2003年10月30日

2003年10月30日

新宿の南口はやけに手相がどうのと言ってくるうざい宗教が多くて困る。
前は困るだけだったが、最近は本当に嫌気が差してくる。
先日は道を妨害する「手相の勉強家」を振り払おうとこぶしを上げると、偶然そのこぶしが彼の顔に当たってしまい、トラブルになりかけた。

ヤフーのモデム配りと熱心な「手相の勉強家」は同じくらいうざいが、どうにかならないのか。宗教を信じるのは自由だと思うけど、度を越える布教活動は公害だと思う。あとどっかの宗教で選挙が近づくたびに「ナントカ党に入れてくれ」とかいうのも余計なお世話だ。なんかそれが友人だったり知り合いだったりするととってもがっかりする。純粋な交友関係の縁が切られたような、さびしい気持ちになる。

そういえば選挙が近づいたけど、どうしようかなあ。羽柴誠三秀吉は出ないのかなあ。

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2003年10月29日

2003年10月29日

9号館下の上映企画の進行状況がなぜか気になり、makoと一緒に様子を見に行く。手伝えることがあれば手伝おうと思ったが、多くの人が働いていて、手は十分に足りているようだった。スクリーン、安全性など若干気になるところもあるが、そういうことはお客さんに言われて気づいたほうがいいだろう。

そのあと下北沢のアンテナというカフェバーに行く。それでダメ工房上映会の日取りなどを決める。
いろいろ経験を経たおかげなのか、余裕を持って予定を立てている自分に気づく。
そのあとアンテナで飲食する。お酒の種類がいっぱいありすぎて分からないので、全部お店の人に聞いて頼む。中でもおいしかったのはスティンガーというお酒で、ブランデーにミント系のリキュールを入れるというカクテルだ。ドランブイよりも、すっとした味がして好みだ。あとギリシャ産のブランデーがやけにおいしい。
食べ物でおいしかったのは牡蠣だ。僕は広島の瀬戸内海のそばで育ったので、まさに牡蠣の養殖の本場だったのだが、そんな僕も驚くほどおいしかった。

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2003年10月28日

2003年10月28日

朝4時に起きて、秋田を出発する。
明け方の秋田自動車道は車一台通っていない上に、灯りがないためほんとうに暗闇である。

空が朝になっていく様があまりに雄大で、見とれて運転にならない。

父親と交代で運転していき、なんと12時には東京に着く。しかし、東京についてからが長い。川口JCTで渋滞30kmと出る。これではクリス・ペプラーに渋滞ナンバーワンと言われてしまう。環八も環七も混みすぎだ。

家についてからゆっくり休む。

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2003年10月27日

2003年10月27日

祖母に会う。祖母は痴呆で、娘である母親のことすら覚えていない。当然僕なんか覚えているはずが無い。でも覚えてないというのは失礼だということは分かっているようで、決して「誰だかわからない」とは言わない。

病院に隔離されて、ベルトで固定されている。僕が訪問したときは、たまたま椅子に座っていた。ほかの老人たちはグループでかたまっていたのに、祖母はひとりぼっち窓を見ていた。そんな背中を見ていた。

そして、きっと無かったことになるであろう会話をした。

そのあと秋田を南下して、山形との県境のあたりに向かう。とりあえずそこにあるそばやで、うちたてのそばをいただく。やけにおいしい。そのあと、小安峡というところに行く。岩から温泉が噴出している。それが川に流れ出て、川から湯気が出ている。

夜に父親とふたりで北野水産という飲み屋に行く。秋田に行くと必ず向かう飲み屋である。でも新宿にもあったから、秋田だけにある飲み屋ではないようだ。秋田の地酒「飛良泉」「新政」を飲む。秋田は酒がうまい。

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2003年10月26日

2003年10月26日

寒い。少し青森の気温をなめていた。空気のはりつめた感じが、12月上旬な感じ。

十和田湖に行く。何千年、何万年も前の火山の噴火によってできたくぼみが、この湖を形成しているらしい。とんでもない水溜りだ。
近くに行くと、海なのかなんなのか分からない。十和田湖のまわりでにじますと稲庭うどんを食べる。うどんはおいしくない。

そのあと、奥入瀬という、十和田湖の水が川になってる最初のほうの部分を見る。今の時期の奥入瀬は、紅葉がやけに綺麗で、北野武の「Dolls」みたいだ。タモリが「紅葉見るなら奥入瀬」みたいなことを言っていたが、まさにそのとおりだろう。

そのあと山の上から十和田湖を眺めた後、母親の実家である秋田の新屋というところに行く。今回の目的は、先の短い祖母に生きているうちに会っておくということである。僕はプレ法事と名づけている。もちろんいつまでも生きていてほしい。

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2003年10月25日

2003年10月25日

秋田に帰郷するはずだったが、なぜか青森に向かう。東北道を端まで走りきる。仙台から先が途方にくれるほど遠い。

父親の希望で三内丸山遺跡を見る。
縄文文化に興味のかけらもなかったけど、実際遺跡を生で見ると少しわくわくしてくる。子供の遺体に石を入れる習慣が縄文から続いているものだとは知らなかった。

そういえば、岡本太郎が縄文文化の芸術性についてはじめて指摘したんだっけ。確かに土器や翡翠などを見ていると、岡本太郎の作品にきわめて近いものを感じる。岡本太郎が縄文文化に惹かれた感じを、頭で想像してみた。

そのあと大鰐というところにある宿に泊まる。温泉に入る。夕食はあまりおいしくない。家族と民宿に泊まったってなんもおもしろくないからさっさと寝る。

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2003年10月22日

2003年10月22日

風邪をひいてしまったというのはあるかもしれないけど、今日は非常に体調が悪かった。体だけでなく、心の体調も芳しくなかった。

昨日まで「自分の作品はよくやった」とかなんとか思っていたのがウソのように、自分のことに懐疑的になってしまった。そうなると、不安になる。地位とか名誉とか、賞与とか、そういうものを無性に欲したくなる。そしてそういう安っぽい自分が嫌になってしまう。

夕方に学校に顔を出したが、定時になるとすぐに帰った。

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2003年10月20日

2003年10月20日

源次郎が、講評に来てくれることになった。
それを聞いた最初は嬉しかったが、講評時間が近づくにつれて、プレッシャーにもなってきた。見終わった後、怒って帰ってしまったらどうしよう、とか。

そして、上映。なんだか緊張してしまって、僕は他人の反応ばかりが気になる。源次郎の顔は見ることができなかった。
上映後、拍手。儀礼的なものかもしれないが、拍手があって安心した。
教授からコメントがある。
主任教授の「これまでのゲイを扱ったドキュメンタリーで、ここまで当人の素直な気持ちが出ていた作品は初めてだと思う。生徒と、源次郎との信頼関係がこういう結果を生み出したんだと思う」という言葉は嬉しかった。あとほかの助教授で「なにが『つらかった』のかもっと取り上げるべき。源次郎が社会で受けた苦しかったことなどがもう少し分かると良かった」という指摘もいただく。

源次郎だが、喜んでくれたみたいだ。なんだかそれがとっても嬉しかった。源次郎は「自分の話じゃないみたい」と繰り返し言っていた。

今日はなんだかそういうわけでアドレナリンがよく出た日だったと思う。
夜は風神亭で飲む。

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2003年10月19日

2003年10月19日

バイト、まあ適当にこなす。自分の評価が表にして張り出されていたが、低くて愕然としたし、まあそのくらいがちょうどいいかとも思ったりした。

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2003年10月18日

2003年10月18日

なにしたっけな〜 

ほんと意識して、力を抜こうと思ってる。おととい、準備の仕事に熱中してて、ふと気づくと肩に異常に力が入っているのに気づいた。そして、そういうことは僕にとっては当たり前の出来事であったわけだ。

でもそれは消耗するだけだなあと思う。その消耗は一時的には達成感などに繋がるのかもしれないが、長期的には制作に対する拒否反応、絶望感に繋がっていくことを、今年のさまざまな体験で知ることができた。力を抜くというか、ふわりふわりと物事をこなすのは僕にはまだ難しく…。異常に熱中してしまうのは「性」だと友人に言われてしまったが、ふわりふわりとすることが自分にとってプラスになることが多いなとは思う。
今はまだ結局「無理して」そういう状態に持っていっているところがあるけど・・・。

まあそういう肩の力を抜いた一日だったので、何があったのかも実はよく覚えていない。仕事を頼んだ人から、経過報告を聞いて、「それでよし」と言った覚えくらいか。

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2003年10月17日

2003年10月17日

バイト。くだらない時間をすごした。体調は良かった。

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2003年10月16日

2003年10月16日

今日も、暗幕設置は人に任せて、僕は機材のことをあれやこれやとする。
ヘッドフォンブースは、ミキサー2台をかませてぐじゃぐじゃと出力するんだが、その光景がすごい。そういえば、アトリエ時代にこういうケーブルがぐじゃぐじゃする立体作品を作ったことがある気がする。

しかし、もう上映に最低限の要素はできあがっているので、僕はもう仕事は終わりにしてもいいなと思っていた。デザインがどうのという希望もあるが、僕はどうだっていい。希望する人にやってもらうことにする。

なにかにこだわりたいとき、誰かが負担を強いられることになる。課題展示の場合、その負担が平等であることが望ましいとされる。僕はそれが面倒くさい。こだわるときは僕が全面的に負担し、それによってもたらされる効果は僕が全身を持って享受したいという自分勝手な思いがある。

頭が痛かったので、ガストでごはんを食べた後は早めに帰ってすぐ寝た。

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2003年10月15日

2003年10月15日

今日はバイトだけど、仕事中やけに大学のことが気になる。
それで仕事に集中できなくなる。だから、変に責任感を持つと面倒なことになってしまう。僕はいつもそうだ。過剰になってしまって、結局疲れて消耗してしまう。しかも、誰にも役に立たないところで、まったく目立たないところで消耗してしまう。

休み時間中、地震が起こる。ビルのガラスが大きく揺れる。外で地震を感じたのは初めてだと思う。

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2003年10月14日

2003年10月14日

筋肉痛だった。昨日の作業はさすがに肉体系の仕事が多かったらしい。
さらに、昨日の焼酎と泡盛が残っていて頭がぼんやりする。

そんな中ではじまった設置作業だった。
課外センターから機材を借り、さらに映像研究室からも機材を運ぶ。運ばれた機材は、総額ですごい値段になる。こういうものを前にすると、抑えていたはずの責任感が妙に沸いてくる。これが沸いてくると厄介だ。

接続試験をしてみるが、まあ問題はない。あと暗幕の設置作業に入るが、これは人任せで、僕は指示をするだけという役回りになる。

そのあいだ、僕は機材について徹底的に調べ、必要なコードを秋葉原に購入しに行く。すでに下調べはしていたので、購入自体はスムーズに行くが、買い物中に電話が入り、モニタスペースのテレビの音声出力が使えないことが分かる。どうやってPS2からでた音声をヘッドフォンで聞くか、ということで現場はもめているらしい。

僕も気になり、秋葉原のケーブル屋さんと相談し、強引にピンアダプタをつなげて接続する案を考えた。そのピンアダプタがあまりに強引なので、ここで写真を乗っけたいが、またいつか。

結局そんなこんなで3万円程度買い物をしてしまった。さすがに消費税とか端数などをまけてくれた。

大学に戻り、機材のセッティングを終わらせると、鷹の台にあるやきとん屋でやきとんを大いに食って帰った。

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2003年10月13日

2003年10月13日

いよいよ進級制作展の準備がはじまった。
朝9時前に学校に行き、パネル70枚を運ぶ。
それを設置した後、180インチスクリーンの制作に入る。
壁の上部に木枠を設置し、そこからバック紙をたらすという作り方だ。

想像したとおりの少人数だが、まあそんなことは慣れたことである。
別に怒りなどはわかない。自分たちだけがこういう貴重な体験をしているのだ、という占有したうれしい気持ちすら持ってしまう。

SPACIUM,ドラマセット設営などを経て、現場作業にもずいぶん慣れてきたと思う。ほとんど休み無く働いたが、かといって無理をしたわけでもなく、淡々と設置作業は終わった。

そのあと風神亭で飲む。ピッチャーで生絞りを飲んだ後黒糖焼酎と泡盛を飲むと、気分よく帰路に着く。

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2003年10月12日

2003年10月12日

素材を選りすぐるという作業も大変だったが、ラストをどうするかというのは大きな問題だった。ラストの印象で、作品全体の印象もがらりと変わると思うし、見終わった後の「後味」を左右するのは間違いなくラストの演出である。そう思うと、僕はなんとなく(敢えて、というべきか)この件については放っておいた。時がいずれ解決してくれるだろう、なんてたかをくくっていた。

そうは言いつつも、僕は森達也の「A」の終わり方やマイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」の終わり方は、ひとつの憧れとして胸の中に常にあった。特に「ボーリング・フォー・コロンバイン」の、あの壮大な終わり方は、あそこだけ見たってしびれてしまう。なんだって彼は、あそこに何よりも「アメリカ的な」ロックンロールを入れたんだろう。なんてすばらしい演出なんだろう。極端に言えば、「ボーリング・フォー・コロンバイン」がただの説教ドキュメンタリーを抜け出したのは、あのラストの曲があったからだと僕は思っている。

そう考えると、僕はどうにか、すでに作品の序盤に使用していたセックスピストルズを、ラストにもう一度どかんと持って行きたかった。いろいろあったけど、まあ最後は「ピースな愛のバイブスでポジティブな感じ」で終わっておきたいというのが僕の考えだった。ちなみにそれまでの仮ラストは、フランス的な静かなお洒落音楽だった。これはこれで、新しいラブシチュエーションを演出しているし、良かったのだが、いまいちパンチに欠けるというのは否めないところだ。

そういうことで、僕は仮ラストであるフランスっぽい曲から、無理やりセックスピストルズに移って、エンドロールに行くというバージョンで一回最後まで編集し、テープに書き出した。わざわざ書き出したのは、不安だったからだ。だいたいなんで、「源次郎が好きな曲」だというだけで、セックスピストルズの曲がエンディングテーマにまでならなければならないのだろう?なんていうか、「ただマイケルムーアをぱくっただけ」という単純さが、不安だったのだ。

書き出したテープを共同制作者であるづけしに見せると、やはりエンディングテーマについて言われる。「これ…、どうなのかなぁ?」そしてづけしが代案として出したのが、源次郎が歌う「青大空」という唄をまるまるラストに持っていくというアイデアだった。

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2003年10月11日

2003年10月11日

そういえば、僕はまだこの仮完成バージョンを誰にも見せていない。
プレ仮完成バージョンは、づけしに見てもらった。しかしづけしは共同制作者だから、自分が見たのと同じことだ。

今日は具体的に、どの段階で「よし、おしまい」と言ったかについて書こうと思う。

そもそも今回の編集は、膨大な量の素材(テープの録音可能時間のみをたすと、なんと44時間!)の中から、いったい何を削るかという作業に他ならなかった。まあ森達也監督の名作「A2」が10000時間くらい素材があったと考えれば、大したことのない作業だったと思うが…。

例えば、一日かけて撮った長いインタビューがある。源次郎がゲイということをどう自覚していったのか、という話は幼稚園の話にまで遡った。その話を分かりやすくまとめて、幼稚園〜25歳くらいまでの話の素材を乗っけて、それが25分以上だったときには、どうしようかと思ったものだ。校長先生の講話じゃないんだし、そんなにたらたら乗っけてどうする?と自分で突っ込みを入れてみたりもした。

大学の友人で、自分の家族のドキュメンタリーを撮っているエノキは、「インタビューばっかで退屈になってしまう」と悩んでいた。源次郎の話はおもしろいが、さすがにそんなに長くは聞けない。課題の時間制約もある。そういうわけで、この「ゲイの自覚」インタビューの、どの部分をチョイスすればいいのか?ということにさんざん頭を抱えさせられた。

そうやって、インタビューの中身をチョイスしていく過程で、どうしても大事なインタビューがふたつあれば、そのどちらかを削らなければならなかったり(ふたつ並べるとくどくなってしまう!!)、またその結果あるインタビューを選ぶと、それに呼応するほかのインタビューの選考基準が変わってしまったりと、なかなかパズルゲームのような悩ましい日々が続いた。その辺のパズルが落ち着いてきたとき、作品の完成というものが頭にちらついたように思う。

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2003年10月10日

2003年10月10日

作品に区切りを打つのは難しいと思う。
だって、よく言う話だけれども、作品の良し悪しに正解は無いし、ある人がAという正解を提示したとしても、別の人はまったく違うBというものを正解だと言うかもしれない。そう考えると、人の評価なんてある意味どうだっていい気もしてくる。

そんな中で「よし、ここでおしまい」と幕を閉じられるのは、自分が納得できたか、言い換えればやりきったかやりきってないかということに集約される。僕は今日、「条件付き納得」という都合のいい解釈で、自分の作品に区切りを打った。

なにが「条件」だったかというと、それは進級制作という課題の制約である「30分以内」という決まりのことである。30分以内という制約の中で、僕はやれる限りやったはずである。でも、これが40分だったら、違う結果になったかもしれない。そういう「逃げ」を残しておいてある。

僕は、やれる限りやるということを、締切の1分前まで粘ることだと考えていた。しかしそれは受験のときの発想であり、今の自分に適用すべきではないと、考え始めた。僕はなんだか疲れていたし、そういう浪費的発想というか、余裕を無くすようなことは作品にとって害だと思うようになったわけだ。

そういえば、僕はここ何ヶ月か、他人の作品を評価するときに「余裕」という言葉を頻発している気がする。きっと、僕がいま一番大事にしたい言葉なんだろう。他人を批評する言葉は、実は自分を批評する言葉だと、誰かが言っていた。余裕の無い、いっぱいいっぱいな作品ではなく、無理をせず、悠長に、余裕を持って作るということに憧れを抱いているのは間違いない。

そういう気持ちで望んだ第一作の取材対象者が、源次郎だったということは重要だろう。なぜなら、源次郎こそ、「無理をせず、悠長に、余裕を持って」暮らしている人間だからである。(本当の本当のところはどうだか知らないけど…)

「てきとぉに」「どっちでも」「なんとなく」は、源次郎が僕に対して言う言葉ベスト3だったと思う。おかげで僕も、(従来の作品よりは)なんとなく、てきとぉに作れたと思っている。まあ、昨日、今日は若干必死だったが。。。

まあとにかく、終わったことにしよう。でも、ドキュメントの課題提出はもっと先なので、そのときには30分より長い「完成バージョン」を作ることになる。それは、講評で皆さんにぼこぼこに言われたあとに作るんで十分だろう。

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2003年10月6日

2003年10月6日

起きてからずっと編集していた。
ひとりで編集するっていう孤独さはとっても苦手だ。まあしかし前にも言ったように、その辺は絵と同じだと考えればなんとかなる。絵だって、紙と向き合えば、もう一対一の世界だ。そこでうまく自分を分裂させて、分かれた片割れをその世界から外に放出させる。でも最近、外のやつは、僕に少し同情的だ。「ここまで来たら、客観もくそもないんじゃないのか」と外のやつは言ってくる。「どうせ、もう大筋のところは出来上がってしまってるから、いまさら壊すわけにもいかないし、せいぜい気の済むまでやっておくれよ」と体育すわりをしてしまった。

そうすると僕も弱ってしまう。ふと気づいたとき、本当にこれでいいのか不安だ。でももはやいいと思い込まないといけない時期だし、作品もそういう段階に来ていると思う。

またあいまいな文章を書いてしまった…。

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2003年10月5日

2003年10月5日

今日もバイト。疲れたねえ。
お昼に、養老孟司の「バカの壁」とマイケルムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人」を買った。まだ読んでない。全然違う内容だけど、買った時期が同じであることを記念して「バカ・アホセット」と呼びたいと思う。

で本屋をまわったけど、映像のつくりかたってのがサルでも分かるように分厚い本で出版されていて、思わず手に取った。そこには、シナリオの書き方からはじまって、撮影音声照明、編集理論から各種アニメの制作方法まで、チャート式のようにご丁寧に書いてあった。

買おうかとも思ったんだけど、どうも気に入らなくて。この本読んで、「俺は映像が分かった!」なんて思う奴がいるであろうことを想像するとなんだか安っぽく思えて買わなかった。でもやっぱり参考資料として買っておけばよかった。

夜、この前プロントで飲んだブランデーがおいしかったので、酒屋で買って飲んでみる。うん、うまい。適度に酔える。

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2003年10月4日

2003年10月4日

適当に身支度をし、みそカップラーメンを食べた後、バイトのために新宿へ。
最近は新宿の讃岐うどん屋に行くのが好きである。うどん屋はなぜか必ず牛丼を出しているから、「牛丼+かけうどん1玉=380円」というのを食べるのだが、値段の割に腹がふくれる。

とりあえずバイト先の近くにはさぬきうどん屋が2件あるが、やはり本場を体験するべきだろう。四国に行きたい。

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2003年10月3日

2003年10月3日

今日から3連ちゃんで8時間バイトである。今月の中では一番ハードだ。
まあ、いろいろあって非常に疲れた。ストレスがたまる仕事であるのは間違いない。

こんな時期なのに、またドキュメンタリーから離れている。「自分」をどう入れるかを、じっくり考えたいからだ。でも、いまさら遅いのかもしれない。

明日までと思っていた企画書だったが、提出まではしなくて良かったらしい。なんか昨日それに時間を割いていただけに、少々がっくり。しかし、まあしょうがない。最終的なデータを作成しようと思ったがやめにする。

本を読みたいし映画も見たいし展覧会にも行きたいが、金が無い。ノートPCのせいだが、けっこう役立っているので文句は言えない。

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2003年10月2日

2003年10月2日

朝8時までづけしとしゃべってた。

そのあと家でぐっすりと眠り、起きたら15時半だった。それから進級制作のプログラム上映のプランを若干練ってから、姉が引っ越すというので新居に道具を運んだ。平和島のほうなのだが、道が阿佐ヶ谷に近いくらい狭かった。知ったこっちゃないけど、初めての一人暮らしらしいし、大丈夫かなあと思う。

帰ってからまた進級の仕事。なんか正直、もうあまり触れずにおきたかったが、やり始めたものは止まらない。実は、この止まらなさが怖い。この仕事に突っ込まないように、突っ込まないようにと心にたくさんブレーキをかける。

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2003年10月1日

2003年10月1日

大学に行く。
昼は進級制作の会場の下見をする。そうすると、油絵学科が展示のための準備にいそしんでいた。その光景のほのぼのさというか、手馴れた感じが、大人びて見えた。映像学科は機材も多いし性格が異なるのかもしれないが、油絵科のように落ち着いてはいないなと思う。

そのあと、はじめてK主任教授とドキュメンタリーについて面談。もっと取材者である僕を出していったほうがいいというアドバイスをいただく。それはそうかもしれないと思う。でも、どうやって出すか?K教授はナレーションを入れればいいと言っていたが、それはおそらく、すでに出来上がっているものの空気と合わない気がする。生真面目な作品になってしまうのは、一番恐れているところだ。

家に帰り、部屋の掃除をする。友人が家に来るからだ。
我が家に人が来るのは、1年ぶりである。さもしい家だ。田舎にあるからだろう。

9時に溝口にふたりを迎えに行き、お好み焼きを食べてから我が家へ。4.5畳の部屋に機材や本やベッドがところ狭しと並べられてる中で、3人も入るのは苦しい。そのうち、ドランブイを飲みながら辛口トークを展開する。

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