2005年7月29日

2005年7月29日

とりあえず、世界水泳見てたんですが、男子100mバタフライ予選で、僕の小中の同級生である高安君が見事9位で予選突破しました。そういう個人的な話であれなんですが、皆さんもし機会があったら高安君を応援してやってください。僕も応援します。

次は朝の準決勝…起きられるかな。決勝に残ってほしいです。

前も書いたんですが、高安君は家がすぐそばで、高校のときに家に遊びに行ったとき、お母様が、彼が国体で優勝した時の映像を頼んでも無いのに見せてくれた。高安君は「また見せるのかよ」と言っていた。それで映像を見ているとすっとご飯が差し出されて、ありがたくいただいた。しかしそのご飯は、「息子のために作っている特別栄養食なんです」ということだった。高安君ももちろんスゴイが、彼を支える周囲の熱意とか努力もスゴイなと思った。

何年か前、家の近くのファミマの前を彼が歩いていたのだが、「うわっ」と思うほどでかくて、定規をあてたいくらいに逆三角形だった。そんな頻繁に会ったり見たりするわけでもないのだけれど、高校~大学にかけて一気に体がでかくなった印象がある。世界と戦う体と言うのはスゴイなと思った。


ちなみに昨日の夜~友人のまっきーが大阪から東京に来たので、下北沢で飲んだ。トタン屋で飲もうと思ったけど、気が変わって下北にした。下北のぴあぴあという店は、チェーン店だけど安くておいしい。ホッピー350円だし。集まったメンバーは大学の仲間8人。僕は寝不足でもやもやしていたけれど、楽しかったなあ。

そして朝までダメ工房員の鰆ちゃんちで飲んだわけですが、なかなかディープな感じで。

そして今日は体調悪い。二日酔いなのかなと思ったが、様子が違う。風邪でもないし。頭が痛い。今もう治ったけど。夏ばて?

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2005年7月28日

2005年7月28日

恐ろしすぎて、飛び上がって起きてしまうような夢を見た。実際、飛び上がって起きた。それとも、起きてから飛び上がったか・・・まあ、どちらでも同じだ。

あまりに恐ろしかったので、枕元にあるメモ帳に内容を書き付けた。数時間後、そのメモを見ても、なにが恐ろしいのかよくわからなかった。とにかく恐ろしいと思った、という僕の中の事実だけが残った。

いちおう、メモを振り返ってみる。

それは静岡?あたりの臨海地域に埋め立てた、重金属?の物質が、土の中にかなりの高濃度で検出される夢だった。そしてその数ヶ月前に、その事件を予測させるドキュメンタリー番組が放映されていて、僕はそれを見ていた。天皇が、その場所で行なわれる少年サッカー親善試合みたいなのにドタキャンしたのは、その土壌汚染がトップシークレットみたいな形で分かっていたからではないか、というようなことを追求する番組だった。よくできていたが、その後この番組は一部でバッシングの対象になった。僕の知り合いが2人、その地域に住んでいたので気になって電話すると、どちらも体調を崩して自宅療養中だった。

その臨海地域はもともとマンションがいっぱい建っていたのだが、ある時期を境に、ほぼ100%、住民は死亡していった。それも奇病としか言いようの無い死に方だった。たぶん公害病だったんだろう、その影響範囲は広く、県内の臨海地域以外の住民も、死にはしないもののかなり重度の症状を負うことになった。そして同様にその汚染物質を処理していた他県の臨海地域も同様の事態に陥って、世界的な問題になった。僕は夢の中では松本市に住んでいて、松本市ですらもささいな手足のしびれ、皮膚のただれ、などの軽度症状が出たので、国内中大パニックになった。一方、数ヶ月前のドキュメンタリーはその先見性が国内外で評価されるようになった。

そしてニーズの高まりとともに、そのドキュメンタリー番組がもう一度テレビで流されるのだが、その時に映っていたものがとても恐ろしかったような記憶だなあ。つまり土壌汚染が分かってからその番組を見ると、新たな発見が数多くあって、それは、その汚染物質の扱いについて、理性ある人間であれば考えられないような非人間的な国家的/企業的判断が日常的に行なわれていたことを示唆するものだったと思うんだけど、それがあまりに恐ろしくて、目が覚めたのだった。でもなにが恐ろしかったのかは思い出せない。

しかし意味分かりませんね。

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2005年7月27日

2005年7月27日

最近知らないor久しぶりな人からのメールが多くて。まあmixi絡みが多い。でもそうでなくて、単純に「ダメ工房を見たんだけど、ひょっとして●●中学の大里君?!」というのもある。

今日は、「わたしは誰でしょう?」というメールが届いて、ちょっと考えた。誰だろう、そして数少ないヒントもあったりして…。なんやかんやで中学の友人だと判明した。長い間会っていない人とこうして会えることがあるので、インターネットってぇのは実名を公開していったほうが得する気がする。怪しいのは、最初から返事しないし。

ネットでグローバルコミュニケーションがどうのと言うけれど、僕の印象では、mixiに関しては”ローカル”コミュニケーションの役割のほうが強いように思う。地元の駅近くにある、おいしいお店の情報とか。ひょっとしたら誰もが皆、そういう情報に飢えていたんではなかろうか。「散歩の達人」みたいな雑誌もがんばってると思うが、mixiで「●●駅北口の△△ラーメン屋はうまい!」と書かれれば、そっちのほうが信頼性がある。実際おいしいことが多いし。

このmixiの、ローカルコミュニケーションでの信頼性というのは、僕の知るところでは、かつては感じなかった類のものだ。僕はその信頼性の所以に、mixiの”書き込んだ人の顔が見えやすい”という点を挙げてみたい。そしてこれは個人的な見解だが、自分についての情報を多く出している人の情報のほうが、そうでない人の情報よりも信頼できる。そして、時には気持ちを揺さぶられる。

個人情報の問題がささやかれる。ネットではなおさらだ。だから、多くの人はネットでは情報を出さない。もちろん僕も不必要な情報は出さない。単に内輪で書き込んだりする程度で実名を出す必要も無い。

でも僕の場合は、たとえばダメ工房をもう少しちゃんとしたサイトにしたいなと思うとき、実名を出すことの意味について考える。ものを作ったり、書いたりして、それを不特定多数に見せようという向きのある人が、実名を出さないことによって「見えない損失」をこうむることがある気がする。

ラーメンズがデジスタに出ていたとき、ある人の、サングラスをかけながら「自分」についてつくった作品を激しく批判していたのが印象的だった。自己表現をするのに、なぜ自分を隠す?と彼らは言っていた。僕もそう思った。

話はどんどん飛ぶが、やっぱり表現と言うのはたぶん”人”に集約されるのだなあと思う。そこに”人”が見えることがもっとも重要であって、その作品が何かってのはそこに付随しているだけのことなのかもしれない。

勝手に借用するが、僕の友人がある芸術家に作品を見せて、こう言われたらしい。

「その撮った画は君にとってカッコよかったりおもしろかったりする前にどれだけ大事なものなの? 」と。

それは僕が思うに、そこに”その人”が見えているかいないか、という話なのだと思う。

だから、なにかを表現するときに、作り手について明らかにする作業が、どこかで、僕は必要だと思う。それでサイトに名前と顔を出しているんです、というのも陳腐な結論だが、そういう発想から行くと「出さないでどうする」とも思う。あるいは、「僕という人間の性質を考えたときには出したほうが得策だと感じた」と言ってもいい。

ただ、名前や顔を出すことが作り手について明らかにすることに直結するわけではない。そういうことが言いたいのではない。2003年の傑作『ワラッテイイトモ、』を作ったK.K.氏は、みずからが何者なのかを伏せているが、あの作品が面白かったのは、あの作品の中にK.K.という人間が詰まっていたからだ。このことについては詳しくはこの記事を見ていただきたいが。

話を無理につなげると、ローカルコミュニケーションの中に、僕は自分の情報を出すことの意味を感じたということ。そして、それはおそらく自己表現というものを考えている人がいるとしたら、その活動のもっとも根本的な部分なのではないかと思ったということ、です。

う~ん、この話、まとまらないね。また今度。

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2005年7月23日

2005年7月23日

東京近郊のあらゆるブロガーは、地震の話を書いていると思いますが、確かに書かずにはいられませんね。地震。

のどかな昼過ぎ、経堂の生ゲノム社において、とあるデザイン原稿の入稿のために、僕と編集者のMさんで、ああでもないこうでもないなどと言いながらグレープフルーツのポンジュースを飲んでいると、ぐらっと来た。「あっ」と思ったその瞬間、電子レンジの上にあったブタさんの置物がだいたい落ちた。それで僕はブタさんを拾った。

う~ん、緊迫感ないですね。

でも東京近郊は、なんだかんだいって、ほぼ100%の住民が「いずれ大地震が来る」と思っている。それで、地震が来たときにまず思うのは「ぎゃあっ」とかではなく、「やはり…」という、やや冷めた思考なのではないかなと思った。そのときつけていたJ-WAVEは呑気に音楽を流し続けたし、テレビも冷静だった。インターネットは神津島で震度3の地震があったくらいの流し方だったように思う。

しかし、それでも南武線は止まった。おい!南武線!しかし、南武線。ちょっと雨が降ったくらいですぐ止まる南武線。「強い風により、運転を見合わせております」と平然と言う南武線。止まらないと思うほうがおかしい。

家ではテレビ台のガラスの扉が粉々に割れた。それがきらきらしていたものだから、その上で猫がはしゃぎまわっていたらしい。馬鹿か、猫。でも怪我は無かった。正直それだけが心配で家に帰った。

そんなことより、今日はmixi関連で、複数の知らない人から、ほぼ同時に偶然メールを受け取ったことが嬉しかった。

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2005年7月22日

2005年7月22日

ダイエットを始めております。下腹部が、すごく広い海のように思えてくる。遠くから、帆船が近づいてくると、地球が丸いので帆だけが見えますね。ああいう感じで下腹部が膨らんでいる。

体脂肪率を量ってみる。日によるが、22%~25%。多すぎだろ、と突っ込んでみたりもする。つまり体内の4分の1が脂肪なわけで、肥満である。ジュビロ磐田の中山選手は、体脂肪率5%くらいらしい。運動すればよいのだが、水泳しか能力が無い。市民プールのお金を払うのも大変だし、市民プールの運営時間に合わせて休んだりするのも大変だ。

そしてビールが好きらしい。これもいけない。でも志村けんが言うように、無理をしてダイエットをするのは良くない。そこでビールは飲む。

思えば僕は、食事に関しては1食減らしても良い気がしてきた。しかし夏に食事を減らすのは危険である。夏バテというのもあるしね。朝はとりあえずなにか食べておかないといけない気がする。そこで、朝と夜、あるいは朝と昼の2食で切り抜けることにする。

それから、どうせ運動できない自分だから、とりあえず歩こうと考えた。そして、ある人のアドバイスによれば、下腹部を意識して生活するだけで、あるていど脂肪を落とせるらしい。

これらを実践して2週間、とりあえず2キロ痩せた。今気づいたのだが、ここまでの文章は40歳くらいの人が書いた文章っぽいですね。もっと若々しく生きる。スキマスイッチ買う。

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2005年7月18日

2005年7月18日

こんにちは。あちぃでございますね。夏と言う季節は、けだるいので、何かをやろうとするのは間違っているのではないかと言う気すらしてきます。

そういえば過去を振り返ってみると、夏になにかした覚えなんてほとんど無い。僕の活動期はだいたい秋~春なのだ。だから将来的には、秋~春にめいっぱい働いて、夏前後は沖縄のドミトリーに一泊1000円くらいで泊まって、昼間っからオリオンビールでも飲みながら、「たいくつすぎて、いらいらする」とか言ってみたい。

そういえばオリオンビールはいわゆる”第三の麦酒”にも手を出すことが決まったらしいし、こういうのってすごくなんていうかささやかな庶民の願望ですよね。

今日も暑くて仕事したんだかしていないんだか。たぶんしていない部類に入るけれど、した気もする。近頃更新が止まっていた経堂系ドットコムも、おとといから「経堂の冷たい麺」特集ですよ。ああ、見るがええ、そして冷えるがええ。

え?ダメ工房の更新ですか?まあまあ、もうちょい待とう。

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2005年7月15日

2005年7月15日

4月に発売された奥田民生ミニアルバム「comp」が届いた。
7曲入り。正直、これで2500円は高い。しかし「FAILBOX」がとても上質なミニアルバムだったことを考えると、買わないわけにはいかなかった。

中身は非常に上質。基本的に奥田民生ははずさないので安心して買える。

今日は暑くて、家に帰るのもだるくって、そこいらの喫茶店にうっかり入って、アイスミルクティなんかを飲みながら、「なんだかなぁ」と思いながら道路などを眺めていた。いろいろなことに対して「なんだかなぁ」があって、それを羅列することも「なんだかなぁ」という話で。

昨日も書いたけど、どっか行きたい。遠くでなくていいや、なんかあきる野らへんでいいけど、3,4日篭もってみたい。

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2005年7月14日

2005年7月14日

今日は休みだったのだが、何かをしようという気は一切起きなかった。

今日はタイカレーを作った。香辛料てんこ盛りで。タイ米も炊いて。そしてチャイを買って飲んだ。タイカレーって魔法の粉さえあれば、意外にすごく簡単にできますね。ルー入れて作るより楽だった。

やはりどこか遠くに行きたい。アイデアはいっぱい溜まってきているのだが、それを実現するに当たって消費するエネルギーは、おそらく毎朝6時に起きて通勤ラッシュにもまれながら上りの田園都市線に乗って三軒茶屋あたりでおなかが痛くなるときに消費するエネルギーのおよそ2・3倍である(当社比)。

こんなに手元にいっぱいアイデアがあるのに、今日更新するネタが無いのである。これは良くない。やはり頻繁に更新してこそのWEBサイト。でもますます面白いことをしたいと思うし、やはりそういう実のあることをするにはそれ相応の準備期間というか、潜伏期間みたいなものが必要な気がする。

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2005年7月13日

2005年7月13日

今日も小学校に行きました。今日は(って昨日もなんだが)企業の人が来て、授業をするという内容だった。

企業の人が授業をするというと、やはり最終的にはその会社の商品・サービスの良さを強調するというところに行き着く。子どもにはそういう認識がないまま素直に授業内容を受け入れるとすると、それは健全な教育といえるのかどうかという議論もある。

その一方で、企業が自分の商品・サービスの良さをアピールしようとするからこそ、子どもたちに自分たちの良さを理解してもらおうという高いモチベーションが発生し、結果的にレベルの高い教育結果をもたらすことになるという見方も出来る。それに、企業は悪意を持って商品やサービス向上を目指しているわけでは無いし、単に企業が自分のところの商品は素晴らしいのです、ということが悪と言えないだろうという意見もある。

先日読んだ「ファストフードが世界を食いつぶす」の中で、アメリカの学校にコカコーラが参入してきたという話があった。最初は、学校に資金を提供する代わりにコカコーラ販売機を置く、程度だったのが、しだいにコカコーラ販売に有利になるように、授業内容や校則、教科書にまで口を出してきたという話だった。企業の教育現場参入というと、やはりこういった結果が怖い。

さて実際に授業を見ると、やはり単純におもしろかった。それは社会見学のようだった。出前社会見学とでも言えばよいだろうか。そういえば、社会見学と言うのは何の疑問も無くなされている行事である。その舞台を教室に移したからといって、なにか問題が発生するのかと言うと、これが昨日今日に関しては特に見当たらなかった。

そして企業が来るといっても、実際に授業をするのは人である。そこにその人の努力が垣間見えると、それはやはり「すごいですね」と言いたくなる。ちょっとしたことに、生徒は敏感に反応する。ちょっとした工夫が、すぐに生徒の笑顔に繋がっていた。


関係ないが、生徒たちに広がる2ch用語の広がり方が、ちょっと面白かった。僕が小学生のときは、クレヨンしんちゃんの話し方がやけに流行っていた気がする。いまは2ch用語なのだ。

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2005年7月12日

2005年7月12日

今日も昨日と同じように、小学校の授業を見に行った。
もう少し詳しく書くと、とあるプロジェクトのもとに推進される授業を見学・取材したわけです。

おもしろい授業ということについて考えると、やはり生徒が目を輝かせる瞬間を見逃さなければ、おのずとヒントは見えてくる気もする。

すると、やはりまずひとつ、映像や写真・パネルといったビジュアルイメージを使った場面では、やはりすべての生徒が食い入るように説明を聞いていた。

次に、難しい道具、縁の無いモノの話がされていても、現物が目の前にあって、触ったり、においを嗅いだり出来ると、それにまつわるちょっと難しい話も、楽しく聞いているようだった。今日はとある液体が入った小瓶が手渡されていたが、授業のあと、ある生徒はとっても大事そうにその小瓶をポケットに入れていた。「やった!プレゼントだって!」とその生徒ははしゃいでいた。

トークに関しては、生徒に喋らせるというのは大事なのだなと思った。先生というのはなにかを教える立場で、喋らないと教えることはできないわけだが、しかし生徒に質問しながら答えに導くという方法もある。それは時間がかかるが、理解度を上げるという意味では重要な気がした。


思えば僕が小学生だったのは、だいたい11、2年くらい前の話な訳で、しかし教室も廊下も体育館も懐かしいにおいがした。

それで、明日も小学校に行く。なかなかWEB更新する時間が無いですね。

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