2004年12月31日

2004年12月31日

はい 気づけば大晦日です。コンテンツを更新する暇がないので、せめて日記だけでも絶やさぬようにしなければ…とか思いつつ。

僕は徹夜というものが好きではないのである。まあ徹夜が好きな人はいないと思うけれど、「ひょっとしたらこの人、徹夜に恋してるんじゃないのか?」と思ってしまうくらいに、頻繁に徹夜している人がいる。

しかし糸井重里氏が指摘しているように、徹夜というのは怠惰の隠れ蓑なのだと僕も思う。徹夜すると判断がにぶるし、普段だったら良しとしないところを良しにしてしまう。睡眠をしっかりとって、次の日の朝にでもこなしたほうが、幾分かいいものができるのではないか、というのが僕の持論である。

しかしどうだ、ここ3日くらい、僕はほぼ寝ていない。その前からもほぼ寝ていない日がちらほら続いているから、今月は徹夜ばかりしている。しかしもう理論うんぬんではない、切羽詰まっているのだ。いまこれを書きながら、遠くのほうの空がぼんやり明るくなっている。

なぜこんなに徹夜しているかというと、僕の中の目標を到達するためである。つまり、喪中はがき52枚のプリントおよびラミネート加工およびボード貼りの作業を、今年中に終わらせておきたかったのだ。

そして先ほど、その作業が無事に終わった。いや、無事かどうかはよく分からないが、とにかく終わった。それで、いまこうして日記でも書こうかというところなのである。


僕の制作上の欠点は、まずはいっぺんにいろんなことをこなせないことである。あらゆることをしなければいけない、と思うと、混乱して何をしていいのか分からなくなるのだ。そうすると僕は、これをしよう、これだけをしよう、いまはこれだけをしておけばいいんだ、というふうに持っていかないと、にっちもさっちも行かなくなってしまう。そして、第二の欠点は精神面の弱さである。制作過程でさまざまな問題点に気づく。中には致命的なものもある。あれも、これもと課題が蓄積されていくほど過度に追い込まれる。そして、なにもできなくなる。

なにもできなくなるというのは困ったものである。なにせ、そうなってしまうと、完成しないのだから。

そこで、僕は保険をかけながら制作するという手法を考えた。つまり、ある地点で止まってしまっても、その地点で一応出せるものを確保しておくのである。

今回の場合、その第一歩目が、喪中はがきのプリントであった。

「創作喪中はがき展」と銘打っている以上は、最低限、喪中はがきさえあればなんとかなる。いま、ようやく、その「これでとりあえず、なんとかなる」という地点までは到達したと言うことなのだ。最悪あしたから締切りまでインフルエンザにかかったとしても、はがきを床にばらまいておけば、一応作品になる。これで、僕の精神世界の暗闇の混乱にも、少しは光が差し込んできたというものだ。

しかし、この手法を使うことで失うものは多い。詳細はいえないが、はがきのプリント作業をしているあいだは、他の何にも手がつけられなかったのである。たとえば何か約束をしていたとしても、それを僕は放棄すらしてしまったのだ。それで失ったものは大きい。

もちろんそれがいけないことなのは十二分に分かっている。分かっているが、僕は弱い人間、つまりダメ人間。最終的には自分中心に考えてしまうのである。これからは、その失ったものをどうにかして補修していくようなことから始めなければなるまい。

なにはともあれ、ひと段落ついた。とりあえず、今日は休もう。そして、ゆるやかな年越しを迎えたい。

年越したら、次の「保険」へとまっしぐらである。はがきが完成したとしても、「創作喪中はがき展」という作品の完成像を100とすると、まだ50くらいの地点にいるので…。

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2004年12月27日

2004年12月27日

僕の喪中はがきという企画は確かにふざけているんだけれども、「ふざけている」というかなり分厚い層の奥の奥のほうに、「僕のほんとうの気持ち」という層があるような気がしている。

企画を考えて、作品をつくっていくうちに、その層がいったいなにものであるのか、分かるのかな、とか思いながら、探せど探せど「ふざけている」という言葉しか跳ね返ってこなかったり。

最近、なにか心にひっかかった新聞記事をスクラップするようにしている。今日そのスクラップを並べてみたとき、「死」という共通のワードが浮かび上がる記事ばかり集めていることに気づいた。

具体的には「死との向き合い方」についての記事である。僕は若い。死なんて語るにはおこがましい存在だ。死と向き合うなんて、もってのほかだ。しかしだ、人は誰しも死ぬ。0歳の子どもだって死ぬこともある。そういう意味では、人は母親の胎内にいるときから、死や、死との向き合い方について考える権利を持っていると僕は思う。それがどれだけ幼稚で、馬鹿馬鹿しくて、意味のないものであったとしても。

ところが、ラ・ロシュフコーというフランスの文学者は「太陽も死をじっと見つめることはできない」と言っている。その言葉を引用したあるコラムでは、「死から目をそらす子どもが、増えている」と指摘している。

ひょっとしたら、僕がいま死について考え、それを笑いに転化しようとしているのは、僕なりの「死との向き合い方」を模索しているからなのかもしれない。しかしその向き合い方は、逆説的に死という現実から目をそらしている。

結局僕は、過去からなにも変わっていないのかもしれない。死ぬまで、目をそらし続けるのかもしれない。

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2004年12月26日

2004年12月26日

さてさて、花瓶ぶち壊し事件の罪悪感を引きずりつつ、僕らは聖蹟桜ヶ丘駅ちかくにある府中四谷橋というところに行った。

もともとづけしとのロケハンで来たことがあったので、道に迷うことはなかった。12時過ぎに到着したのだが、撮影したいのは「夜明け」のシーン。

そこで、近くのファミレスで時間をつぶすことに。

しかし僕は夜明けの後も予定がめじろ押しだったので、車の中で仮眠をとることにする。

ところが、車の中が寒い、寒い。冬だな、と思った。しっかり着こんで、お決まりのYO LA TENGOの「And then nothing turned itself inside~out」を小さくかけながら、目をつぶってみた。

しかし…しかし、眠れない。寒いとかが原因ではなく、なにかこう体が眠るモードではないのだ。これは困った、早く寝なければとあせるほど、眠れなくなってしまう。まあ横になって目をつぶっているだけでも、疲労度が違ってくるだろうと自分を説き伏せ、だまって考え事でもしてみる。

そうするとすぐに、4時ごろになり、づけしたちがファミレスから出てきた。

府中四谷橋のすぐ横で待機するが、なかなか夜明けは来ない。結局夜明けが来たのは、朝6時半ごろ。冬の朝って、こんなに遅いのか、とちょっと感慨深かった。

さて撮影だが役者さんの名演技あり、朝日のキレイさもあり、なんだか良い現場だった。ロケのいいところは、やっぱり綺麗な所を撮影しようとしているから、必然的にスタッフである僕らも綺麗な景色を見れると言うことである。これは、北九州でも感じたことだ。

さてそれが終わると早々に僕は帰る。家に着いたのが8時半ごろ、それから1時間ほど仮眠する。

それから機材をまとめ、代々木八幡へ。

そこで、僕の作品の撮影をするのである。昨日づけしの撮影で役者をやっていた、シネ健の松本さんにスタッフとして手伝ってもらう。

子どもの撮影だったのだが、もうすっごいいい服着て。おいおい、喪中はがきの映像だぜ?とか思いながら、そのギャップがまたいいかも、とか思ってゆる~く撮影は続いていく。

終わったら子どものお母様方に、なんと昼食をご馳走になる。おいおい、こっちがご馳走するべきなのになあとか思いつつも、ついつい遠慮せず食べてしまう僕であった。

それが終わって松本さんともお別れすると、今度は夕方ごろ、新宿で喪中はがき映像のナレーターをするという人と顔合わせをした。しかし、この時間になると意識が朦朧としていたと言うか、何を言っていたのか自分でもよく分からなかった。まあ、悪印象を与えたのは間違いないな、とか後悔しつつ…。

帰宅したのは21時ごろ。家について着替えもせずノックダウンしましたとさ。

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2004年12月25日

2004年12月25日

昼くらいからづけしの卒業制作の撮影のため、鎌倉に向け出発する。16時過ぎ、鎌倉到着。マクドナルドでづけしと落ち合う。ほか、スタッフも何人か。づけしの親戚の経営する喫茶店で撮影。

室内、そして屋外と途中休みもはさみながら、それなりに段取りよく撮影は続く。そして22時半ごろ撮影終了。しかし事件はそんな安堵の中に起きた。

スタッフのひとりが、撮影で使用していた脚立を落としてしまったのである。それが入り口から階段をつたって下まで滑り落ちてゆき、その流れで花瓶が一通り倒れてしまった。土はばらまかれ、花が飛び出して転がっている。

これはまずいということになって、明かりもない中必死の修復作業の開始。しかしこぼれた土も茶色いわけで、暗い中ではよく見えない。そこで僕が、花瓶と花と土を、お店の入り口の前にある電信柱の下に持っていこうと提案してみる。

しかしこういうときは何を提案しても、状況は悪化していくのだ。安部公房の小説で、僕が好きな「無関係な死」という話は、主人公の部屋にまったく見ず知らずの死体が転がっているというものである。しかし状況的に自分しか殺したの人間はいないと、他人は思うのではないか?と不安になり、主人公は自分はやっていないことを示すアリバイ作りを始める。しかしそのアリバイ作り自体が、自分が殺人者である可能性を引き上げてしまうのである。

花瓶を店の入り口の電信柱の前にもって行った僕が、なんとそこで花瓶をうっかり倒してしまう。「あっ」という声が出るより前に、お店の入り口前は土だらけになってしまった。この状況は最悪である。

そしてそういうタイミングで、づけしの叔父さんが「夕食を食べていきなさい」と厨房から声をかけてくれたのである。


なんて、申し訳ない…。


ほうきとちりとりを借りて、相当一生懸命に土を掻き出した。おかげで僕がばらまいた部分については、まったく何事もなかったのかのように修復できた。しかし階段は土を踏んでしまっていたため、ほうきでは取れない部分が多くなってしまった。づけしの親戚に事情を説明し、かなり謝った。目の前にはおいしそうなビーフシチューとカレーが置いてあり、づけしの親戚に対しても、自分に対しても、申し訳ない気分でいっぱいだった。最初に倒したスタッフはそういう気分が体全体からオーラとして放出されていた。

ちなみにビーフシチューは涙が出るほどおいしかった。


それが終わると、車で聖蹟桜ヶ丘付近の橋の撮影のため、車を動かした。

ラジオでクリスマスの曲が流れ、「あ、今日はクリスマスか」と思った。

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2004年12月23日

2004年12月23日

今日は仕事だった。先日と同じように、梅が丘の図書館で新聞の縮刷版を調べる。しかし、慣れてきたからなのか、前のような発見や感動に乏しかった。

図書館は祝日ということで17時に閉館、それから場所を経堂に移し、仕事先で作るサイトの内容を考える。

18時半、仕事先が主催のイベントがあるので参加する。それは、昔日本テレビでやっていた朝の教育番組「カリキュラマシーン」のディレクターのお話を聞くというものだった。

70年代の番組ということで、僕は見たことも聞いたこともない。しかしまず番組を見てみると、それはたぶん、同じ朝番組の「ウゴウゴルーガ」に近いのかな、と思った。ウゴウゴルーガがあらゆる事柄を最新のCGやプログラムで表現していたのに対して、カリキュラマシーンは先鋭的なアニメと馬鹿馬鹿しいコントで表現している。
このコントも(いい意味で)ひどいもので、水商売系のネタとか、こんなの子供番組で朝に流していいのか?と思ってしまうほど。

話によれば、もちろん批判はいっぱいあったのだそうだが、プロデューサはそれを自分で止め、ディレクターにはそんな批判を一切聞かせず、自由に作らせたのだそうだ。おもしろいものというのは、そうして生まれていくのだなぁと思った。

企画書を見せてもらったが、馬鹿馬鹿しい内容とは一変、実に真面目な内容が書かれている。まず、どこかの学校の著名な教育学者の名を挙げ、その人の教育理論に基づいて最も有効なカリキュラムを設定すると書かれている。端っこのほうに、それを真面目にやったって子供はみないから、「面白い要素」も入れる、なんて書かれている。

その正論攻めの企画書に、この番組はおもしろいから絶対に実現するぞ、という意気込みを感じた。

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2004年12月22日

2004年12月22日

新宿にいく用事があり、ついでにICCでやっていた明和電機展に行った。

最近慌ただしくて本当はそんなことをしている余裕はないのだが、いまこれから卒業制作の「喪中」が大詰めになると考えたときに、明和電機の展示を見る必要があると判断したのだ。(そして会期の関係から、今日を逃すともう見れなくなる、というのもあった)

高校生のときに小田急百貨店かなんかだったと思うけれど、初めて明和電機の展示を見た。あのときの衝撃は、筆舌に尽くしがたいものがあった。

「魚器」シリーズは「喪中」を発想させる原点になったし、「Tukuba」シリーズも馬鹿馬鹿しさがかっこよかった。しかしそれよりももっと影響を受けたのは、やはりあの展示方法ではなかったかな、と思う。

まず展覧会ではなく、「製品発表会」であり、作品そのものは売らず、その2次利用によって収益を得るというシステム(だから、作品も再現性が高い)。製品発表だけに、製品紹介のプレゼンテーションやビデオ作品制作にも余念がない。展示会場の色彩やロゴを統一し、壁面には社訓と制服が掲げられ、会場には社歌が流れている。今回のICCでは社訓とか社歌とかはなかったが、やはり展示空間全体の完成度、世界観はほかのあらゆる展覧会よりも一歩抜きんでいるというふうに感じる。

今回は押し付けがましくも「制服レンタル」なんてものまでやっていた。僕はやらなかったが、「明和電機」というブランド自体を展示してきたからこそできる試みだろう。

個々の作品もそれぞれ素晴らしいけれど、それよりも展示空間に入った瞬間に「ヤラレタ!」と思うその徹底的な「明和電機ワールドの構築」が、もう作品としての見ごたえを出していると思う。


しかしやはり見終わった後、へこんだ。ひるがえって、自分は?と、まあ当然思うわけで。

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2004年12月21日

2004年12月21日

さて今日は、仕事の関係で図書館に行き、昔の新聞の縮刷版を読み込んでいた。

僕が読んだのは1964年の新聞で、昭和でいうと39年になるだろうか。いまから40年前である。

ところが可笑しいことに、いまの紙面をにぎわせている内容と、大して変わらないのだ。


たとえば、当時少年の通り魔事件など少年犯罪が続出したことを受けて、

「最近、少年による悪質きわまりない事件が急増している…それはなぜだろうか?それを取り囲う大人にも責任があるのではないか?」

などと書かれている。これ、今の論調となにも変わらない。


また、他の日のある日の囲み記事。

「有明海のノリに、異変」

昔から異変だったんかい!と突っ込みたくなるような。


他にもいろいろある。

ベトナム戦争の戦火の状況や、続けざまに起こる人質事件の報じ方は、今日のイラク戦争やパレスチナ紛争と変わりなく見える。

ある投書欄では、ある大人が「最近の学生はマナーが悪い」と言う。

ある教育学者は、「最近の学生の英語力は低下の一方であることを危惧する」と指摘する。

1970年代の縮刷版も見てみる。当時はなにかイランにいろいろ問題があったようで、アメリカは例によって”世界の警察”としての任務をおしつけがましく全うしようというところだった。そこで、日本外交への”弱腰”批判。これも今と同じ。


まだまだいっぱいあった。枚挙に暇がないくらいに。


歴史を紐解けば、何千年も前の古代ギリシャかなにかの記録でさえ、「最近の若者は…」と書かれていたと聞く。ある哲学者は、「人間が歴史から学ぶことは、人間はなにも歴史から学んでいないということである」と言っている。

僕も縮刷版から、40年経って、自分を取り巻くあらゆることは、あんまり変わってないんだなぁということがよく分かった。もちろん科学とかさまざまなシステムとか、いろいろ発展はあったのだろうけれども。それに乗っかって、暮らしているわけだけれども。

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2004年12月19日

2004年12月19日

今日はお仕事だった。内容は、まあお金もらって本気でダメ工房作っているような感じ。なかなか不思議な気分。

夜に、鹿のハンバーグ食べた。臭みも無く、かなりの美味。


卒業制作だが、12月にやらなければならなかったことが、だいたい1月に後伸ばししなければならなくなっている。つまり、スケジュールの都合上である。怠慢だった自分もあるが、それだけではない、大人な理由がそこには潜んでいる。

でもちょっと前にはずいぶん混乱していた僕の頭の中が、ある程度すっきりしてきたのは、少し前進であると思いたい。

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2004年12月18日

2004年12月18日

ええっと、何人の方が気づかれたかは分かりませんが、この日記はブログになりました。コメントも書けます。RSSの機能も付いてます。トラックバックもできるらしいです。

フリースクリプトをいじりにいじって、なんとなくブログがどういう仕組みで出来ているのかが、おぼろげながら分かってきた気がする。分かってくると、いろいろなアイデアも浮かんでくる。つまり、日記だけに採用するにはもったいないシステムだ。今後は多くのコンテンツをブログに移行することになるだろう。

昨夜もらった、ゼミの教授が書いた本「テレビの嘘を見破る」だが、なかなか面白かった。

内容としては、教授が持っていた授業「映像原論」「映像演出論」の集大成といったところ。映像表現における「事実」とは何かを、徹底的に追求している。特に丁寧に追っているのは、数年前話題になったNHKのやらせドキュメンタリー事件である。

NHKがしたやらせの一例はこうである。スタッフの一人が外国の山のロケ中に、高山病にかかった。その経験をもとに、その症状が治った後に、「高山病にかかったという演技」をしたのを撮影したのである。これに対して、新聞などがきつい批判を向けた。

教授は、それがたとえやらせだったとしても、高山病にかかったこと、高山病にかかるほどの環境だったという「事実」は残っているのではないか、という立場をとっている。ありもしないことをでっちあげて伝えるのは「捏造」だが、分かっている事実、経験している事実を「再現」することは、ドキュメンタリーの表現上なんら問題は無いと言っているのである。

僕もこの考えかたに賛成である。というか、ドキュメンタリーを作るにあたって、この考え方に沿わずに作るのは実に難しいと思う。僕の作品「男でつらいよ~源次郎の恋」の場合も、再現はないが、事前に脚本は渡しているし、ほぼ全編に渡って、程度の差こそあれ演出上の指示を出している。

僕としては「自分のなかの真実」を表現することがドキュメンタリーであって、極論を言えば、そこに映っている源次郎は、源次郎そのものではなく、「僕の思う源次郎像」に過ぎない。そういう意味では、ドキュメンタリーは限りなくドラマに近くもあり得ると思う。しかし演出をすることによって浮かび上がる真実、というものもあるわけで。

その辺全部すっ飛ばして、「ヤラセではないか!」という指摘があったとしても、開き直っているわけではなく「ヤラセだから何なのか」と率直に思う。というか、あらゆる映像にヤラセ要素はないと思ってみている人がいるとしたら、その人はメディアの影響について危機感を持ったほうがよいのではないか、とさえ思う。

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2004年12月17日

2004年12月17日

今日は卒業制作に関するいろいろと雑務をこなした。
久しぶりに大学にも行った。

みな、口々に「元気?」と聞いた。僕はここで「元気」と答えるのは正直ではないと思うので、「決して元気ではない」「いや、元気なわけがない」などと答えてみる。

あまりに来て無さすぎて、自分にとって大学というのはすごく遠い存在になっている。この前立教大学のキャンパスに行ったときと、同じ感覚でもって自分の学校を歩いているのだ。

さて、今日は後期一度もお会いしていないという、ゼミの教授の最終講義の日だった。しかも、あろうことか僕は最終講義に遅刻した。

しかし、そのあとのお別れパーティみたいなのには参加してみた。映像学科のほかの教授陣も居たが、僕にとっては知っているような知らないような、非常に微妙な関係なわけで、なかなか縮こまった。

引退する教授から、最近出したという本をもらった。あとで読んでみることにする。

教授が映像学科で驚いたことは、映像原論という授業で映像を上映するのに、上映が始まったとたん寝る人がいたことらしい。



…ってそれ、まるっきり俺じゃん?

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