2005年5月31日
今日は良くなかった。精神的に乱れていた。
まず早朝に起きるも雨がざあざあと降っている。この時点で、ちょっとへこんだ。天気予報を見ると、昼過ぎに晴れるとある。昼過ぎとは何時くらいだろう?シャッター画は15時くらいには切り上げるので、とっても微妙なところだ。
そこでトタン屋の店長に電話する。やっぱり、天気、微妙ですよねえ、てなお話になって、今日の制作を断念する。このとき、「一時間でも、30分でも、作業をしたいのです」と僕が言えば良かった。そのへん、少し消極的になってしまったのである。
そして、11時くらいには恨めしいくらいに日光が差し始めた。判断を間違えたなあ、と思った。
そんな自己嫌悪感を抱えながら、今日は精神的に落ち着かなかった。何をやっても、しっくり来ない。絵皿の掃除や、下絵のこととか、いろいろやるんだけれど、どうも集中できない。かといって、横になってみても「それは違うだろう」と誰かが言ってくる気がする。
本当は、人に会えばよかったのだ。しかしだねえ、そんな乱れた状態で人と会うというのもねえ。
ていう具合で、にっちもさっちもいかなくなった。
明日は晴れるだろうと思うから、昨日、おとといの遅れを取り戻さないと。
2005年5月30日
今日は雨だった。したがって、シャッター画はお休みだった。お休みになったらなったで、やることは山積みな訳で、それなりに忙しく一日を過ごした。
夜、働いている大日本生ゲノムのお仕事で、「チーム☆アメリカ/ワールドポリス」のマスコミ試写会を見に行くことになった。
「サウスパーク」に大いに感動した僕は、この作品をとにかく真っ先に見られることに、至上の喜びを感じた。詳細な感想は「ダメ工房映画感想文」のコーナーにいずれ書くとして、大まかに思った感想を並べてみる。
まず、とにかくバカな映画である。バカ過ぎる。僕にとっては、これはドリフ的なバカさである。ドリフは、見る前からオチが分かる。でもそれがおもしろい。この映画も同じだ。笑いの取り方が決まりきっている。とにかくタブーや、放送禁止用語に持っていけば良いとなる。でもそうなることがあらかじめ分かっているからこそ、”真面目な伏線”自体も、可笑しくて仕方が無くなる。もちろん、911ネタなど、定型の笑いも取り入れているから、間口はかなり広いと思うが。
次に、彼らが映画のなかで「な~んにも、主張していない」ことのすごさに驚く。あれだけアメリカ・北朝鮮・イスラム過激派・ハリウッド俳優・マイケルムーアまでネタに持ち出しておいて、「ただの冷やかし」ということで突き通している。これは相当なバランス感覚と、現状認識が必要だろうと思う。彼らは正直なのだ。筋を通すために何かを批判したり、冷やかしたりはしない。ただ単純に、おかしいと思ったことを、おかしいと笑い飛ばす。それは、なかなかできることじゃないな、と思う。
次に、このバカバカしさを支えているのが、アニメーションの異常なクオリティの高さだ。サンダーバードにインスパイアされた人形劇…と聞けば、もうサンダーバードしか思い浮かばない。しかしこの作品のクオリティは、そんな想像を軽く凌駕してしまう。こんなスゴイ人形劇、見たことが無い。時間も、お金も、人手も、相当かかったに違いない。金正日主催の平和記念式典では、オープニングに延々と北朝鮮歌謡曲が披露される。それがリアルなのだ。僕は北朝鮮歌謡曲をよく聞いているから、それがとても調べられた結果だということが分かる。そうした努力の蓄積が、馬鹿馬鹿しさをさらに助長させる。
最後に、コレを見ている人はいつだって、自分が今後、冷やかしの対象になりうることを覚悟しなければならないと思う。彼らの感覚はとても敏感で、自分で自分のことを気づく前に、彼らは何か物を言うかもしれない。そういう意味では、ナンシー関に近いのかもしれない。そこで冷やかしの対象になったとしても、それに怒ってはスマートじゃない。つまり、マイケルムーアだって、この作品を見て怒ったとしたら、それはとてもかっこ悪く映るであろうということである。
2005年5月29日
トタン屋で作業をする。たくさん手伝いに来てくれる。本当にありがたいと思う。
あとで「シャッター画」のコンテンツでも書くが、夕方からトタン屋で飲んだ。真昼間から、屋外の席で、ラジカセから流れるRCサクセションを聞きながら、飲んだ。日曜日の昼間を満喫しやがる親子連れが、不振そうな目で僕らを見やがる。
ふん、豊かさの指標って、もっといろいろあるだろう?オイラは確かにニート寄りなフリーターだし、世間的にはくずなのかもしれないけれど、いま飲んでるホッピーがとってもおいしいんだ。そこんとこ、分かってくれよ。
そんなことを考えながら、最後は結局、名物のマス大山を飲んで帰った。
2005年5月28日
前にも何回か書いたかもしれないが、資料を買うことに凝っている。その必要性に駆られている、という言い方が正しいかもしれない。総合的に考えて、必要な資料にお金を出すことは、くだらないお金の使い方よりもよっぽど”安い”と思ったりする。
昨日の話だが、トタン屋の隣の古本屋に何気なく入ってみると、小さな小さな美術書のコーナーにある本が、僕にとってやけに”濃ゆい”ものばかりだった。古本屋の性質上、必要な本を見つけたら、その場で買うことが要求される。一冊だったら問題なく買うのだが、「これは…」と思うものがいくつもあったから、立ち止まって悩んでしまう。
特に日本画に関する資料が濃かった。お店の人に聞くと、近くに住む日本画家の老人が、画集や資料などをたくさん売りに来るのだそうだ。
まずは最も目に留まった、現代日本画家の大家・加山又造の画集(それも、かなり上質)を衝撃的な安さで購入。いったんお店を出るが、やはりいま買いたい本は他にももっといっぱいあったような気がして、再度お店に入る。
もう一度舐めるように「美術書コーナー」を見回すと、いま僕が最も興味を持っている「文様」に関する資料がずらりと並んでいるではないか。それも、日本・中国をはじめ、ヨーロッパ、それも石器時代から現代装飾に至るまで、あらゆる本が置いてある。これらを数冊、一気に手に持って、自分を止める感情を必死に抑えながら、レジに駆け込んだ。
こうしていま、「ほんとうにこんなに買う必要は、あったのかな?」というほど、世界の文様に関する資料がずらりと本棚に並び、それをちらちら見ながら、これらの本に詰められている雑学に興奮しているのである。
2005年5月27日
毎日シャッター画を描いているのだけれど、なんだか楽しい。描いている間、声を掛けてくれる人が居たり、「一緒に仕事をしないか?」という人が現れたり、女子高生が「きゃあ、すごい」と言ってくれたり、隣の古本屋のおじさんが一時間おきくらいにじろじろ見てきたり。
そもそも、絵を描くという、その単純な行為自体がなにか楽しい。それは、この前経堂の大田尻家さんの運動会に参加したときのように楽しい。転がったボールを拾いに走りに行くのと、鉛筆を削って脚立に上って線を引くのと、僕の中では同じである。
もちろんまだまだ「完成する!」という確証が持てない。きっと完成するまでもてないだろう。けれど、いろんな人が手伝いに来てくれたり、トタン屋の方々が良くしてくれたり、ごった煮なコミュニケーションそれ自体が、なんとなく僕を前向きにさせる。
2005年5月25日
日中会談の突然キャンセルは、興味深い出来事だった。空気読めない大臣もアレだけど、突然帰る中国の副首相もよく分からない。
ところで、そんなタイミングで韓国の金大中さんが来日しましたね。やはり靖国参拝、歴史教科書問題の批判は忘れていなかったようで。
で、教科書問題については、金さんは「もっと日本の悪事を教えろや」と言っていた。僕の個人的な印象では、日本の歴史教科書はけっこうそれなりに日本の悪事について教えていると思うのだが、どうだろうか。
僕が思っただけで他の人に確認したわけではないのだが、たいていの人は、小、中の歴史の授業を終えたときには、「日本は戦争でいっぱい被害も受けたし、いっぱい他の国に被害を与えたし、戦争なんて不幸しか生み出さない。やっぱ平和が一番。日本国憲法万歳!」てな印象を受けたのだと思う。そんな構成になっている気がする。
確かに教科書の内容では、韓国の求めるような「深い知識」にまでは至っていないのかもしれないけれど。高校のときにプサン高校の生徒と歴史問題についてディスカッションしたけど、やはり知識の差は歴然としていたし。ただ、僕が思うのは、歴史教科書で教えていないのは、むしろ靖国神社とは何か、日の丸・君が代とは何か、といったことなのではないかということだ。A級戦犯を祀るのがどうのなんてことは、少なくとも僕は歴史で習った覚えは無い。君が代の「君」が天皇かどうかなんて、先生は言及しなかった。とにかく日本はいっぱい侵略をして、いっぱい被害も受けて、戦時中のエライ人はだいたい処刑された、ということしか知らない。
だから金さんが「もっと悪事を教えろや」と言っても、(被害国としては確かにもっと掲載してほしいのだろうが)ピンと来ないのである。むしろ「自虐的」だとまで言われているわけなのに。「新しい歴史教科書」もほとんどまったくといって良いほど採用されていないし。教科書問題について、なぜくどくどと釘を刺さないといけないのか、よく分からないというのが正直なところである。そういう釘の刺し方が、韓国の最も嫌う「日本の強硬右派勢力」を無意味に刺激しているのでは?とか思ってしまう。謝罪とか補償の要求だったら、分かるんだけれど。
2005年5月24日
ええと、いろいろ大変な数日でした。
まず、お葬式がありました。それで、急遽秋田に向かうことになったわけだが、その前に日記を更新…と思いきやCGIがぶっ壊れるという惨事が発生する。しかし修復する時間も無く秋田へ出発…。
葬儀は、秋田と関東ではまるで風習が違うのだなあと実感することが多々あった。違いを一言で言えば、秋田の葬式は長くて丁寧である。そのぶん、死者との関わりという点では深いものがあると感じた。特に、お骨を直接骨壷から手づかみして納骨をするという儀式は、その最たるものだった。
いろいろ書くことがあるはずだが、気づけば大変な疲労感で、頭もまるで働かない。本日朝3時起き、車を出発させ、そのまま昼過ぎに経堂で降ろしてもらい、ゲノムのお仕事。ところがもう頭が働かない。疲労は今日だけのものではなく、蓄積されたものだと思った。
家に帰り、日記を急いで修復。もはやいかんともしがたい状態だったので、プログラムを全部総とっかえしました。それで、コメントが消えてしまいました。消えてしまったのはよっつとコゾウさんの分でしたが、ちゃんと読みました。ほんとすみません。フリーCGIはこういうところに弱点がある。しかし、いつかレンタルしていたi-gateという日記サービスが突然サービス終了になり、データが全て消えてしまったことを考えると、レンタルはもっと危険だ。
あと、シャッター画も、ダメ工房の更新も、ほかにもここには書けないもろもろが、すべて滞ってしまって、自分の中のスケジュールが総崩れで、若干混乱している。これから軌道修正をしなければならない。まずは明日、シャッター画からであるが、天気予報はさっそく雨を告げている。さて、どうしたものか…。
2005年5月19日
話題のピアノマンだが、どうやら映画化という話にまでなっているらしい。確かに彼にまつわる話はミステリアスで、興味をそそられる。
ピアノマンはイギリスの海岸を大雨の中さまよっているところを、警察に保護されたらしい。着ている服のラベルはすべて切り取られ、おびえきった様子で、なにも口を開かない。強いショックを与えられた可能性があり、精神がたいへん不安定な状態である。そこで、彼に絵を描かせてみた。すると、ピアノの絵を描いたというのである。それで警察は彼をピアノのある礼拝堂に連れて行くと、「白鳥の湖」をプロ並みの技術で演奏したというのだ。
本当の話なのだろうが、できすぎていないか。いい加減、僕らも、この事件について神秘性を感じることに疑問を抱いたほうがいいのではないか。彼の神秘性は、僕らの抱いているこれまでの価値観によって、築き上げられているのだということに気づいたほうが良いと思う。
たとえば、公開されている彼の写真は、ジャケットを着て、ちょっと影のある表情で、わりとイケメンである。これがもういけない。これでは、全国の婦女が「きゃあ、まるで、映画みたい!」などと思ってしまう。
では彼がデブだったらどうか。デブで、ふんどし姿で、サザエさんの髪型でさまよっていたらどうか。その後彼のふんどしのラベルが切り取られていようが、どうだっていいということになる。黙秘していたって、「デブが黙秘してるんじゃねえよ」といういわれの無い差別を受けるだろう。「白鳥の湖」を弾いたって誰も聞きやしない。そもそも、警察は彼を保護なんかしないだろう。
あるいは、百歩ゆずって、彼がイケメンでジャケットを着て影のある表情をしていてもいい。そこで、礼拝堂に連れて行ったら、南京玉すだれを始めたとしたらどうか。ケツに大根を詰めて、「ぬおぉ」と言いながら両足を天に突き出したらどうか。
おそらくすぐに礼拝堂を追い出され「神を汚すな!」と叫ばれるだろうし、今後特にワイドショーによって取り上げられることもないだろう。
彼の神秘性など、このように、もろいものなのである。たぶん、裏にはなにもない。途中から、誰かが彼のすごさについてでっち上げてしまった可能性だってあると思う。そんなくだらない神秘性などを捨てて、たとえば日常の、ごく周りに居る人を見回して、ふと僕のような男を見つけてほしいと思うのである。
2005年5月15日
今日は、一日中絵を描いてました。今日である程度まで仕上げなければ、と自分の中で相当追い込んでいたので、完全に部屋を密封して、エンドレスで奥田民生やEELSなどを流しながら、時間も忘れて描きまくる。
途中、昼ごはんを食べていると、浦和レッズVS横浜Fマリノスの試合をうっかり見てしまうが、自分の理性がサッカー見たい欲求に打ち勝ち、前半終了とともに部屋に引き上げる。
しかし、細かいところにやけに時間をかけてしまったりして、今日は終わらなかった…。しかし、90%は終り、もう下絵の完成は見えている。そこで、現状をデジカメで撮影して、トタン屋の店長にメールして、様子を伺うことにする。明日は仕事なので、もう寝ることにする。今日は異常に疲れた。ひとりで作業してこんなに疲れるとは思わなかった。
ちなみに、たぶん来週から、「ごろうシャッター画を描くの巻」という企画が始まります。無謀なシャッター制作の模様を、リアルタイムで掲載し、「本当に完成するの?」というハラハラ感を体感していただく企画になります。同時に、お手伝いさんを大募集しています。といっても、実際の募集はまた後日発表すると思いますが。
2005年5月14日
ざっと書いてしまうと、朝と昼の中間くらいの時間に起きて、夕方までトタン屋の絵に集中する。ほんとうに、色使いが下手で困る。いま受験時代に戻っても、色彩構成はひどいままだろうと思う。
しかし僕流に編み出した、色使いの下手さをごまかす技法を多用することによって、なんとかその場をしのいでいる。
絵を描いていると、休憩と言うのはどれくらい入れるべきかを考える。今働いているゲノムの須田さんによれば、ちゃんと休まないと進むものも進まない、みたいなことを言う。しかし、僕の場合はなかなか怠惰なので、ひとたびタバコ休憩などしようものなら、ずるずると1時間半くらい休んでしまい、しまいには昼寝してしまう可能性がある。それで、なかなか休憩が怖いのである。
それで、夕方から経堂で、ゲノムで制作しているテレビ番組の収録のお手伝い。インタビューされる人を紹介した関係で行くが、僕は経堂系ドットコムの更新作業などをする。
それから、自分の紹介した友人らと、お好み焼きやさんに行って、軽く飲食する。意外に真面目な話をする。たとえば、今後の身の振り方、社会人を通過することの重要性、云々の話。
須田さんからボトルをもらったりして、ひとり1300円という破格金額を支払って帰る。帰ってから、また絵を描く。
2005年5月13日
もうピークは過ぎたのでほっとしているのだが、昨日~今日にかけて約20000ヒットという、これまでの蓄積は一体なんだったのかという、そういう数のアクセスがあった。内容が別段変わったわけでもないのに、意味が分からない。宣伝効果と、「そのものが持つ価値」との関連は、いったいどうなっているのだろうか、等々考えさせられた。
しかしカウンタの話ばかりしても面白くないね。
毎朝思うが、「特ダネ」の小倉キャスターの、第一声の挨拶が苦手である。「おはようございます!」の声がでかすぎる。体育教師にどなられたみたいで、どきっとする。胸にマイクをつけているのだから、もっと抑えめでも良いと思う。
あと同じ番組の若い男のアナウンサーは、正義感が高まってくると、抑揚が激しくなる。彼はトランクス派ではなく、ブリーフ、あるいはボクサーパンツ派だろうと思った。
ところで、絵を描く合間に時間を見つけて、ポートサイドギャラリーの木村太陽展に行ってみたのだが、おもしろかった。
女性雑誌の目の部分だけを残して切り抜く、まぶたに箸を突っ込んで小さな人形を回す、コロコロのゴミのついたシートを切り貼りしてアメリカ合衆国をつくる、自動的に大縄跳びの縄を回す機械、等等、すべてが馬鹿馬鹿しい作品なのだが、それをただ馬鹿馬鹿しいとだけ言ってしまうのには釈然としない。”親しみがあるね”という言葉も同時に付け加えておきたい感じである。
それは、彼の作る作品の素材がどれも身近なもので、そして出来上がった作品も、取り立てて特別な技術を要しているわけではないことに起因していると思う。つまり、「小学校の図工の時間で、こんな器用な少年がいたら、おもしろかっただろうなあ」という感じなのである。その点では、小中学校の美術教育に対して挑発的な態度をとる会田誠とは、バカバカしさの度合いは同じでも、受ける印象はかなり違う。
学芸員の人に、木村太陽さんのポートフォリオを見せてもらった。その中にあったネタ帳には、所狭しとくだらないアイデアが書き並べられていた。学芸員の人から、「木村さんは作品は売っても、アイデア帳は売れないと言っています」と聞いた。くだらないアイデアをひねり出す事の価値を重んじているのだなと感じた。
2005年5月12日
な、な、な、な、なんと、ダメ工房もYahoo!にカテゴリ登録されることが決定いたしました!!さっきメールが来た。しかし、明日にならないと更新されないらしい。
ところで、それと関係あるのか無いのか、カウンタがおかしくなってませんか?21時~22時のあいだで、2000くらいヒットしてます。意味が分からない。で、アクセス解析を見てみると、やはり21時~22時に2000くらい来ていると出ている。てことは、CGIの故障ではないらしい。そして、今も着々とカウンタが増えている。嬉しいけど、ちょっと怖い。
で、解析で調べてみたら、Yahoo!の新着情報の、「Yahooサーファーが選ぶ選りすぐりオススメサイト」としてリンクが張られていた。これが原因に違いない。しかし、これが原因だとしたら、ヤフーってすごいんだね。孫正義さんの顔って苦手だけど、すごいんだね。
まあでもそうだとしたら、新着情報は毎日更新しているだろうから、明日にはカウンタは落ち着いているだろう。やはり、カウンタは、手ごたえ的にも、徐々に増えてほしいものです。
2005年5月11日
無性に、英会話の本が買いたい。しかしそうやって、いままで使いもしないリスニング教材が、部屋にいっぱい散らばっている。いま英会話の本を買っても、同じようになってしまう気がする。だいたい、英会話したいならイギリスにでも行けばよいのだ。いやいや、しかし物事はそう簡単には進むまい。
まず僕は臆病なのだ。準備は丹念に。そこで、ある程度の英語の教養は必要だと考えてしまう。次に、”ある程度”ってどの程度だ?と考える。うまい具合に「程度」が言えないので、しょうがない、TOEICを物差しにしてみようと思う。そうすると、いわゆる470~730点での「C」レベルであれば、「日常生活のニーズを充足し、”限定された範囲内では”業務上のコミュニケーションができる」とある。つまりこの辺を狙っていこうと思う。
しかし、英語レベルの、A、B、C,とあって、これはあくまで3段階目の「C」である。皆さんも見たことがあるだろう、なぜか中国人が多く働くチェーン系の牛丼屋。なぜ牛丼屋にはあんなに留学生が多いのか。そして、どの店員もろくに日本語がしゃべれない。彼らがひさびさに故郷に帰って、親に「どんな日本語覚えた?」と言われて「並一丁」とか「つゆだくねぎ多め」としか答えられない。これがまさに”限定された範囲内では”業務上のコミュニケーションができる、「Cレベル」の実態なのではないのか?と想像してみる。
そうすると、やはりかっこいいのは「A」だ。Aというのは、「ノンネイティブとして十分なコミュニケーションができる」である。860点以上。これは敷居が高そうですよね。しかしかっこいい。そのかっこよさを、目の当たりにしたことがある。
前に”もしもし●△■…”というテレアポ会社で営業関係のバイトをしていたとき、同期に中国人の人がいた。彼女は中国人の名前では電話業務に差支えがあるというよく分からない理由で「タナカ」を名乗らされていた。しかし彼女は実に勤勉家で、最初は明らかに日本語が言えていない「タナカ」さんだったのが、半年もすると立派な日本人の日本語を話す「田中さん」に成長していたのである。田中さんは巧みな話術で次々と契約を取っていった。僕は彼女が実に頭がよく見えた。かっこよかった。
そこで、どうせ英語を話すなら、ああなりたいという目標ができる。しかし、ローマは一日にして成らず、彼女の努力と苦労は並々ならぬものであったに違いない。もちろん僕も目覚めたら英語が話せるようになるなんて思っちゃ居ない。さあ、明日からちゃんと毎日勉強しよう、そういう過程を経て、いま英会話の本がほしいのである。英会話の本を買ったら、明日にでも、英語が話せるようになっている気がする。
こうして英会話の本を買って、翌日になっても英語が話せないから、いつも部屋に放り投げてしまうわけだが。
2005年5月10日
なにげに、ダメ工房を公開したのは2003年5月10日なので、今日は2周年である。当初の予定ではカウンタはもっと増えているはずだったけれど、だいたい4万くらいで落ち着いてしまっている。
ただ二重カウントは取れないようにしてあるので、カウンタが伸びにくいのは確かなのだ。だいたい二重カウントのカウンターをつけている人は、いったい何のためにつけているのだろうか。正確なデータにもなり得ないし。
青い中南海を吸っていたが、先日から赤い中南海に変えた。一番グレードの高いやつである。中南海のなかでも、味がもっとも個性的である。タール15mg。ちょっときつい。
おいしそうなタバコの吸い方というのがある。この前テレビで、北朝鮮から日本に入港するボロボロの船のドキュメンタリーをやっていた。赤黒く錆び切った小さな船の上で、油の染み付いた作業着を着た、いかにも東アジアな顔の短足のおやじが、少し曲がったタバコを吸って空を見ていた。あのタバコは、なんだかとってもおいしそうだ。
友人らとなかなか意見が合わないのだが、タバコというのは空気の良さそうなところに行くと、無性に吸いたくなるし、そういうところで吸うと心なしかいつもよりおいしい気がする。たとえばちょっと小高い山のようなところで、ちょっと見晴らしの良いところに出ると、タバコはどこだろうとポケットをさぐったりする。海辺でもそうだ。
最近は溝の口駅から家に帰るのだが、人通りのほとんど無い細い道をてくてくと歩きながら、タバコを吸ってものごとを考える。同じようなかたちで道を通る人が多いのか、道沿いには至る所に灰皿が置いてある。
2005年5月9日
ええと、これから遅ればせながらトタン屋の絵の下絵を再開させます。っていうか、遅れすぎ…自分のなかの予定よりすでに10日遅れている。まずい…。急ぎます。
あと、仕事で関わっている経堂系ドットコムですが、ついにYahoo!のカテゴリに登録されました!ヤフーは検索エンジンに登録されるのがもっとも難しいと有名だけれど、ただ地域系サイトは掲載されやすいという情報を持っていたので、けっこう行けるんではないかと思って申請してみたのである。
この掲載を確認したのは確かおとといだったけれど、それからアクセス数が急増していてびっくりした。いままでの1.5倍~2倍くらいの伸び率である。そして、あっけなくダメ工房の伸び率は抜かされた。いまダメ工房の伸び率はまったく伸びも下がりもしていないのである。やはりヤフーの力は大きい。ダメ工房とか喪中はがき展も、どうにかしてカテゴリ登録されてみたい。
あと、夢で、会田誠と絵について語り合うというのを見た。会田誠は僕の質問をすべてはぐらかした。
2005年5月8日
同じ時間でも、9日の朝4時半と、8日の28時半という言い方がある。もちろん後者は日常的に使う言い方じゃないけれど、例えば徹夜した作業が朝方終わったときには、精神的にも「28時半に作業が完了した」と言いたい。
そんなに時間はかからないだろうと思って、7日の昼から始めた、ゲノムのイラストを描く仕事だが、これが想像以上に時間がかかって、かなりあせってしまった。これは映画のシーンを絵に起こしたり、監督の顔を似せて描いたりする仕事だったわけだが、まず第一に、手が震える。なぜ手が震えるのかについてしばし考えてみたが、あまり思いつかなかった。前夜もそれほど酒を飲んだわけじゃないし。ペン画なので、そうした揺れは顕著に線に表われた。
次に、夜のシーンが多かったのは大きかろう。って、自分で選んだので文句は言えないが。先月までの同じ仕事を振り返ると、昼のシーンばかりで、ペンを入れなくてもよいところが多かった。しかし今回はすべての絵に満遍なく、それも幾層にも重ねてペンをいれなければならなかった。
次に、5年前に購入したPCがだんだん壊れてきていて、CDを入れても音楽がかかりにくくなってしまった。作業部屋にはコンポもない。音楽と言うのは効率を上げるうえでは非常に重要だと思うわけで、シーンとした部屋で集中力を持続させるのは、僕には難しい。これは今後も発生する問題なので、ラジカセを買うとか、コンポを作業部屋に移動させるとか、考えないといけない。でもコンポ移動させると、眠りにつきながらリリーフランキーのラジオを聞くという、大事な楽しみができなくなる。
とにかくそんなこんなで、35時間ほどかけて、ようやく完成…。本当はこれをデータ化して送信しないといけないのだが、少々休んでから、その作業をすることにしたい。
2005年5月6日
昨日は珍しく朝早く起きて、川崎市民ミュージアムの「木村伊兵衛賞の30年」みたいな展覧会に行く。要するに、写真の展示である。
川崎市民ミュージアムは、うちからチャリで20分程度の、最も近所の美術館な訳だが、なにせ交通の便が悪い。地元の人間に便が悪いといわれているのだから、川崎市外の人から見れば、辺境にあるとしか思われないだろう。地元ネタになるが、いまのKSP(神奈川サイエンスパーク)のあたりにあれば、溝の口から徒歩で行けるし、便利だと思うのだが。まあいまさら言っても遅い。せっかく、ポップアートや写真の所蔵がしっかりしているのに。
で、肝心の展覧会だが、なかなかよかった。さすがにあれだけ数を並べられると、もうそれだけで満足である。僕の好きな北島敬三の初期の作品が見られて嬉しかったとか、近年のコンセプチュアルな試みはおもしろいとか、今道子さんは浮いてるとか、個々に対する感想はいろいろあって、展覧会全体に対する感想は難しい。
ただやっぱり、写真を目の前で見る迫力と言うのを感じた。会場が少し明るすぎたかも。
そのあと、砧公園へ。写真撮りがてら、飲みながら、運動しながら。いい汗かいた。
2005年5月5日
まずは、シャッター画の進行状況について。黒い色はほぼ塗り終わった。色だが、主要な色がビールの色になると思われるので、それを考えると暖色系で固めていくのが無難だろう。ただ、ビールの色を、黄色ではなくて金色にしたらおもしろいだろうなぁ、と思うのだが、お金がかかりそうである。あと明度の関係を考えると、赤という色をどこに使うのかは悩みどころである。
次に、昨日の憲法記念日に関連して、憲法改正に関する議論が活発である。通販生活の最新号では、護憲のドンである井上ひさし氏と、改憲派のドンである保岡興治氏の対談がトップに掲載される。通販生活は明らかに護憲派の雑誌だが、がんばって「うちは中立どす」と言おうとしている、が、どうも無理がある。
先日読んだ、哲学者の中島義道氏の本のなかで、「朝まで生テレビ」を見終わった後の、なんともいえないストレスについて言及していたことを思い出す。僕は朝生は好きだが、確かに3時半ぐらいからイライラしてくる。中島氏は、「朝生は議論ではない。なぜなら、双方が双方の意見を主張するだけで、それによって考えがぐらついたり、相手の考えに理解を示したり、といった進展がまったくないからである」というようなことを書いていた。なにも進展しない、これがストレスなのだ。
通販生活の対談に関しても、同じようなことが言えよう。井上氏が「自衛権の明記はいらない。丸腰でいい」と言い張り、保岡氏が「自衛してこそ、安全が保たれる」と言い返す。これの繰り返しである。井上氏はたびたび「100歩ゆずって」とか言うが、実のところは1歩も譲ろうとしない。そこで読んでいるほうは疲れてきて、まあどっちだっていい、となる。
2005年5月4日
そういえば、手帳を買っていなかった。僕の場合は、その年々によって、手帳をよく使ったり、使わなかったりして、その差は実に激しい。昨年度に関して言えば、まったくと言ってよいほど、使わなかった。
ただ最近、仕事、遊び、等々含め、予定がこんがらがってしまっている。たぶん、そのいくつかを整理して、どの順番でどの日程でこなす、と決めていかないとやっていけない気もする。そこで、手帳のことを思い出したのだ。
ただ、手帳は毎度買うたびに、フォーマットについて考える。たとえば、見開き1ページに1週間分の予定が書けるにしても、7つのブロックの分け方には様々ある。1ページを8等分して、余った1ブロックには<MEMO>と書いてあったりする。この中途半端なMEMO欄は、いったいどのように使うべきなのか、そこで迷うと抜け出せなくなる。ぜひ模範解答を示してほしい。
縦に7分割して、タイムテーブルが縦帯で書かれている手帳も、どのように使っていったらいいのか迷う。「朝7時、起床、7時半、朝ごはん完食」などと書いてしまいそうである。このタイプの手帳を使いこなすのは、芸能人のマネージャーとか、会社の社長とか、とにかく予定が詰まっている人だろう。僕はそこまで詰まって居ない。
手帳の会社が試行錯誤して、様々なフォーマットを提供してくれるのは実に助かるといえば助かるのだが、どれを選べばよいのか、どれが自分にとって最適なのかを考え出すと、もう買うのは面倒くさいのである。
2005年5月3日
まずは経堂系ドットコムの更新。最近は定期的な更新もあってか、アクセス数が伸びている。いまダメ工房の伸び率と経堂系の伸び率は同じくらいであるので、自分の中で勝手に競争させている。
昨日のSICFはつまらなかったが、ポートフォリオの作り方については参考になる部分が多かった。というのも、展示の中でもポートフォリオの見やすい、見にくいという歴然とした差が見られて、見ていても「ああ、こういう情報を入れたら、親切なんだな」などということが分かったからである。
もちろんこれは、クリアファイルでのポートフォリオについてだけでなく、このダメ工房にも応用できる発見であっただろう。名刺にURLさえ入れておけば、クリアファイルよりもWEBサイトを見るわけで、そういう意味では現状からかなり変えていかないといけない部分はあるだろう。
実はもう少し経ったら(けっこう先)、喪中はがきの制作を再開させようと思っているのだが、それまでに一度、「ポートフォリオとしてのWEBサイト」という観点から、デザイン等変更させる必要があると思っている。
2005年5月2日
大学時代の友人Mと、スパイラルホールでやっているビヨルン・メルフス展に行く。
といっても、作品はひとつだけ。彼自身が日本の女子高生とインディアンになりきった姿を、大スクリーンで投影する。ところが日本の女子高生といっても、彼は敢えて詳細な調査をせず(したのかもしれないが)、本や雑誌、映画などからの偏ったイメージだけに注目する。そこで、制服は問答無用でセーラー服だし、ルーズソックスに運動靴というナンセンスな組み合わせが採用される。そして、なぜかひざに絆創膏が貼ってあるのがクローズアップされたり、ロープで木に縛られたり、日本だからということか短刀を抜いたりしている。
そうした彼の”思い込み”が非常に可笑しくもあり、あらゆる「情報」はこのように、歪曲して伝えられる、という拡大解釈のうえではリアルでもあった。
その上階ではSICFという若手作家の複数展示。1畳~2畳程度のブースに区分けられ、その中で各々の世界を展開する。これはあまり面白くない。とりわけ、デザイン・イラスト系や、ドローイング系、がもっとも面白くない。逆に惹かれたのは、写真・工芸など、単純な職人的な手作業がものをいう世界。とりわけ、厚めのトレーシングペーパーに、気が遠くなるほど切り込みを入れていく作品は、唯一すばらしかった。目の前に作品が飾られているだけでこちらも緊張してしまう迫力である。
2005年5月1日
夕方、第一回溝の口グルメツアーを開催する。といっても、同窓会的なメンバーで、地元の懐かしい面々と会うことが目的だったりもする。
今回のグルメなお店は、南口の「ファーム」というイタリアンのお店だったのだが、とってもおいしかった。安いし。パスタもドリアもおいしい。溝の口にこんなお店があるのか!という感じ。ひとりで行っても良いかも…。そして地元の人と話すのは、久々なのに、なぜこんなに落ち着くのだろう。
読みたい本がいっぱいあるのだけれど、時間が無い。いや、眠る時間を削れば時間はあるのだが…なぜこんなに眠いのだろう。眠っているときが、一番幸せなような気もする。最近の夢は暗示みたいな夢が多くて、解釈に困る。夢日記でもつけようかと。特に昔働いていた創作料理の居酒屋の夢を頻繁に見る。