2009年7月29日

大仏を見る(アヅマさんの視点から)

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公私が入り混じりながら大仏を見に行きました。

久々に見た鎌倉の大仏は、『デカい仏』と綴るだけあって、とても壮大でした。何年か前に訪れたときは、こんなに大きくはなかったように感じます。ハワイが年間5~8㎝ずつ日本に近づいてきているように、鎌倉の大仏も年間数センチずつ成長しているのではないでしょうか。僕の目には、僧帽筋のあたりが妙に発達したように見えるのですが、これを簡単に「それは君の錯覚だ」と決め付けることは誰にもできないはずです。もしかしたらプロテインを飲んでいる可能性だってありえるわけですから。

沢山の観光客の例にもれることなく、僕らも『記念撮影の儀』を執り行ったのはいうまでもありません。

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写真によっつくんがいないのは、別行動をしていたからで、是非とも次回は一緒に「あの大仏、ちょっと成長してるよね??」と確認し合いたいものです。ちなみに、このときよっつくんは、鵠沼方面でクソ不味い親子丼を食していたらしく、その一部始終を僕らに報告し終えた時の表情は、『マネーの虎』で吉田栄作に「ノーマネーでフィニッシュです」と宣告されたときの請願者のような“やるせない表情”をしておりました。

年齢を重ねれば重ねるほど、大きなもの(それが物質的なモノであれ、そうでないものであれ)と向き合うときに、さまざまな思慮を張り巡らしてしまいがちです。大きな桐箪笥を運ぶにしても、権力のようなものと対峙するにせよ、親の背中を見るにせよ、です。ですから、大きなものを目の前にすると、必要以上に向き合ってしまい、一層大きく見てしまいがちです。そして、結果的に、向き合った分だけの因果をばら撒いてしまうわけです。

しかしながら、これだけ実質的にも精神的にも大きな存在といえる大仏ですが、不思議とボッ~と眺めることができます。大きいくせに、なにも思慮を必要とさせないあたりが、大きな仏たる所以ではなかろうか、などと僕は思ってしまいます。

世の中には、「1984」(G・オーウェル)の『ビッグ・ブラザー』、雪山のUMA『ビッグフット』、田原俊彦の『ビッグ発言』などなど、様々なタイプのビッグが溢れかえっていますが、大仏ほど俗世間と切り離されたビッグも珍しいのではないでしょうか。大仏系ビッグこそ、ビッグたる風格をもっているのではないでしょうか。

今となっては、かつて大仏が作られた時代背景の思惑・思慮なぞも、どこ吹く風といった様子です。日本中世の彫刻師たちが造形している最中にあっても、

「私は、何百年後かには観光名物化しているはずだブツ。それにもかかわらず人間というのは愚かなものだブツ。それに肉髻という髪型は、人間たちの想像で、こっちの世界じゃ一度も流行ってないブツよ」

などと、当時からすべてをお見通しだったかのような、あの表情!!
なにも考えなくてもいいのに何かを考えたくなる、あの表情!!
そしてそれらをすべて飲み込んでしまう、あの表情!!
ジョンレノン、あのダサいおじさん!!
究極のドM、あの表情!!
ダブルシンクならぬ、エンドレスシンク!!!!

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傍らでは、ごろうくんが、加納典明のようにあらゆる角度から大仏を撮り続けておりました。もちろん、彼も大仏もニッコリともしませんし、恥らうこともありません。
無限に広がる無は、有限か。

次に訪れるときも、成長しているのだろうか。

踵を返し、出口に差し掛かるころ、僕の耳に大仏の助言が、うっすらとですが聞こえたような気がしました。

いや、はっきりと聞こえたのです。

『確かにハワイは毎年数センチずつ日本に近づいてきてるけどね。ハワイ自体も毎年数センチずつだけど、海面が上昇してるんだわ。だから、日本に着くころには、ハワイは海の中に沈んでいるから。ごめんね。あと語尾にブツとか言わないから。そういう安易なキャラ設定、きらいなんだよね、ごめんね』

我妻正清は、大仏の肖像権を応援します!! 
STOP、肖像権侵害!!!!

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2009年7月23日

ガンマン(よっつの視点から)

※今回の日記は「ガンマン(アヅマさんの視点から)」をよっつの視点から描いたものになります。
併せてお楽しみ下さい。




黒く巨大なシルエットと、輝く輪郭線が抽象画の様に、灰色の雲のキャンバス上に現れる。
夏の18時頃、弁天大橋から江ノ島を臨むとこんな光景が見える。

僕は青銅鳥居から島の西端にあたる稚児ヶ淵間を2往復し、へとへとになっていた。
帰り道を歩く間にもみるみる陽は落ちて、商店街のほとんどの店も明かりを消した暗い道を、駅に向かって進んでいた。
ふと、道の先に、黄色やピンクの蛍光色が眩しい一角があった。

夏の虫。

おそらくカッティングシートで自作した、原作著者に何ら断りの無い漫画のキャラクター達が輝く様な笑みをこちらに向けている。いや、実際彼等は輝いている。蛍光色のイエローやピンクに。

火に入る。

昔ながらのライフルが8丁程カウンターに並べられ、引金を引く者を待ち続けている。最後に手入れされたのが果たしていつか分からないが、銃身は雑に切り詰められ、ガムテープで銃身に固定され、プラモデルの塗料特有の安い銀色が塗りたくられて、要は弾を真っ直ぐ撃てそうにない。
仕事を確実に遂行できそうにないという意味で、本職のヒットマンも得物にしたがらない代物だ。

しかし我らが生兵法のヒットマンにはお誂えで、経年劣化でダムダム弾みたいに切り込みの入ったコルク製の弾丸を6発購入した。
連れの面々が囃し立てるが、弾を装填しているうちに、その声がフェードアウトしていく。

「照準の中に的が入ったら、3拍待て」

代わりにかつて、このおもちゃの兵隊に射撃を教えてくれた祖父の言葉が、ブリキの叩けばよく響く頭の中にこだまする。

「3拍」

こだまは続く。

「3拍、的が照準からずれなかったら、引金を絞れ」

射撃を教わった少年は、言われた通り実行し、発砲の反動で照準が目の下にがつんと当たって涙を溢した。

身体だけはいっちょ前に成長したものの、肝心の中身が8歳のその夜、夏祭りの射的場から何ら成長を見せていない26才児は、構えた銃の反動を防ぐため銃床に右肩をぐい、と押し付ける。

「格好つけたいのよ」

夏の虫並の脳味噌は、その言葉は辛うじて認識できたが、8歳のあの夏、フランクフルトに赤と黄色の線を引きながら祖母が言ったのか、それとも今この瞬間2時の方向に立ち、事の成り行きを見守る射的場の女主人が発したのかまでは判断がつかなかった。

既に引金を引けるタイミングは何度かあったのに、銃の反動が引き起こす目の下の腫れを懸念し、改めて僕の肩が強張る。

引金を引いた。

反動は押さえられ、射撃姿勢はぶれていない。
目の下は無事だ。

弾は明後日の方向に飛んでいき、的にはかすりもしなかった。
落胆する連れの面々に形だけの謝罪を言って銃を託し、僕は満足感に包まれながら、今度は野次を飛ばす側に回る。

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2009年7月15日

ガンマン(アヅマさんの視点から)

※今回は「もじあるき」を一緒に制作しているアヅマさんが書いてくれました。

ことの始まりは、ごろうくんの「射的をやってみたくなった」という一言でした。

確かに我々の前方には、ケバケバしく装飾された文字で『射的・スマートボール』と書かれたお店が構えており、否応にも好奇心を煽るような幻惑的な配色には、僕もよっつくんも気になるところではありました。

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しかし、いざ実際に「射的をやりたいか?」と問われれば、不思議とそんなに積極的になるわけでもなく、「別に…」と返答するのが概ね大半の意見ではないかと思います。そんなわけで僕らは、普遍的な普通顔(「別に顔」)で「…」と無言の返答をしたのですが、ごろうくんのテンションはまったく冷めず、それどころか1~2割増しで「やろう!!」とアゲアゲになっていたほどでした。

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お店に入ると、70歳くらいのときの森光子に激似の女将が、「いらっしゃい」と優しく声をかけ、僕らを歓迎してくれました。女将から説明を受けるや、いてもたってもいられないという面持ちで、ピストルを構えるごろうくん。

鋭い眼光は、メガネの奥からもはっきりと確認でき、僕もよっつくんも固唾を飲まずにはいられませんでした。

「ごろさん、何狙うの?」

と、よっつくんが尋ねると、「う~ん、何がいいかなぁ~…」と、猛禽類のような眼差しのわりに、銃を構えている本人は、案外何も考えていなかったことが発覚し、僕はズッコケてしまいました。

すると、森女将が、「6発(200円分)打てるから、1点分に加算されるピンクの札をまずは5回落としたらいいよ。そうすれば、5点分の景品と交換できて、必ず何かしら獲得できるから」とアドバイスをくれ、ごろうくんは迷うことなく、ピンクの札を狙い撃ちました。

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従順なる狙撃手!! まるで殺し屋のような手際の良さでした。

『パンッ!』と乾いた音の後、ピンクの札は“パタン”と見事に棚から崩れ落ちると、その乾いた音の心地よさがごろうくんにコツをもたらしたのか、その後も連続で札を打ち落とし、ノルマであるところの5点を獲得するにいたりました。

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満足気な表情で5点分を獲得したごろうくんは、数ある景品の中からパーティーグッズの『鼻メガネ』をチョイスし、「今日の賞金首は、こいつだァ~(鼻メガネ)」とでも形容したくなるようなオーラをまとっているように見えました。

それにしても、娯楽空間である色彩華やかな遊技場で耳にする『パンッ』という乾いた音の心地よさは素晴らしいものです。

例えば、かつて染之助・染太郎がTV画面に登場するだけで、その場がガラリと変容したように、遊技場の射的の音というのも、一種の非日常的な倒錯の世界へ誘ってくれる類のものであると思います。

「偶然によりもたらされる幸運や金品に高揚する心」や「期待値が上下する賭け事に参加する人々の心情」のことを『射幸心』と呼んだり、 「神事としての的矢において金的や銀的から矢を抜く儀礼」(厄や鬼が祓われたことを意味する)のことを、『祝的』と呼ぶように、心地よい音を伴って的を射抜くブレイクスルー感は、古来より気分を高揚させる形容として馴染みが深く、日常ならざる陶酔性を帯びているわけです。

そんなわけですから、ごろうくんの祝的を目撃した我々は、マジックシェルによってぶちまけられた臓腑を拾うミセス・ケネディの如く、必死の形相で財布から小銭を取り出し、「me too」と叫んでおりました。

よっつくんは、「あなたもまずは5点分を稼いだほうがいいわよ」とアドバイスをくれる女将に反旗を翻し、「いや、でかいの狙います」と照射を、明らかに初心者には難易度の高そうな的(ジッポライター)へと向けておりました。

ピストル片手に反逆する姿は、さながら革命家のようでした。

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少し呆れ顔の女将の顔は、もう本当に放浪記を演じているときの森光子にしか見えず、僕は、「今年に入ってから、急速に森光子(フォレスト・ライト・チルドレン)が文字通りチルドレン化してきているよなぁ」などと本気で女将の顔越しに、森光子を心配してしまったほどでした。「パンッ」と僕の煩悩を消し去るかのように音がこだますると、コルクは見事にライターに命中しました。

……が、はしゃぐ我々をよそに、女将はしたり顔で、一つの事実を叩きつけたのです。

射撃というのは的が倒れたとしても、棚から落ちなければ獲得にはならない、というのです。

明治時代、真っ当な外交条約を遂げるため、アメリカに渡るも無理難題、おまけに書面における無茶苦茶なルールを叩きつけられ途方にくれた岩倉具視たちの気持ちが理解できたような、理解できないような。

もうそこからは意地です。

絶対にあのライターを落とすという悲願を達成するべく、よっつくんも僕もごろうくんも、朝倉南が色紙に『甲子園に連れていって。あと、ジッポライターも獲得して』と書いたと想定して、全力投球に勤しむほかありませんでした。

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しかし、皮肉なことにジッポは倒れているわけですから、屹立しているときに比べ、コルク弾の当たる面積部分は、圧倒的に小さく、難易度は激増してしまっていたのです。

おまけに、棚に面している部分は横に倒れただけ大きくなり、重みのあるジッポを(あと少しの距離といえど)、棚から押し出し落下させるには、コルクが一発当たったところでは何の変化ももたらさず、当てては徐々に後ろに押し出し、最終的にはあと3~4発はあてなければ獲得できないということが分かったのです。

本来、射的のスタンダードな構え方は、的にギリギリまで銃口を近づけるタイプのものですが(女将曰く、それが一番当たる確率が大きいとのこと)、あまりにジッポが傲慢不遜な態度で棚に横たわっているため、我々三人は、「普通のやり方では無理ではないのか?」などと、思い思いにどうやればあの目的物を玉座から引きずり落とせるかばかりを考えていました。

そのような背景があるにせよ、よっつくんは何を思ったのか、途中からスナイパー方式の撃ち方に変更してしまい(遠距離から狙っているわけです)、「このほうが当たると思うんです」と、確証ゼロのアドバルーンを高々と打ち上げてしまいました。

『それは無理だって、よっつくん!! メディーーークッッ!!!!』

と、僕は彼を制止しようと試みましたが、「行ける気がするんです」と完全に泳ぎながらイッている目を見たとき、僕はすべてのことを諦め、言語能力を失いました。女将ですら、「ふふふっ、かっこつけたいだけよ(笑)」と嘲笑していたほどです。

そして、よっつくんは引き金を引いたのです。

『パンッッ』

(中略。果てしなく長いゼロコンマ何秒)

弾はかすりもしませんでした。

「すみません」

これほどまでに空しく、そして清々しく口から放たれた言葉を、僕は忘れることがないでしょう。

気がつくと結構なお金を使っていたと思います。

何発か当たり、女将も僕たちの情念を感じ取ったのか、はたまた優しさからなのか、手で少しずつジッポを後ろに下げてくれたりもしました。
日も完全に落ちる頃、「これでもう落ちると思うわよ」と大サービスで、落下寸前の位置までずらし、なおかつ、横になっていたジッポを再び立ててくれたほどです。

ありがたいやら、申し訳ないやら、情けないやら、様々な感情が入り混じりましたが、あと一発当たれば、間違いなくジッポは落ちるのです。それにもう、陽は落ちているのです。

最後はこの射的に興味を持ち、偶然ながらも開拓してくれたごろうくんに華をもってもらいたい。
その一心から、よっつくんも僕も花道を作ることにしました。この日最大の射幸心の到来です。

「いいんですか?」

「もちろん」

僕が頷くと、

「ごろさん、決めてください」

と、よっつくんも正視。

そして、

ごろうくんが引き金を引くと、

弾はかすりもせずに後ろの壁に当たりました。

なるほど、昔の人はセンスがあります。

これはもう“的外れ”そのものだったのですから。


レインボーブリッジから晴海あたりを見渡すと、海面からそびえて立つかのように林立している高層ビル群が、たまに射的場のように見えたりしました。あのビルを打ち落としたいなぁ~などと、東京湾を通過するたびに思っていたものでしたが、久しぶりに本当に射的をしてみると、当たり前ですが、全然違うものなのだと痛感してしまいました。

こっちは楽しいものなのです。

できれば今度は、ビール片手に。しきりに、そう思うのです。

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2009年7月5日

【宣伝】Navigate DVD “カフェ・ソウル” featuring 斎藤工

よっつです。

今月公開の日韓合作映画「カフェ・ソウル」
その公開に伴って、撮影中の主演俳優・斎藤工とジョン・フンの2人に密着したメイキングDVDが発売されております。
ファン必見のお宝映像満載です。

というわけで、僕が編集に携わった「~featuring 斎藤工」をご紹介します。



一番印象深かったのは、撮影期間が丁度WBCの決勝戦の時期で、ヒートアップした野球観戦でついに撮影が中断する1コマ。いやあ日本では考えられない。
しかも日本人スタッフは俳優含め数える程しか居ないため、何となく応援の憚られる状況で、これは昔、僕がゲストハウスに住んでいた頃、僕以外全員が中国人という状況で太平洋戦争のドキュメンタリーを観ていた時の座りの悪さを思い出した。
他にも撮影の合間に謎の屋台に立ち寄ったり、韓国の街並み等、軽くウルルン滞在記で見所沢山です。
韓国にご興味ある方も是非。


因みにもう一人の、「~featuring ジョン・フン」はこちら。



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