2004年5月31日

2004年5月31日

ジャファル・パナヒ監督の「チャドルと生きる」を見る。キアロスタミ脚本の「白い風船」の監督だ。

イラン本国では上映禁止らしい。女性の脱獄、そして中絶という問題を扱っている。
作品の内容は重く、「白い風船」とも作風は一変している。イラン映画のイメージを変える一本だろう。しかし僕は得意じゃない。なんていうか西欧のスタンダードな感じがするわけだ。僕が女性じゃないというのも大きく関係しているのかもしれない。ただ内容を読みきれなかった部分がある。例えば脱走した女性がバスに乗って逃げようとするが、その前に男もののシャツを買う。あれは何故だったのだろう。考えたが、よく分からなかった。もう一度見ればいいのだが、もう一度見る気にはならない映画だった。

夜から仕事。

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2004年5月30日

2004年5月30日

9時〜21時まで仕事。くたびれた。こういうのを毎日やってる人を尊敬する。ほんとに。

夜から送別会。お世話になった人が辞めてしまった。

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2004年5月29日

2004年5月29日

朝まで「朝まで生テレビ」を見る。司会は田原総一朗ではなく、宮崎哲弥。彼は結構好きだが、やはり田原さんとの違いを感じてしまう。前になんかの雑誌で、「朝生」のプロデューサーが、「田原総一朗は左脳で話しながら右脳でテープを編集している」と評していたことがある。つまりしゃべりながら番組全体の構成を編集しているというのだ。だから、番組を面白くするためにわざと極論を言ったり人の意見を遮ったりする。エンターテイナーだな、と思う。

で、朝から照明講座。いや、これはきつかった。朝まで生テレビ見るんじゃなかった。分かっていたんだけれどもね、こうなるのは。

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2004年5月27日

2004年5月27日

仕事が終わると、モフセン・マフマルバフ監督の「パンと植木鉢」を見る。

これはおもしろい!かなりの傑作ではなかろうか。手法も実験的で、たったひとつのエピソードを繰り返すだけで、当時の状況や監督の人生、考え方についての捉え方などを描ききっている。複雑な時間軸の交差、過去と現在の時間の経過。うまくいえないけど、「羅生門」的な面白さがあった。

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2004年5月24日

2004年5月24日

キアロスタミ監督の作品を、もう一度一から見直してみる。ジグザグ三部作、桜桃の味、風が吹くまま。なぜこんなに心惹かれるのだろう。それを分析してみたいと思ったからだ。

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2004年5月24日

2004年5月24日

キアロスタミ監督の作品を、もう一度一から見直してみる。ジグザグ三部作、桜桃の味、風が吹くまま。なぜこんなに心惹かれるのだろう。それを分析してみたいと思ったからだ。

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2004年5月23日

2004年5月23日

6月号の美術手帖は「デジグラフィ」特集なのだが、その中で森村泰昌というアーティストが、フィルムとデジタルの根本的な違いについて対談している部分に興味が行った。

彼が言うには、デジタル写真の起源はビデオであり、ラジオであり、蓄音機である。フィルム写真の起源は絵画であると。つまりルーツが違うから、役割もまた変わってくると言っている。

フィルムの場合は出来上がったものを真として、その真をあまり改作しないというモラルがなんとなくある。デジタルの場合はあらかじめ編集されることを前提にした世界である。「本当の世界を見ようとするのか、いろいろなデータを集めてある種の世界を見ようとするのか、あり方がまったく違う」ということだ。

まあこれは森村さんの個人的解釈に過ぎないだろうが、ただデジタルもアナログも柔軟に取り入れて制作をしている彼の意見だから、興味深く読んでしまう。それでも彼はアナログ的な、つまり絵画的な作家だと思うから、とりわけデジタルの役割を限定しておく必要があるのだろう。

例えば自主上映なんかはもはやDVが主流になっていて、フィルムはかなり少数派になっている。良いものであればどっちだってかまわないという空気が流れているが、どうも反旗を翻したい雰囲気だ。それは芸術論、映像論を超えて、絶えず少数派グループに移行していく、アウトサイドな性格も関連しているわけだけれども。

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2004年5月22日

2004年5月22日

「嵐を呼ぶライトマン」というサイトの櫻井さんが主催する映画講習会に行った。主に照明講座をやるということで、照明についての知識がからきし無い僕には打ってつけだと思い受講した。よっつも参加した。

まず主催者のひとりが、同じ中学で家も近所というのに驚いた。すごいつながり。

今日は東田真一さんというプロデューサーと成島出さんという脚本家が来て、 なんだかいろいろ話を聞いた。ためになる部分もあった。

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2004年5月20日

2004年5月20日

渋谷でサロンコンサートを見る。僕がフライヤーをデザインをしたという関係で招待されたのだ。
演奏は良かった。大倉山に住んでいたとき、山のギリシャ風の教会のサロンコンサートを聞きに行ったこともあったし、イメージとはかけ離れていなかった。だけどソプラノ歌手がいけなかった。いやソプラノ歌手は良かった。僕がいけなかったのだ。ソプラノ歌手の唄う姿が、なぜか僕の笑いの坪にクリティカルヒットして、うつむきながら笑いをこらえていた。第一部は終わり、第二部になって、ようやく笑いから解放されたと安堵した瞬間、左にメイド姿の二番手ソプラノ歌手がスタンバイしていたのである。これはもっといけなかった。いや演奏は良かったのだ。本当に。僕がいけない。笑ってしまった僕がいけない。

そのあと大戸屋でごはんを食べてから、本を買いに行く。美術手帖と、+81。

そのあと東急ハンズでカドの誕生日プレゼントを買う。実は本当のプレゼントは本屋にあるはずっだったのだが、それは見つからなかった。高校時代からトイレボールだのニッポンハムだのと、なめきったプレゼントを贈り合ってきた僕らだから、今日も手をぬくわけにはいけなかった。それで150円の流木を買った。ただの小枝である。小枝を見ていたとき、通りかかった女子大生4人が、「流木なんて買う人はバカ」みたいな発言をしたあと、「しっ 今買おうとしている人がいたわよ!バカ!」と友人に言われていた。ああ、バカな僕です。レジでかなりしっかり包装してもらった。

高校の友人のカドの誕生日である。いつもの高校時代の面子4人は集まり、溝の口の 「たまい」で飲む。僕はおなかの都合であまり飲めなかったが、楽しかった。

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2004年5月19日

2004年5月19日

友人Hに誘われて、映画「21g」の試写会に行った。

かなり久しぶりのハリウッド映画、あきさせない演出には驚いた。さすがと思った。
しかし愛の描写はセックスだけ、憎しみの描写は拳銃と暴力だけというのは、安易じゃないのか。子供だましだ。最後にテーマを延々説明するのもやめてほしい。

でもいろいろ勉強になる面もあった。行ってよかった。

帰りは「みぞのくちやろう」というラーメン屋で食べた。スタンダードだった。

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