2004年11月25日

2004年11月25日

やっぱり僕にとっては、前向きをアピールされることは拷問なのである。生きるためには、前向きになるしかないのに、それを内的に強制されるような気分になるのは、なんだか無理やり生かされているように思ってしまうのだ。

もちろんそれは、人間という存在は一人では生きていけず、誰かに生かされているのだ、というときの「生かされている」とはまったく別物である。

かといって、ただ恨み、悩みを延々と吐露されるのもどうか。僕も昔の日記を見ると前向きな文章が多かったし、逆にある時期は延々と自分の悩みを書き連ねていたわけだ。でも、やはり今振り返ると、前向きなのよりは、悩みを書き連ねていたほうがマシなように思う。

それは、悩みを書き連ねているものは、それを後から振り返っても悩むことが出来るのに対して、前向きなのは薄っぺらく感じてしまうからだ。当たり前なのだ。「赤いバラは、赤い」と言われているのと同じだ。しかし悩む場合、「赤いバラは、なぜ赤いのか」という、なにやら現象学的なにおいがするが、深い問いに向かっていくのである。

今日聞いた歌や、読んだ文章の妙な前向きさに対して、こんなことを思った一日でした。

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2004年11月23日

2004年11月23日

ウルフルズのトータス松本さんが、ラジオで「MDは耳に悪いから聞くな」と言っていた。


MDは圧縮技術の発達によって生まれた媒体で、現在は新たな圧縮技術を利用してHi-MDなんて出てきて、一枚のMDに800分ぐらいの音楽を詰め込むことが出来る。


しかし、やはり圧縮しているだけに、消えていってしまうものがあるわけで、音楽を生業にしているトータスさんとしてみれば、その削られた部分に敏感になってしまうのも理解できる。もちろん、僕みたいな音楽とは無縁な生活をしている人にとっては、まあ何だってかまわないわけだけど。


そんなトータスさんのお気に入りは「i-pod」らしい。えっi-podも、高圧縮という意味では変わらないんじゃないのかなあ、と思いつつ。


しかし、なんていうかデジタルというものに、なにかやはり危うさはある気がする。


前に書いたかもしれないけど、僕は高校のときに趣味で作っていた「実験ラジオ番組集」のMDの内容が、ある日突然消えてしまった。デッキに入れたとたん、「BlankDisk」になってしまったのである。今思い出してもかなり面白い作品集で、まさにWEBで掲載すれば反響があったようにも思うわけでかなり惜しいのだが、一生懸命作ったものも、デジタルは一瞬で消えてしまう。


デジタルは1と0の世界だというが、まさに1だったものが0になっただけ、精魂こもったものでも、ちょっとした加減で無になってしまうのだ。それは、フィルムが火事で焼けて無くなる、というのとは、たぶん違う喪失感なのではないかと思う。


PCやWEBのデータなんて、同じように、明日には0になってしまうかもしれない。そうすると、たとえばダメ工房のデータなんて始めから無かったのと同じである。そうすると、あらゆる制作の分野で、デジタルなものは「経由」であっても、「着地点」では無いほうがいいのかもしれない。

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2004年11月22日

2004年11月22日

「中南海」は、やはり怪しいタバコなのか。


やっぱり、タバコを吸うということには、ある意味ロックなイメージが付きまとうから、友達のロックバンドの人たちは義務のようにマルボロやラッキーストライクを吸うし、JTのたばこ広告なんか、ずいぶん気合を入れている結果、もうほとんど西洋人がモデルでスマートに唇に加えているわけだ。


そういう中で、やはり中南海は、あまりに東洋的すぎるのかもしれない。つまり、まだまだ東洋的なものは、ロックンロールには勝てないのだ。「憎き西洋の理性主義め、いつかお前らの全てをぶっ壊してやる」などと不可思議な遠吠えをしてみる。もちろん日本には「わかば」という素晴らしい東洋的デザインのタバコがあるのだが、彼なんかはもう市民権をしっかり得ている感じがする。ところが、中南海はそうではない。


僕は中南海が好きだから、やはり人に薦めたいと思うわけだが、そうすると、どうにもアムウェイの押し売りみたいに胡散臭くなってしまうのだ。


なにせ、中南海は「健康たばこ」として売り出している。なんと、中南海の原産地付近では、このタバコを吸っても喉が悪くならなかったり、肺がんの発症率が低かったりしたという研究結果があるらしいのだ。


しかし、中国のことだし、どこまで本気だか分からない。そもそも健康に気を使いたいなら、タバコなんか吸うな、という批判がくる。うむ、確かにその通りだ…。これは、体の悪い環境保護団体の会長が貴重なインドサイの角でできた漢方を飲むくらい、本末転倒な話なのだ。


いや、中南海は健康にいいだけではない、おいしいのだ、と主張してみる。つまり、インドネシアのガラムというタバコは、すごく東南アジアなクセのある味がする。中南海は、いかにも中国を連想させる、漢方な味が口の中に広がるのだ。


こう言うと、こんな批判がくる。「たばこに本来味は無く、喫煙者が味を違いを感じるのは、ニコチン中毒だからに他ならない」。いや、ほんとうにこういう反論があるのだ。タバコに味の違い、あるだろ、と思うが。


いやいや、もうウンチクはいい、とにかく君、一度吸ってみろよ。吸ってみれば分かる。そうして、中南海を一本差し出す。おもむろに取り出したライターで、火を灯す。彼は、深く深呼吸するようにニコチンを吸い上げて、こう言うわけだ。





「…まずくね?これ」





つまり、やはり中南海が市民権を得るには、あと四半世紀は待たなければならないようなのである。近未来、ドラえもんが製造されるころ、大流行になっている中南海に飛びついているロックシンガー達に、僕は伝えたい。


「ようやく時代が、僕に追いついたのだ」

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2004年11月21日

2004年11月21日

ドラえもんの声優陣が一気に変わるらしい。小学生の声を、70近いじぃさんばぁさんがやっていたのだから、いつかはやはり世代交代をしなければならない。これを決断した人はエライと思う。


そして、当然のように湧き上がるであろう、違和感に対する批判。でも、ほかのアニメであったような、「声優が亡くなったので交代」という違和感よりも、ずっと良い気がする。なんせ一気に交代ですからね。ある意味しっかり区切りもついて、新しい声優陣が新しいドラえもんを作っていけばいいと思う。


個人的にはしずかちゃんは小倉優子さんにやってほしいです。やらないだろうけど。


しかし、何かが変わったときに思いつきで違和感を唱える声、あれ、どうにかならないのかなぁと。たとえば、髪をばっさり切ったとき、「前のほうが良かった」という人が居る場合、ほんとうに「前のほうが良かった」と思ったのか、単に変化に対応できていないだけなのか、僕はけっこう後者の場合が多いように思うのだ。


つまり、髪型の場合、それが似合っているか似合ってないかという感覚は、「目の慣れ」ということにかなり依存しているのではないか。そして、それが変わったとき「前のほうが良かった」というのは、単に慣れていたものの変化に不安を覚えているだけなのではないか、そんなことを思ったりするのだ。


そういうことが起こりやすい状況は、たとえばデビューから追いかけていたバンドの音楽性が変わったときとか、お店のデザインが一新されたときとか、サッカー日本代表監督が締め付けタイプから放任タイプに変わったときとか、オリンピック入場の日本の服装が虹色だったとか、例をあげればきりがないわけだが。


そこで違和感を感じることはまあ自然なのだが、そこからすぐ新しいものを否定してしまう方向に行ってしまうのは、なんていうかもったいないというか、閉塞的な思考というか、つまりどうも納得できないわけです。


さっきの髪型の例で言えば、髪型を変えた直後に違和感を唱えて否定することは、本当にその人にとってその髪型が似合っているかどうかということはたぶん考えていないし、そういう答えにはなっていないと思う。


アメリカの大統領というのは、就任してから一定の期間は、野党も政策批判をしないようにする暗黙のルールがある、と聞いたことがある。それは、新しい大統領をやみくもに批判するのではなくて、まずは自由にやらせてみて、真価を見てみようという、実にフトコロの深い習慣である。


ま、たかだかアニメの声優の交代でそんな堅苦しく考える必要もないわけだし、話も良く分からなくなってきたが、とにかく、言いたいことをまとめると、ドラえもんの新しい声優がとっても楽しみで、そして期待しているということで、早々にその発展の芽をつぶすような方向にならないといいなあ、というささやかな願いなのでした。

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2004年11月20日

2004年11月20日

ある人から借りた、中央&東ヨーロッパのプロパガンダポスター集を見ている。


もともと北朝鮮や中国などのプロパガンダアートが大好きなので、頼んで借りたのである。まあ、参考資料なんですが。


しかし笑ってしまうポスターが多い。こういったポスターが大爆笑なのは、やはり作り手が面白くしようとも思っておらず、実に生真面目に作っているからだろう。笑ってはいけない場面だからこそ、「く、く、く…」とたまらなく可笑しくなってしまう。そして、作った人たちはおもしろいとは気づいていないのである。これは、かの有名な名作映画「シベリア超特急」でも見られる構図なのだ(別にこれはプロパガンダじゃないが)。


しかし、こういう真っ赤系のプロパガンダって、どうしてこう似ているのだろう。この胡散臭さ、たまらない。たぶん善悪の構図が単純すぎるからだろう。新しいテーマを探すことはないので、あとはもう表現手法とデカさとドラマチックさのみが必要になるのである。ま、「アトミックカフェ」という映画を見たときに、アメリカもなんだかんだいって北朝鮮とかソ連とやってることは変わらないな、と思ったけれどね。


僕が持っている北朝鮮プロパガンダポスター集にある、「真夜中の大嵐の海の上で、小型ボートの乗組員は皆混乱に陥っているが偉大なる金正日総書記は勇敢にそして冷静に指示を出すの図」を見たとき、思わずご飯を吹き出してしまった。一枚の絵で、これだけ雄弁にストーリーを語っているというのも、すごいなと思った。この分かりやすさも、可笑しい要因のひとつである。


こういった分かりやすい善悪志向に走るのは、やはり体制が危ういからなんじゃないか、と思うわけだ。いま、拉致された横田さんの写真、合成なんじゃないのかという疑惑が出ている。通常の常識では信じがたいが、実際あの国は写真合成いっぱいしているので、あながち嘘ではないかもしれない。こうして、嘘に嘘を塗り重ねていかないと、体制を維持できないのかな?と考えてしまう。


もし、「余裕のないときほど、締め付けに走る」という法則が、国の余裕のなさを表しているとすれば、たとえば東京都の教育委員会がやってることって、なんか危ういよなぁと思ってしまうわけです。そういえば、昔はやった「小室○哉さんが国歌を作曲する?!」とかいう「マクドナルドの肉はミミズ」並みのガセネタですが、あれはどうなったんでしょうかねえ?

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2004年11月19日

2004年11月19日

「ウンコに学べ!」(有田 正光、石村 多門 (著))という本を読んだ。


これは、ウンコを通して都心の下水処理問題に触れ、地球規模の環境問題を経由し、最後には倫理哲学にまで及ぶ壮大な本である。


すべての結論が「みんながウンコをするのだ、ウンコをしていないとは誰も言えない」というところへ向かっており、よくぞここまでこぎつけた(又は”こじつけた?”)と敬服する。


しかしこの本がどうにも笑ってしまうのは、ウンコという言葉の連呼の仕方である。下水処理問題などよく本になっているが、やはり普通なら「排泄物」「人糞」といった表現を使うだろう。しかしこの本では「ウンコ」である。ただウンコなのではない、オンパレードなのだ。目次を開いてみると飛び込んでくるチャプター。


「土と水とウンコのバラード」
「日本のウンコの大河ドラマ」
「ウンコの黄金時代と糞まみれの経済」


…ここまで来れば、もうひれ伏すしかない。ウンコ万歳!ばんざ~い!!


しかし、この本はそうやって巧みに人を引き込んでおいて(果たして何人が引き込まれたのか疑問だが…もちろん僕は引き込まれたけど)、この本は実に重要なことを語っている。


この本では、現代人はウンコをすることを忌み嫌いすぎている、と批判している。そして、そうしてウンコを忌み嫌う一方で、江戸時代人よりも現代人のほうが、「ウンコに近い水を飲んでいる」と指摘する。江戸時代の水田の濾過方法は、ウンコをキレイな水にするのにもっとも適した方法であったが、現代の下水処理方法は処理を急ぎすぎて、あまりキレイにはできていないと、豊富な資料と知識を持ち出して説明する。


僕はこの本を読んで、環境問題というのは自分の生活と隣り合わせなんだなあと、初めて気づいた。いままで温暖化だのオゾン層破壊だの、と本を読んでも、筋は分かるんだが実感が沸かなかったのだ。ところが「ウンコ」である。自分もウンコするし。 


著者は、人が環境を守らなければならないのは、温暖化を防ぐためでも、地下資源が枯渇しないようにするためでもない、環境を失うと自分の存在も失うからだ、と言っている。人は食べて、ウンコをすれば生きられるのだ、と。ウンコ問題をなおざりにすると、環境を失う。だからまず、自分のウンコを認め、その行く末を見届けよう、と言っている。


そういえば、「Think globaly,act localy(地球規模で考え、地域規模で行動しよう)」という言葉がある。環境派の人たちが宗教のように唱える呪文である。


「Think unko,act unko」…。そんな言葉が、読み終わった後の脳内に残っていた。さしずめ、「ウンコについて考えつつ、今日もウンコしよう」というところかな。

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2004年11月18日

2004年11月18日

「起業WEB」というサイトの管理人が殺害された事件で、犯人が逮捕された。事件発生からすぐに、このサイトには犯人の似顔絵などが掲載され、事件解決に向けた協力を呼びかけていた。


WEBサイトで人が亡くなることを知る、というのは実に不思議な気分だ。WEBという無機質な媒体で、生き死にといった人間の動きを知ることに、何と言うか「怖さ」に近いものを感じる。


以前、こういうことがあった。


有名なエロサイトの管理者が、ある日突然亡くなった。サイトを開いたら、友人か誰か、「管理人○○は死亡しました。死因は交通事故でした」といったメッセージが掲載されていたというのだ。


そのエロサイトの掲示板でも、その事件は一時たいへんな反響を呼んだ。エロが目的で来て、死を垣間見るという不条理さ、「お悔やみ申し上げます」と書き込まれていても、オマエもともと抜きに来たんだろ!と突っ込みも入れてみたくなる。


しかし、その管理人の死亡報告が、なにかとても怖かった。WEBサイトを見ていると、その管理人はエロが好きで、それで商売をしていて…それだけの存在なのだ。ある意味、永遠の存在といってもいいだろうか。それが、死亡報告で、突然人間になるのである。彼には両親がいて、友人がいて、誰かが彼の死を悲しんでいる。


その突然隠されていたドアを開けたような感覚に、僕は妙な身震いを覚えた。当たり前のことだけど、オンラインでは、そうした生の感覚が、やはりぼやぼやしてしまっているのだろう。ひょっとしたら、逆に、彼が有名なエロサイトの管理者だ、ということを知らない知人・親族がいたのかもしれない。葬式に、そのエロサイトのファンの人が参列に来たのかもしれない。死後、彼のパソコンを見た家族らは、どう思ったのだろうか。逆に、家族などいなかったのだろうか。


そんなことを、大学2年のときに、シナリオにしてみようかと思ったけど、完成には至らなかった。いつか、しっかり書ききってみたいところだけど。

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2004年11月17日

2004年11月17日

喪中はがきはあと数枚で50枚目になります。


最近の更新率の低さから、「さすがに、もうアイデア尽きたみたいだね」「苦しんでるみたいだけど、がんばって!!」という声を、よくかけられる。お心遣い、本当に嬉しいです。


ほぼ日刊イトイ新聞の、鳥越俊太郎さんのコラム「3分間でニュースを知る あのくさ こればい」で、いつの記事だったか忘れたけど、テレビに出てニュースについてあれこれコメントし続けていると、出すばかりでなにか枯れていっているような感覚になる、ということが書かれていた。そういう時は、自分で情報を仕入れたり、それについて考えをまとめたりといった、「入り」の作業をする必要がある、らしい。


これは僕にとっても同じだなあと思った。見切り発車ではじめた喪中はがきも、50アイデアも出してしまうと、自分の中のものが無くなってしまう感覚に襲われる。同時に、50しかアイデアが出なかった自分に対して愕然とした気持ちにも襲われる。


僕は喪中はがき展に向けて、はがき制作以外のことにも力を注がなくてはいけません。ダメ工房員のづけしにも言われたのだが、もともとこの企画はチームでやるべきものだったのかもしれない。僕ひとりであれこれと手を出している。もちろん、チームに入ってくれる人がいれば今すぐにでもどうぞ!という感じだが、なかなかそういうことにはならない。


今後、僕の制作の力の入れ具合が、はがき以外のところに行くと、はがきアップは難しくなるわけで、その点ご理解いただければと思います。はい。

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2004年11月16日

2004年11月16日

なんか、2004年4月1日以降の新聞を読んで、毎日の暮らしの中であなたを最もHAPPYな気持ちにした記事を、日本新聞協会が募集しているらしいですね。


僕はかなり新聞を読み込むのだけれど、スクラップにして保存したりはしていない。だから、いざ「幸せな記事を出せ」といわれても、ひょいとは出てこない。でも、何かの会話の折りに、僕の脳内細胞が刺激されて、「あのときの、あの記事」が走馬灯のように駆け巡って、それを頼りにくだらないうんちくを披露したりすることはある。新聞を読んでよかったなあと思うのは、そういう時だろうか。


僕は、連載特集ものが好きである。たとえば、誤審でもめた、高校サッカー準決勝の特集記事。勝った高校のキャプテンは、その後ビデオでどう考えても誤審だったことを知る。相手チームのキャプテンにも電話し、友人らとも相談し、悩みに悩んだ結果、決勝の試合に出ないことを決める。


これは結構前の記事(たぶん、2,3年前)だが、非常に印象に残っている。戦争とか、経済とかと比べると実に些細な記事だけど、いろいろ考えさせられる話である。この話で、映画なんて作れるんじゃないのか、と思う。


逆にどうも好きになれないのは投書欄である。単調な政治批判、反論を許さない人権派の主張、十代しゃべり場みたいな熱く順当なメッセージ、べつに個々の意見が嫌だとかじゃないんだけれど、読んでいてなんだかイライラしてくる。「私たち、良識派ですよね?」みたいな空気が、どうもなじめないのだろう。たまに、ぐっとくるのもあるけど。


「スカトロ好きな夫 拒否できない私」とか、そういう暴露系も入ってくるといいんだけどな。


さてさて、今年4月以降、幸せな記事はあっただろうか。少し、探してみよう…。いいチョイスには賞金も出るようです。詳しくは下記サイト。

HAPPY NEWS2004

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2004年11月15日

2004年11月15日

風呂に、硫黄の入浴剤をかけている。


硫黄の温泉って体がぽかぽかするよね。暖かさの持続性があって、冬には最適だなあと思う。


それで、お風呂から上がっても硫黄の匂いなわけです。


でも、硫黄の匂いって、どう弁解しても、屁のにおいですよね。


あと、ウコンって、何度見てもぱっと見「ウンコ」に見えてあせりますよね。

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