好きに関しては、“語るに及ばず”でしょう(作品にいっぱい登場しているからね! みんなも読んでみてね!)。
さらに個人的には、英朋と鏡花は女性観も似ていたのではないかと思われます。看板絵や挿絵などで女性を描く機会の多かった英朋は、女性に対して独特の捉え方がありましたし(襟足が重要らしい)、鏡花も「婦系図」「女客」や「国貞えがく」などで見られるフェミニストっぷりから察するに、双方ともに“女性を立てる”という価値観でも近いところがあったため意気投合したのではないかと。

ちなみに、英朋の師である右田年英は、あの月岡芳年の弟子にあたります。そして芳年の師匠が歌川国芳ですから、英朋もまた異形の妖怪・幽霊画家としてのDNAを引き継いでいたわけです。そんな英朋が描く幽霊画が一点ほど弥生美術館にも展示されていたのですが、クソ巧くてひっくり返りそうになりました。しかしながら、「これ君にあげるよ」とプレゼントされたら、全力で「結構です」と断るくらい気持ち悪いものでした。
僕が鑑賞したものとは違うものですが、泉鏡花の自宅に英朋から贈呈された幽霊画が飾ってあったらしく、鏡花の奥さんは「お願いですから、あの気持ち悪いの外してくれませんか…」と懇願していたという話が残っているそうです。ですが、鏡花は「絶対に外さん」とずっと飾っていたといいます。奥さんの気持ちが痛いほど分かります。

そんなわけですから、鰭崎英朋の絵は、まさに泉鏡花の世界と肝胆あい照らす、水魚の交わりだったのです。ちなみに、三遊亭圓朝大先生も大の幽霊好きで名作怪談をたくさん残しております。圓朝や鏡花の世界観を、幻想的かつ写実的に撮ることができたのは、後にも先にも巨匠・中川信夫くらいしかいないのではないかと思うくらい、「真景累ヶ淵」「牡丹灯篭」などは傑作だと思われます。ですが、中川信夫は特に幽霊好きだったというわけでもない(詩が好きだったため、形而上の世界に非凡な才を発揮できたのであろうといわれている)のを考えると、幽霊好きという相通ずる共通点があったことも確かに大きいのでしょうが、それにも増して“同時代に泉鏡花という存在がいた”その一点のみが、幽明線上にいた鰭崎英朋を現世に引き戻し再発見させるにいたった幸運と呼んでも差し支えないのかもしれません。

日本画家としての才能を発揮しつつ、その一方で挿絵というきわめてイラスト的な絵でなければならないという異型の画家・鰭崎英朋。存在そのものが幻想的な画家でしたから、弥生美術館を後にして、谷中で墓参りをしているときには、東京の古今を体感しているようで、とても不可思議でした。その後、散歩がてらに根津~千駄木界隈を廻って、ここに来たときはよく行く蕎麦屋で蕎麦を食うなど谷根千をブラブラと。幻想的な気分が抜けることはなく、せっかくだからと湯島天神で鏡花気分を味わって帰る頃には、やっぱり明治の小説は面白いなぁと思うばかりでした。

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2010年1月2日

2010年 or Not

明けましておめでとうございます。工房員の我妻です。
みなさん、素敵な初夢はご覧になれましたでしょうか??

僕は、『列車内に持ち込んだお気に入りの一張羅の服(そうです“1軍”と呼ばれている服たちです)が全て盗難に遭う』という初夢を神様からプレゼントされました。ジュラルミンケースの中に服を入れるも、特急『シナノジ(信濃路)』なる架空列車の中で盗難、そしてパニックとなり、たまたま居合わせた鉄道専門誌の編集長と共に犯人探しをするという初期クローネンバーグを彷彿とさせるB級感バリバリの内容でした。途中、鉄道専門誌編集長が豪華客船の写真を眺めながら、
「じゃなきゃ、グレート・ムタがいるわけねぇもんなぁ」
と呟くシーンがあったのですが(ムタは夢にはいっさい登場せず)、夢から覚めるやそのことを思い出し、自分自身でそのあまりの不可解さに大爆笑してしまいました。
と同時に、これが悲しいかな…今年の初笑いとなってしまいました。
キチ●イじみていた己の初夢の内容で初笑いをしてしまう、という低俗極まる自己完結型バタフライエフェクトを体験してしまったことに若干の恐怖を覚えている次第です。僕が見たキ印の初夢は、地球の裏側でイナゴの大量発生・カニの大量死滅といった天災をもたらすわけでもなく、ただ単に“寝起きに思い出して自分で初笑い”というエフェクトしかもたらさなかったことを考えると、2010年は早速、霧の中に迷い込んでしまったのではないかと心配になってきます。『2001年宇宙の旅』ならぬ、『2010年霧中の旅』の幕開けです。誰か僕を誘導してください。そんなアナタを『2010年夢中のナビ』役に任命します。

といっても、年明けを難しく考えてはいません。所詮は、形式的イベントにしかすぎません。
今から4年くらい前だったでしょうか。
大晦日に格闘技のイベント(『PRIDE』だったかな)をさいたまスーパーアリーナまで見に行き、そこで選手と観客みんなでカウントダウンをするというようなことがありました。早期決着の試合が多く、その日の興行は時間的に“巻き”の状態が不運にも続いてしまい、22時ちょっと前にはメインイベントも終わってしまうという予期せぬ事態となっておりました。カウントダウンまで残り約2時間……出玉が出尽くした状態からいったい何をして時間を潰せというのでしょう。このような試合運びも考えられたでしょうから、時間配分に柔軟性をもって対応できなかった明らかな運営ミスである、と会場はザワつき始めておりました。そんななか、喧騒を打ち消すようにイノキボンバイエのリズムが粛々と流れ出したのです。

「アントニオ猪木は、この日すでに2回ほど登場しているから、さすがに今更猪木で時間を潰そうにも無理があるでしょ。『元気ですかーッ!!?』もすでに2回いってるし。何度確認すんだよ」

誰もがそう思って猪木のリングインを見届けると、猪木はまるでゲティスバーグのリンカーンよろしく威風堂々こう話し始めました。

「今日はみんなありがとうーーーーッ!!! ところで、俺の頭の中では時計が2時間進んでいる。そろそろ年を越そうとしているんだ。ムフフフッ。そういうわけで行くぞッッーーーッ!! 10! 9! 8!…」

と、大フライング&強制的に観衆3万人が猪木と共にカウントダウンをさせられ、「…2! 1! おめでとうーーーッ!!」と猪木が叫ぶや(僕の時計では 22:15頃だったのですが僕の錯覚なんだと思います)、パーーンッ!! という室内花火の轟音に加え、大型スクリーンには『新年明けましておめでとう』の文字がエゴイスティックに打ち出され、大量の紙吹雪&バルーンが天井から降ってくるという、どこからどう見ても盛大な24:00:01の光景が繰り広げられていたのです。もちろん、BGMもNEW  YEAR感バリバリの選曲で、いったい自分が何をしているのか本当にわからなくなったほどでした。
(ご指摘の通り、“僕自身が何かを必至に自分に言い聞かせていたことだけは分かっていた”、それだけは自白させていただきます)

15分ほどで猪木暦の年越しイベントは終了し、帰路につくためにホームで電車を待っていると、間違いなく赤羽行きの電車は23:●●と電光を反射させていたように思いますし、駅ですれ違う人たちも今からまるでカウントダウンをするかのようなテンションで街に消えていったのを記憶しています。
先ほど年は越したじゃないか。もう終わっているというのになんてバカげた行為をする気なのだろう! どれだけ節操を失くしたら、年越しカウントダウンを2回もすることができるのだろうか!! 
帰宅途中の京王線の車窓から一瞬だけ見えたホームの屋根から釣り下がった時計の長針と短針が、12という数字の上に同時に覆い被さっているのを見たか見ないかの刹那、僕は泳ぎきり疲弊し尽した双方の目に自分の両手を被せました。僕は覆うことに成功したのです。
「どうだ、僕のほうが被せるのが早かったんだゾ」。


年明けになんの意味があるのでしょうか。あれ以来、もうよくカウントダウンだとか新年だとかの意味はわかりませんから、区切りは自分の誕生日だけと決めています。数字の上では、どうやら09から10になったとのことです。僕にはいつ明けたのか分かりませんでしたが、今がもし本当に2010年なんだとしたら、先に書いた初夢は、まさに悪夢としかいいようがありません。

抱負なんかもありません。2010年は、『ワールドカップ南アフリカ大会において三浦知良選手が代表メンバーに選ばれる』ということさえ叶えば、あとはどうだっていいと思っています。
カズに新陽が昇ってくれるのならば、2010年は本当になんだっていいと、僕は思うのです。しいていえば、それが僕の抱負です。

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2009年12月28日

2009年を瞬間的に振り返って

こんばんは。工房員の我妻です。

早いもので今年も幕が閉じようとしています。
先だってTVを見ていましたら、「裕也さんにとって今年の漢字一文字は何ですか?!」と問われた内田裕也の答えが『R』(ロックンロールのR)だったのを見て、「はて自分にとって今年はどんな一年だっただろうか?」とちょっと考えてしまいました。色々ありましたが、僕にとっては、やはり今年の漢字一文字は「スイス」以外には考えられません。
念願であったスイス旅行に行ってきた。その一言に尽きる一年でした。


≪ゴルナー氷河にて≫

スイスという小国は、とても多面的な魅力に富んだ国です。

『黒いスイス』『スイスの歴史―知恵ある孤高の小国』
ここら辺を読んでいただければ、“攻めず、されど屈せず”というスローガンを掲げて自立してきた軍事国としてのスイスの魅力がお分かりいただけるかと思います。
事実、現在もスイスにおける第一位の産業は軍事産業であり、山をくり抜いて自然の格納庫にしたりするリアル・サンダーバード的世界観は一見の価値アリです。北の将軍の三男坊が首都・ベルンに留学していたというのも、この国から知恵を盗みに行ったと考えれば納得なのです。

ルイ14世支配下のブルボン王朝最盛期(フランス)と、ヨーロッパ全土に食指を伸ばすハプスブルグ家(ドイツ・オーストリア)に挟まれながらも独立を保ってきたスイスは、さながら上田城の真田昌幸を見ているかのようですし、『ベルサイユのバラ』などで、アンドレやオスカルといった歴史の表舞台に立つ者とは対照的に、“血の輸出”として暗君を守らねばならなかったスイス兵の牢人的立場などを見ていると、スイスという国は歴史好きの方にもオススメできる国であると断言できます。

資源のない日本は今後観光立国としての形成も視野に入れないといけない、などと言っていますが、スイスのそれをみていると『ごめんね、ごめんねぇ~』と叫ばずにはいられません。
そもそも公用語にドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4つが制定され、サービス業を営む人は英語も必須となるので、スイスで観光業を営む人は、最低3ヶ国語は喋っているわけでスタートが違いすぎたりします。
観光地には、『夏季にはベランダに花を飾ること』などの法律があり、街としてのデザイン設計・維持も完璧。マッターホルンの山麓町・ツェルマットは、約40年も以前に環境保護のため、エンジン搭載車の乗り入れ禁止が制定され、その代わりに走る電気自動車や馬車が街のデザインの一部としてすんなり溶け込めるような雰囲気でつくられていたりするのです。


≪ツェルマット駅周辺≫


≪駅から5分ほどでマッターホルンがこんな感じでみえます≫

観光地以外のルツェルンやベルンといった都市地域も、静謐という言葉がピッタリの歴史と美しさに溢れた街でした。とかく歩いていて楽しいのです。チューリッヒやジュネーブなどの国際都市になると、ヨーロッパのよくある大都市になってしまい、個人的興味もあまりなくなりますが、それでも六本木・表参道あたりに比べれば遥かに居心地が良かったです。


≪湖と山に囲まれた静謐の都・ルツェルン。湖と山…ということで諏訪を連想されるかたもいるかもしれませんが、全然違います≫


≪世界遺産の首都・ベルン≫


≪ベルンの旧市街地。アインシュタインが住んでいた家もあります≫

金融立国としての説明はいまさら必要ないでしょう。サブプライム以降、さすがのスイス銀行も現金引き落としの上限や方法を改定したのですが、それでも「頭、オカシイんじゃないの??!」というようなバカルールは健在です。EUに加盟せずとも運営していけるスイスフランの強さは、リーマンショックでドルやユーロや新興国通貨が大幅下落を記録したなか、そこそこの下げ幅でソフトラウンディングできたことで実証済み。

と、まぁスイスの第二次産業(インフラ整備)などまだまだ綴りたいことはあるのですが途方もない量になってしまうので、ここらで旅の写真でも貼り付けてお茶を濁したいと思います。


≪モンブランへの見える展望台『エギュ・ド・ミディ』からの眺め①≫


≪モンブランへの見える展望台『エギュ・ド・ミディ』からの眺め② この世の景色とは思えませんでした。“自分は死んでしまったのか”という錯覚を覚えました≫


≪峠越えの一部。自転車でもOKですし、トレッキングコースも必ずあります。恐るべきインフラ網!!≫


≪アイガー付近を歩き始めた頃は雪が降ってくる有様で、死ぬかと思いました。『覚せい剤』と『山をナメること』は絶対にダメ!!≫


≪インターラーケンのカジノ。外観が完璧に、“ドラクエにてレベル18くらいで訪れる最初のカジノ”でした≫


≪ユングフラウ展望台は悪天候のため封鎖。吹雪いていたため窓からは何も見えず。結果的に、『コーヒーとクッキーを食しにユングフラウまで行った』という襟裳の春以上に何もない有様となりました≫


≪武士道とはベルンのおもちゃ屋で死ぬことと見つけたり! どんなボードゲームなのか凄い気になった。リーチの時は“ブラックレイン!!”とか発しないとダメ的なルールがあるんだと思う≫

なお今回はH・R・GIGERゆかりのクールとグリュイェールには行けなったので、来年再びスイスに行く際に訪れようと計画していたのですが(スイスに溺愛)、どうやら来年はインドに行くことになりそうです。

すでに今からドキドキしています。

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2009年12月4日

『歩こう会』発足人からのご挨拶

こんばんわ。工房員の我妻です。

このたび、『歩こう会』を発足したにあたり、この場を借りてご挨拶申し上げたく参上させていただいた次第であります。

話の発端は、ギネスを飲んでいたときに、僕がごろうくんに、
「俺、歩きたいんだけど、歩かない?!」
なんてことをいったのが最初だったと思います。
おそらくこれは、もじあるきのロケハンで歩き癖がついたということに起因しているのでしょうが、自宅から最寄り駅までの所要時間が徒歩18分ほどかかるなど、日頃からやたらと歩くことに愛着をもってしまった、僕なりの『間違った Walk this way』の結果なのではないかと思っています。そんなわけですから、自転車というものに乗る機会もなくなり、気が付けば“歩くのに邪魔”ということで、自転車は1年ほど前に捨てさせていただいた次第でありました。歩くのに興じてみたくなり、今年はスイス旅行で、アイガー付近を歩いたりもしてみたりしました。

20091204b

昨今はウォーキングが流行っておりますが、その多くは健康志向という直線上に位置している類のものだと思います。僕は健康目的だったらもっとキチンとしたスポーツを行いますので、この“歩く”という行為はまったく別次元のものであると考えます。家で冷蔵庫のビールを取りに行くとき、洗濯機の洗い物をベランダに干しに行くとき、そういったときに“歩いている”と感じる人はいないはずです。“家に居るような感覚で歩く”これこそが、僕個人における最大の歩く醍醐味だと思っていますから、歩いている最中にビールを飲んだり、i-Podで音楽を聴きだしたりしてもOK、そんなような歩きを長距離にわたって行いたいとかねてから思っていたわけでございます。

とはいいつつも、それを一人でするとただの夢遊病患者になってしまうわけですから、情けないかな同志を集めようと決心したわけです。ごろうくんは頷いてくれたものの、いまいち食指が動かないという感じでしたが、ギネス仲間のT萩さんが、とても興味を覚えてくれたおかげで、『歩こう会』はとりあえず表面だけでも形成することに成功した次第でありました。記念すべき副会長誕生の瞬間でありました。

この『歩こう会』、道程の最中では、まったくもって意思(デターミネーション)といったものとは無縁でありますが、やはりゴール地点だけは目的があったほうがいいだろうと相成りました。僕とT萩さんは試行錯誤を重ね、とりあえず深大寺まで『蕎麦を食いに歩きに行こう』という結論に至り、そのことを報告すると俄然ごろうくんもやる気になり、参加の方向へと態度を軟化していったのを覚えております。

せっかく歩くのですから見慣れた風景を辿るのは、いささか冷や水をBUKKAKEる行為ではないのか…そんなようなことも議論の対象となり、ならばまったく知らない場所からスタートするというオプションを付け加えることにしたのです。深大寺の真北20km地点からスタートしてみようじゃないか。そこで割り出されたのが、東武東上線の『みずほ台駅』という全くゆかりも身寄りもなければ、聞きなれもしない地点でありました。確固たる意思を持たずに歩くわけですから、疲れたら工程の途中でも電車で帰ることも辞さない。その意思だけは断固として揺るぎないものであった、とこの場を借りて所信表明させていただきます。みずほ台から深大寺方面、つまり南へと下っていくと、最初に武蔵野線が見え、次に西武池袋線、その次に西武新宿線、果ては中央線といった沿線が我々の工程に次々と垂直する形で交錯することが判明しました。疲れたらいつでも電車に乗って帰れるッ! 我々の胸が俄然、高鳴っていったのを記憶しております。

ごろうくんから決行日は23日(祝日)にしようとの知らせがあり、僕は仕事で京橋にいたこともあり、八重洲ブックセンターで25000分の1の地図(志木1枚・吉祥寺1枚)を購入し、来るべきルートの確認へと向かいました。中学までボーイスカウトをしていたこともあり、やはり25000分の1の地図には底知れぬ魅力が詰まっているものです。アウトドアは汚れるので大嫌いですが、地図やコンパスといった用具には機能美とデザイン性がありとても美しいものです。

20091204


さて、赤い線が引かれているのがお分かりかと思います。
この線こそ、当日我々が辿ってきた『道なき道』ならぬ、『意思なき路』として通り抜けてきた工程となります。
その模様は、近日中にごろうくんが改めて綴ってくれるとのことです。

大変長い挨拶となってまいりました。
T萩さん、ごろうくんとともに、この『歩こう会』を月イチ恒例行事として定着させるべく、これからも尽力してまいる所存にございます。
『歩こう会』とはいいつつも、まだまだ発足したばかりのヨチヨチ歩きの4足歩行どもの集まりでございます。
皆様の温かいご支援、特にお金などをご支援していただける足長おじさんや、トランペットを購入してくれるサッチモの皆様方からのご支援・ご鞭撻のほど、まことによろしくお願い申し上げます。百歩譲って貴金属類でもかまいません。
本日は、足元が悪いなか、わたくしのご挨拶を拝聴していただき、まことに御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

これをもちまして私の挨拶とかえさせていただきます。

敬具


20091204c


歩こう会会長(近影)

我妻・WK・正清

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