2005年4月30日

2005年4月30日

先日の任務失敗を取り戻すべく、ふたたび大学へ行く。あに~たは休みなのにも関わらず、研究室に居てくれた。本当にすみません。

で、そのあと、まだ在籍中の日本画科の友人と鷹の台駅近くの喫茶店で、雑談。やはり絵についての話になる。ますます、絵が上手になりたいと思う。美術の勉強をしようと思ったのは、やっぱり絵が上手くなりたいっていうことなんだと思う。

転勤族で引越ばかりしていた僕は、転校した後で誰かに目を向けてもらえるための手段として、絵を描いていたと記憶している。絵がじょうずで、おもしろかったら、みんな振り向く。いまも、基本的にはそういうことで絵を描いたり、ものを作ったりしているんだと思っている。

そして今、絵がじょうずに描けないことで、歯がゆい思いもしている気がする。大学時代はほとんど描いてなかったし。鉛筆も、浪人時代に大量に購入したものがまだ無くなっていないというのが、自分がいかにさぼってきたかの証になってしまっている。

映像もつくりたいんだけど、いろんなことをいっぺんにするほど、器用でも無く。ここ最近の優先順位は、やっぱり絵。

なかなか自分が集中する空間を維持するのは難しい。適度に音楽をかけたり、コーヒーを飲んだり、呼吸を整えたり。アトリエで石膏を12時間とか描かされたりするのも、描写力の鍛錬というよりは、集中力の鍛錬だったのかもしれない。

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2005年4月29日

2005年4月29日

朝、目覚めると、体が燃えるように熱かった。それは気温が高かったというのもあるだろうが、自分自身の体も微熱があるようだった。体を動かすのもままならず、仕事欠勤の旨を伝えて、そのまま倒れる。

昼過ぎ、目が覚めると、体調は少し良くなっている。そこで、WEBを更新する。

ちなみに、5月は、シャッター画の制作をWEBと連動させてみたいな、なんてことを考えてます。

それでまた具合が悪くなってよこになって、夕方になって、シャッター画をイラストボードに描く作業。こういう段階的な描き方は初めてだけど、山口晃の絵を見に行ったときに、下絵にも相当時間をかけているように感じたし、会田誠もけっこうしっかり下書きを描いているらしいことが、持っている本から分かる。

特に今回の絵はいままで一度も描いたことの無いサイズということで、自分自身でも描けるかどうかが怪しい。大見得を切って「ゼッタイに描ける」と言ってみても、答えは結果が出るまで分からない。昨日はトタン屋で店長さんに「あれ、本当に描けるの?」と言われたけど、描けるような、描けないような、という感じが正直なところである。

でも彫刻の先生には、「自分のキャパシティよりも大きい事に取り組むべきだ」と言われたことをすごく覚えているし、決して描けないという感じでもないし。直感的には、描ける気がする。

ただ、現実問題としては大きいために形がきちんととれるかどうかが問題だ。これについては相当戦略を練っていく必要があるだろう。

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2005年4月28日

2005年4月28日

映画を見たりする仕事。終わらせるが、イマイチ納得できなくて。相談して、もう少し映画を見ることにする。

ムサビでやった仕事に重大な録画ミスを発見。すごく落ち込む。あに~たごめん。

夜、トタン屋5周年記念とのことで顔を出しに行く。マーチに編曲された「君が代」がでかくスピーカーから聞こえる。それが終わった後、ジョンレノンの「スターティングオーバー」が流れる。意味が分からない。振り子は右から左へと振り切れている。

いまさらながら絵がちゃんと描けるのかどうかという気持ちになる。しかし僕は描くだろう。

EELSの「blinking lights and other revelations」が届く。オリジナルアルバムなのに二枚組みで、全33曲。しかも手抜きなし。1枚目と2枚目では使っている楽器などの印象が多少違うように思ったが、意識して区別しているのだろうか。とにかく、一曲目の1フレーズ目を聞いただけで、それとわかるEELS節がたまらない。切ない。昔のアルバムのような雰囲気を醸し出しているが、夕方経堂を歩きながら聞くと、風景とあまりにマッチして感動した。

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2005年4月27日

2005年4月27日

休み。イラストボードなどを買うために画材屋に歩く。

LOWの「The Great Destroyer」が届いていたので、歩きながら聞く。想像以上に親切な音。友人のMに聞くと、このアルバムはほかの作品とまるで作風が違うのだそうだ。僕はもう少しゆっくりでけだるい感じを想像していたので、今回のは今回ので聞きやすいが、以前のも聞いてみたいと思った。

今日はなにもしていないのに何故か疲れが溜まる。鉄道事故のニュースは、聞くたびに規模が大きくなる。マスコミは横柄で、なにか鼻につく。

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2005年4月26日

2005年4月26日

いろいろな経緯を経て、狛江在住の大学の友人を無理矢理誘って経堂で飲む。でも楽しかった。

夜、シャッターの下絵完成。送信する。「二日酔い研究会」の発展バージョンだと考えていただければよいです。会田誠の「切腹女子高生」をかなり参考にする。

毎日、落ち込んだり、盛り上がったり。でも楽しいような気もする。大学時代のような生活が、とりあえず1ヶ月は継続できたことが楽しい。もっと継続できたら、もっと楽しいだろう。でもそれには、やらなければならないこともいっぱいありそうだ。

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2005年4月25日

2005年4月25日

今日は諸事情があって、大学に行くことになっていた。
そこで、多少早起きをして、仕事のために是枝監督の「幻の光」を途中まで見て、すぐに家を出ようとしていたが、そこであの列車事故のニュースである。

マンションにへばりついて「く」の字型に大破した車輌は、間違いなく1両目だと思っていた。それだけで大事故だと思ったが、その車輌が2両目だと知って、超大事故なんだと思った。テレビに映し出されるあらゆる光景に、胸を痛めた。

大学はキャンパスに入った瞬間から、想像以上に居心地が悪かった。そういうと語弊があるので言い直すと、自分の居場所が無かった。もともと在学中から居場所が無かったが、ますます無かった。研究室に友人で教務補助のあに~たが居なかったら、絶望的な気分になっていただろう。あに~たが居てくれて、時間が空いたときには話しかけてくれたり、気を使ってもらったりして、本当に救われた。嬉しかった。

それから事務所へ行く。経堂系ドットコムの更新作業をする。やはり事務所でも事故の話。

帰ってからテレビ、やはり事故のニュース。報道ステーションで、娘が見つからない父親のドキュメント。そのドキュメントの直後、死亡して身元が確定した14人のなかに、その娘さんの名前がテロップで表示される。それと同じように50の悲しい別れがあって、580の不安があって…と考える。そういえば、今朝見た「幻の光」でも、劇中の夫は鉄道事故で亡くなったのだった。

今日は絵は描けないので、もう寝ることにする。

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2005年4月24日

2005年4月24日

一日、絵を描いていた。描いたり消したりの繰り返しだったが、なんとかまとまってきそうだ。このまま行けば、もうすぐ下絵は完成するだろう。

ここにきて、以前神保町にある北朝鮮ショップ「レインボー通商」で買った、オランダ版「中国プロパガンダポスター集」が、とても役に立ってきている。けっこう値の張る本だったけれど、やはりこういう資料にお金をかけることは大切だと思う。昨日買った、葛飾北斎の画集も役に立っている。

夕方、水泳の日本選手権をちらりと見た。小・中のときの友人である高安君が、百メートルバタフライ決勝で優勝した。表彰台で、目にうっすら涙を浮かべる姿を見た。五十メートルバタフライでも優勝しているから、いやスゴイ。調べてみると、1月のモスクワでの水泳W杯でも優勝しているではないか。今年は当たり年なのかな。北京五輪に出場なんかできたらすごいよなぁ。

今では、むかし近くの市民プールで一緒に泳いだ経験がとっても貴重なものだったのだと思う。あのときから、彼がバタ足で、僕がクロールで泳いでも、追いつけなかったわけだが。

昨日衝動買いをした、美術手帖2月号「アーティストになるためには」が面白い。卒業制作展の準備に追われて買えなかったのだけれども、あのとき買っておけば、3月の個展も、準備面において心構えが違ったかもしれない。

この2月号を求めて、あらゆる書店をめぐったがどこも売り切れだった。昨日やっと見つけたのである。それだけ、「アーティストになるためには」の先を知りたい人が多いということだろう。冒頭の会田誠のインタビューで、「最近の年収は300~400万」という発言が載っていたが、あれは本当だろうか。あれだけの売れっ子美術作家が、本当だろうか。本当だと、アーティストというのはリスクのでかい職業なんだなあと思う。

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2005年4月23日

2005年4月23日

意外に早い時間に起床。まず、仕事の関係で映画をいっぱい見ないといけなくて、その第一弾として「愛のコリーダ2000」を見た。だいたい内容は知ってたんだけど、あそこまでさらけ出しているとは思わなかった。つまり、仕事には使えないということだった。経費の無駄ですね、すみません。

内容は、昭和の初期に、阿部定という女中が、料亭のオーナーを愛しすぎたがために、男性器を切り取って惨殺したという、実際の事件をベースにした映画である。作品のほとんどが、セックスシーン。それしかない。逆に、ストイックさを感じるほどに見せ付けてくる。でもいやらしいというよりは、なんだか途中から怖くなってきた。中盤から、いつオーナーが殺されるかわからないという緊張感があって。つねに画面から、死の気配があった。まさに、エロスとタナトスという言葉について、考えざるを得なくなった。

なんだか、賛否両論のようだけど、ものすごく感動と言うか、気持ちが揺さぶられる作品だった。単純に素晴らしかった。

そのあと、シャッター絵について考える。思うところあって、新宿に参考資料となる画集を買いに行く。同時に、前から知り合いのムサビの日本画の学生と会い、互いの作品について意見交換。制作中の下絵やクロッキーを見せてもらい、刺激を受ける。すると映像科の友人から「新宿で飲んでるんだけど、来ない?」と余りにタイミングの良すぎるお誘いがあり、軽く飲む。帰りに南口を歩いていると、工事中のフェンスに描かれてあった絵に、シャッター絵のヒントを得る。今までの下絵は破り捨てることになるかもしれない。

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2005年4月22日

2005年4月22日

経堂系ドットコムのブログを、フリースクリプトをDLして、完全にコンテンツとして埋め込ませる作業をする。

ダメ工房のこの日記でも同じことをしているので、そう時間はかからないだろうと思っていたが、想定外のエラーが頻出。CGI等の知識がまるで無い僕には困った事態だが、8時間ほどかけて修正を重ね、なんとか形として見えてくる。知識の無さが、時間を無駄に使っているようにも思う。結果を考えると、もう少し効率よくやりたい。そのためには、ある程度プログラミングに関する基礎知識は必要かもしれないと思う。

その後、ゲノム事務所でたこ焼きパーティ。僕はどうしても、たこ焼きを綺麗な形にすることに意識が集中してしまい、ずっと針でくるくるたこ焼きをいじってしまう。かなり焼きすぎたころに、「その”作品”、もう食べられるの?」と聞かれてしまう。

家に帰って、酒を飲みながらシャッター絵について考える。

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2005年4月21日

2005年4月21日

芸術家、岡本太郎さんの養女である岡本敏子さんが急死されたとの記事を読んだ。

僕は高校~浪人にかけて、岡本太郎の絵画や書籍にたいへんのめり込んだ時期があった。さらに浪人のときには、地元川崎市に「岡本太郎美術館」なるたいそうな美術館もできたわけで、受験に失敗して自信を完全に失っていた僕は、とりわけ岡本太郎の言葉に、強烈な衝撃を受けたことを覚えている。それで、なけなしのお小遣いをほぼ全部使って、ギャラリーショップに売っていた画集と著書を買えるだけ買った。

そのうちの一冊は、岡本太郎死去の後、岡本敏子さんがまとめた「芸術は爆発だ!」という本だった。これは岡本太郎の残した語録を、エピソードとともに紹介する本だが、その最後にこういう語録を紹介していた。

「老いるとは、衰えることではない。年とともにますますひらき、ひらききったところでドウと倒れるのが死なんだ」

そして、実際このように亡くなった太郎氏は、お葬式が大嫌いだったというエピソードが展開される。そこで敏子さんは、実際に葬式はやらず、その代わりに「お別れ会」を開く。本文を引用すると、こんなお別れ会。

…草月会館の正面には真っ白な三メートル半の彫刻『樹人』が力強く優雅な姿で腕をひろげ、入り口のガラスいっぱいに”TARO”の原色のサインが飾られている。ホールの中には様々な高さに置かれた無数の彫刻。『手の椅子』や『駄々っ子』などの作品。その間には何十台ものテレビモニターが、岡本太郎の制作風景や、元気よくしゃべる姿、子どもたちとの愉快なやり取りなど、ナマの姿を映し出し会場内に太郎の声を響かせる。<中略>ふと見上げると大きなガラスが天井まではまっている。透明なフィルムに焼き付けられた岡本太郎の全身の後姿。軽々と後ろ足をはねあげて、ヒョイと振り返り”さようなら”。ちょっとオドけた、優しい表情で


こういうことは、そうとうな理解者でないと、なかなか難しいと思う。素晴らしいことだなあと。彼女の熱心なアピールのおかげで、僕も岡本太郎と言う存在を知ることができたわけで、そういう意味で、妙な喪失感を覚えたわけです。う~む。

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