2007年11月24日

2007年11月24日

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イエス!と言うのが内的に流行っているごろうです。ジョンとかヨーコとかの影響でしょうか。

幹事をしていた結婚パーティが終わった。予想以上に準備に時間をとられて大変だったけれど、参加者も盛り上げてくれて、良いパーティだったと思う。ダメ工房員のeriyさん、そして新郎のDさん、結婚おめでとう!

パーティでは、ダメ工房員の僕とよっつで、映像を作りました。引きこもりなのでビンゴだ何だで盛り上げることはできないが、僕らは映像は作れる。そう気負ってみたものの、作り始めると生来の凝り性が本領を発揮してしまい、本来ならもっと短い時間で作れるものを、徹夜含め膨大な力を注いでしまった。無駄に豪華なサンプリング、無駄に豪華なCG、無駄に豪華なエフェクト。仕事にはまるで力が入らないのに、遊びだと本気になれる。俺ら、やっぱりいつまでたってもダメ人間だなあと、よっつと確認し合った。

関係ないけど、よっつに教えてもらった鳥居みゆき、最初は分からなかったが染み入るようにハマってきてます。ひさびさに芸人観て面白い。なぜかイッセー尾形を感じる。

さてお祭りも終わり、本当にイラストを描かないとやばい。けっこう追いつめられています。追いつめられると日記を書きたくなります。写真はパーティの帰り、西永福の早朝。

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2007年11月22日

2007年11月22日

はじめて能を観に行った。いままで古典芸能というものに、まるで興味が無かった。能が何であるかさえ知らない。ひとつの演目で1時間40分とかするらしい。それの2本立てである。相性の悪い人は、すぐに心地よい睡眠の時間になってしまうという。渋谷能楽堂へ向かう間、自分がどう感じるのか、少々不安だった。

結論から言うと、もう心の底から感動してしまった。舞台で演じられるものをすべて演劇と呼ぶとすると、はじめて演劇を観て素直に「素晴らしい」と思った。その理由はいくつも挙げることができるだろうが、とにかく総合的な印象が良かったんだろう。

徹底的に要素が排除された、簡潔なお話を、延々と引き延ばして、引き延ばす。多分そうやって引き延ばした分、表現がどんどんときめ細やかになって、こちらとしても世界に入りやすい。演劇にありがちな「押し付けがましさ」というのが皆無である。1時間40分が、実感としてはその半分くらいに感じられる。

演目は「実盛」と「葵の上」のふたつ。どちらも良かったなー。特に「葵の上」は、まあ一言で言うと女の人が狂ったように嫉妬するという話なんだが、その嫉妬の中に、抑えきれない恋愛感情から、攻撃心、傷つきやすさ、自責心、そしてやさしさまで…、とにかくもうあらゆる感情が表現される。鬼のようなお面をかぶって踊っているだけのに、不思議といろいろな表情に見えてくる。そうなると、もう感情移入してしまう。この人、可哀想だなあ、などと思ってしまう。泣いてしまう人もいるらしい。それも、分かる気がする。

台本みたいなのが売ってたので、「葵の上」だけは買ってみた。見た方がもちろん、頭にストーリーを叩き込んでおけるので良いのだが、それでも台本を見たり、舞台を観たり…と、やや集中できない。実に細かいことをやっているので、追いつけないところが出てくる。たぶん本当に楽しめるのは、話をきちんと暗記してから、台本なんか見ずに舞台を観るのがいいんだろうと思う。そういう意味では、また同じ演目をやる機会があったら、必ず行こうと思った。もちろん他の演目も観てみたい。基本的にはずれがなさそうな気がする。

終わった後は、今回一緒だった「(仮称)能を観る会」のメンバーで、近くの「静岡おでん」のお店で感想を語り合ったり。そこもいいお店だったな。

さーて、キング描こうっと。締め切り的には非常にやばくて、はじめてK談社の人から「催促」の電話がきました。ちょっと怖かったです。

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2007年11月14日

2007年11月14日

最近はテレビをつけるのは、だいたいサッカーの試合のときだ。今日はもちろん、ACLの決勝を見てました。ACLは、とりあえず川崎と浦和が出る試合はちゃんと見てきた。(せっかくだから他の国のもやってくれたらいいのにな。)予選から、きちんと全試合放送してくれたBS朝日はエラいと思う。

でも決勝ってことになると、実況にはあの例のKアナウンサーがやってきてしまう。「絶対に負けられない…」とか言ってしまう。しょっぱなから長谷部とポンテを間違えてしまう。日本の国民が全員浦和のサポーターであるように言ってしまう。というか単純に、実況が聞きづらい。ちょっと、興がそがれた。いいじゃないか、いままでACL通して実況やってきた人で。あの人、けっこう良かったのにな。

それはさておき、ACLの準決勝の浦和のホームの試合はやばかったなー。ああ、日本のサッカーもこんなに盛り上がるんだー、と思って本当に驚いた。PK戦、絶対勝つ感じしたもんね、あれ。

僕は実家が川崎市ということで、やはり川崎フロンターレが気になります。あんまりテレビでやらないけど、今年はACLに出てくれて露出機会が多くてよかった。いずれ実際に見に行ってみたいな。ただ、あまり盛り上がるのを強制されてしまうと、またいつものように冷めてしまいそうだけれど…。それが激しく自己嫌悪になるので、これまでもあんまり、盛り上がるイベント関係には足を運びづらかった。

ただ去年、川崎市民ミュージアムにメディアアートの展覧会を見に行ったとき、たまたま隣の等々力競技場で川崎のホームの試合をやっていた。そこから離れて、けっこう武蔵中原駅のほうに歩いていっても、遠くから大きな歓声が聞こえてくる。Jリーグも終盤で、そのときは川崎は優勝する可能性があったのだ。お腹がすいたので通りの中華料理屋に入っても、店員が全員、川崎の試合に釘付けで、水さえも持ってきてくれない。それどころか従業員のおばさんたちは、左サイドの出来がどうのこうのと言って、ディスカッションまでしている。僕は客なのに待ちぼうけだ。でもなんか、いいなと思った。そんな大事にされてるチーム、僕も応援してみたいな、と。

そんなことを考えながら、最近の僕は携帯動画コンテンツのためのシナリオ書き書き、種々のイラスト描き描き、ブログのプログラムを打ち打ちしています。いずれも思うように進みません。集中力を上げるために禅とかやってみたいです。

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2007年11月8日

2007年11月8日

僕がインターネットというものに触れたのは98年前後だったと思うけれど、それからいろいろネットサーフィンしてhtmlを覚えて、ホームページを開設してみたのが確か2000年。それから7年ちょっとか。インターネットもすごく変わったと思う。むしろ、この変化の速さは驚愕であるとしか言い表せない。少なくともインターネットの意味合いというか位置づけみたいなものが、この10年ちょっとでまったく変わってきたと思う。だから、あのころと同じインターネット観ではダメなんだな、とようやく気づいたのはつい最近のこと。遅すぎる。

最初のほうは、インターネットはつないでるだけですごい、自分のホームページを持っているだけでもっとすごいという感じだったと思う。内容がどうとか、ある意味どうでも良かった。まったく知らない人とチャットしたりして、それが妙に新鮮だった。要するにオモチャだったのだ。インターネットそのもので遊べていたんだと思う。いまだって、小中学生がはじめてインターネットに触ると、その部分の新鮮さは必ず通過していると思う。

しかしだんだんSNSだのWikiだのblogだのpodcastingだのという話になって、もうなんだかとにかく、すっかりインターネットは当たり前で、手の届かないようなテクニカルなことも、まるで自分のもののように扱うことができる。まったく知らない人とのコミュニケーションにも、何の違和感も、新鮮さも感じなくなった。そうやって一通り、インターネットの面白さは味わいつくしつつある状況で、やっぱり何だかむなしくて、目の前に実体としてあるものよりもインターネットが面白いなんてことは、あり得ないんだよなあという、その面白さの順序というか秩序みたいなことを、(それはとても当たり前のことなんだけれど)僕はようやく気づけてきたと思う。インターネットって、けっきょく単なる”仕組み”だったんだ。それ相応の役割はあるが、きわめて限定的なメディアなんだ。そこ、気づくのが遅すぎた。インターネットに対するある種の過信があった。

日々、「実体がある」ということの力強さを、確認している。そういえば先日の森美術館での「六本木クロッシング」でもそれは思った。新聞を一日分ぜんぶ精密模写したり365日毎日自画像を描いたりという狂ったアーティストがいて、彼は80年代前半に画集を出していたようなベテランだが、それでも「今の作家」としてドカンと展示されている。その意味は、なんとなく分かるような気がした。

こうやって書くと、前回の日記が「セカンドライフはじめました」だっただけに、「セカンドライフで何か酷い目にあったの?」と思われそうだが、決してそういうわけではない。そこ、強く言っておきたい(笑)

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