2009年10月27日

「もじあるき」荻窪編 放映日

こんにちは、ダメ工房員の大里です。

ダメ工房で制作している、BSフジ「Beポンキッキ」の1コーナー「もじあるき」荻窪編の放映日のお知らせです。

20090320

【放映日】
11/5(木) 荻窪編(10分)

BSフジ「Beポンキッキ」
朝7:30~8:00 (再放送 夕方5:00~)

【インターネット配信】
フジテレビKIDSクラブにて、各放送週の金曜〜日曜まで配信

【出演】
チェルシー舞花/清水優哉

【内容】
街を歩きながら、毎回決められた文字を探すコーナーです。
今回は荻窪で「さ」を探します。

【よもやま話】

中央線沿線は、以前からやってみたいと思いながらも、なかなか着手できなかった街でした。どの街もひとつひとつを見ると、なかなかクセ者な街ばかりで…。自由が丘、武蔵小山編では、時制を変えたり、アニメを入れる前提の撮影をして、それはそれで良かったのだけれども、やはり原点である、キャストふたりの素朴な表情というものに重点を置こうと考えました。そうすると、中央線沿線の中では地味な部類に入る荻窪という街は、「もじあるき」との相性が良いのではと思ったのです。

とりわけ、かつて多くの文学者が通ったという教会通りの雰囲気は素晴らしく、そこかしこで流れるゆったりとした空気は、巣鴨を思い出させました。この街を良さを生かすために、子ども番組には似つかわしくない「文学性」をテーマに、いつもとはまた違った編集を施しています。そのときの模様については先日よっつが書いてくれたのですが、なぜ宇宙空間でポケモン現象の心配をしていたのかは、実際にご覧になれば、ご理解いただけるかと思います。

写真はロケハンでのひととき。(クリックで拡大します)

20091027


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2009年10月19日

【アヅマ日記】ロケハン時の食堂

他人の注文した料理が運ばれてきた時ほど後悔することはない。
「なぜ俺は、彼が注文したあの料理を頼まなかったのだろう?」
他人の注文した料理が、自分の注文した料理よりも美味そうに見えるのは何故だ。
大いなる謎。
間違いなく俺はカルボナーラを食べたかった。
しかし今、彼の眼前に運ばれてきたあのハンバーグの不埒な肉汁はなんたることか。
それに引き換え自分の手元にあるカルボナーラのなんと不気味なこと。
こいつは、いつの間に俺の目の前に現れたんだ。
まるで土足で茶の間に上がりこんできたかのような不快感。
俺の舌という大事な箱入り娘を、貴様のようなどこの馬の骨か分からんようなイタリー麺風情にあずけることなどせんぞ。
俺のインシュリンを抵当にかけても、貴様からのその生クリーム的な干渉は絶対に受けつけんぞ。
早くこいつをGET OUT(ゲラゥト)してくれ。

……
もちろん、口に出せるはずがない。いつもそんなことを思いながら他人の料理を一瞥した後、黙々と自分の料理と向き合うことにしている。
あっちのハンバーグのほうが美味しそうだ。卑しい発想のなか、自分の注文した料理と向き合うのは格別だ。なんせ何の味もしない。
交感神経と副交感神経には逆らえない。“腹が減っては戦が出来ない”のなら、皆を空腹のままにさせておけば戦争のない世界が訪れるのでは。まさか。食糧戦争勃発。
食べ終わった後は、『皿と共に去りぬ』だ。
キレイさっぱり、カルボナーラのことも、誰かが頼んだハンバーグのこともオムライスのことも忘れるようにしている。あれは夢だったのだ…と。

だが、時々、現実がある。厳密にいうと、忘れられないだけだ。それは夢として忘れられないだけではなく、つまり現実として忘れられない。要するに、他人の料理が美味そうに見えないということだ。信じられない。どんな料理が運ばれてきても、他人のものは美味そうに見えるはずなのに、まったく美味そうに見えない。
それは自分の右手と左手を使って“一人ジャンケン”をして勝敗を予想することよりも容易なことなはずなのに。
稀にそんな料理にお目にかかる。一人ジャンケンよりも空虚なお店。

かつて、よっつ君が『がっかり食堂』という存在について語ってくれたことがあった。
その定義は難解すぎて、途中から何を言っているのか理解できなかったが、落第生である僕なりに解釈すると、先に述べたような店なのではないか? と個人的推測に到った。(『がっかり食堂』の定義についてはいずれ吉村先生からレクチャーがあると思うので、ここでは割愛させていただく)
もじあるきのロケハンの最中に、何回かそのようなお店の暖簾をくぐったように思う。
名前は忘れたが、飯田橋のとある食堂に入った時のことだ。
お昼時となり、我々の会話はおのずと昼食についての話題に行き着いた。ごろう君とよっつ君は、ロケハン開始前からその店と決めていたらしい。値段は安価、雰囲気はレトロ。「あそこにしよう」と、二人は僕を案内してくれた。確かに門構えからは趣が感じられ、印象も決して悪くなかった。我々三人は満場一致の常任理事国のごとく、絶対的決定権の下で入店という決議を下した。

中に入ると、あまりの狭さに閉口した。
中世の拷問器具に『アイアンメイデン』というものがあるが、この店はそれのちょっと大きいバージョンなのではないか、と思ってしまった。ご飯を食べている最中に、四方から剣山が出てきて僕たちを串刺しにするのではないだろうか。
恐怖のなか、500円の低価格セットを注文すると、厨房のビッグママから、
「ご飯は別注文です」
ということを知らされた。ご飯を注文すると700円になってしまった。なんてことはない。この店は普通の価格だった。
隣のごろう君を見ると、明らかに「失敗した」という顔をしていた。どう表現したらいいのか分からないが、プールで大量の水を飲んでしまったときにする“小さな怯え”の表情だった。小刻みに震える口で、「ご飯も…」と頼んでいたように思う。
よっつ君は、不気味な笑みを浮かべていた。何故この状況下で笑っているのか、僕は深入りするべきではないと考えることをやめたが、おそらく彼が“がっかりの匂い”を嗅ぎつけていることだけは直感した。
料理が運ばれ、口の中にペプチドを放り込んでいたとき、ごろう君は何かに溺れていた。普通、何かを食すときはモグモグという擬音であるはずだが、このときのごろう君の咀嚼音は何故かゴボゴボという反響音を奏でていた。
皆の料理が運ばれてきたときも、箸を動かしている今も、僕は美味そうに感じることが出来なかった。目の前にある自分の料理も、両隣の二人の料理も、そしてこれから食べるだろう今日の夕食…未来の料理でさえ。
一心不乱に食べ続けた。そして、よっつ君を見ないよう、見ないように…子供の頃、サンタクロースの格好に着替えている親の姿がチラッと見えたとき、僕は恐ろしくなって布団を頭からスッポリと被った。今から起こることはシアター・オブ・ドリーム。よっつくんの垂涎の的がもはや料理の味にではなく、この料理を作り出すお店にあるのは明白だったが、僕は彼のよだれを制御できなかった。怖かった。彼の目は、このいたって普通の、それどころか中の下の下の料理の中で爛々としていたのだから!!

すでにごろうくんの冒険の書は消えていたようで、生存者であった僕とよっつ君にビッグママが話しかけてきた。入店時から今に到るまで、このお店のBGMは放送大学のラジオ(情報科学だとか行動経済学だとかを、おそらくカイゼル髭を生やしているであろう人物が半永久的に講釈をたれる)という硬派ぶりであったから、ビッグママからの会話はえもいわれぬ一縷の望みのように思えた。凡庸な味付け、退屈なBGM、バッドムード。負のスパイラルを断ち切る、最適の好機が到来したのだ。
ビッグママ、推定65歳。彼女が投げかけてくる話題は、今まさに流れている放送大学の講座を反復するという絶望的な内容だった。
「臨床心理学を聞いていると、私はこういう商売をしているけど役に立つのよ。ねぇ? 臨床心理学いいわよ。ねぇ? いいわよ、ねぇ?」
といった具合でキャッチボールを求めてくる。
ビッグママはアパッチキャッチボールしか出来なかった。
よっつ君はこの日最大の悦の表情に浸っていた。彼の顔には『がっかり食堂発見』と書かれていた。
僕は、貝になりたかった。

その後、「なぜ今?」というタイミングで冷や奴がテーブルに置かれた。
サービスなのか、出し忘れていたのか、はたまたよっつ君を気に入ったからなのか。
なんにせよ、そろそろ食べ終わりそうな頃合いに冷や奴が出された。
まるで、「冷や奴は食前ですか? 食後ですか? はい、食後ですね」的なやりとりが行われていたかのように。あまりに見事で的外れなタイミング。何百万年も前から、DNAに豆腐を出すタイミングがインプットされていたかのように、それは超然的に高踏的に差し出された。
ぼんやりと豆腐を口に運ぶとき、ビッグママはIT技術についてよっつ君とアパッチキャッチボールをしていた。記憶の白波に運ばれているのか、遠ざけられているのか。
その区別はつかなかったが、確かなのはこれは現実であり忘れられないということだ。
おふくろの味は忘れられないらしい。だとしたら、この味/記憶は一体どう説明したらいいのだろう。これを悪夢といわずして、なんと言えばいいのだろう。

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2009年10月11日

レッドアラーム

気付けば「もじあるき」の制作が始まってほぼ1年。
アッフェでのアニメ制作はある種の到達点に達したと思わないでもない。
まあまだ使った事無い機能とか星の数程あるんやろうけど、例えばモーションデザインをやってるわけではないし、カラコレとかも全然目的にしてない僕の、あくまで個人的な志向の話で、「僕がアッフェを使う時は何が狙いなのか」の基本を自己認識できたと言うか、つまりまだまだ通過点に過ぎんのやろうけど。

何でそんな事を思ったかと言うと、次回「もじあるき」でついに3DCGに手を出してしまったからだ。
と言ってもMayaとかバリバリのソフトではなく、結局アッフェの疑似3Dではあるんだが、興奮具合としてはスーファミで初めてポリゴンを見たような(悪名高い「アウターワールド」でした)気分。
しかしこれがまた、次元が1つ違うだけでこんなに考える事多くなるんか、という位煩雑。1ピクセルのずれが死を招く。しかし設定した空間上にカメラを自由自在に放てるのは爽快です。たった10秒程度のアニメのために1日かけて焦点距離だとかブラーの量だとか、アングル角度だとかいじっては悦に浸っていた。

そしてそうやって凝れば凝る程レンダリングに時間がかかるのも初体験。先ず「この効果をつけると画面上どうなるかな?」とプレビューするためにキャッシュを全消去しなくてはならない。あまつさえレンダリングに2時間。
友人のCGメインな制作で、大学の部屋にあるパソコン20台位を全部使って「予想所要時間:46時間」とか出た時の真相が解った。10秒で2時間、しかも量としては全然のレンダリングでこれやもんなあ。

そんなこんなで作り上げた初3D。まあ出来としては殊更自慢できるような品では勿論ないんやけど、まさか没になるとは思わなかった。
それがこれ。

ピクチャ 1のコピー01

ピクチャ 1のコピー03

ピクチャ 1のコピー02

内容は、宇宙空間に浮かぶチューブを高速で通過してワープするというもの。
さて問題。出来云々は置いておいて、どうしてこれがNGとなったか?

答はかつて問題になった「ポケモン現象」の後遺症である。
あのアニメで発作等様々な被害が誘発された後、各テレビ局間での放送コードの取り決めに新たな項目が加えられたらしく、解り易く言えばその項目は「1フレーム(約1/30秒)毎に異なる画像に切り替わってはいけない」というものだそうだ。
これは完全に予想外のチェックだった。上の映像で問題になったのは「高速で連続した輪をくぐり続けるがために輪がフラッシュ的に見える」箇所で、こういった類の映像は審査機関を通す必要があるらしい。

いつも内容的に納得のいかないチェックは撥ね付ける僕らだが、今回は時間的な問題とテレビの限界として渋々了承する事にし、内容を修正した。

「渋々」と書くと語弊があるが、個人的な感情だけでは無い。
まあ修正の結果アニメが輪をかけてダサくなったのは残念だが、このポケモン以降の新ルールによってテレビでは放送できなくなった過去の作品は結構多いんじゃないか、という点が一番「渋々」なのだ。
例えば今回のアニメと内容的に似ていて、同じ任天堂だと「スターフォックス」のゲーム画面の一部とか。ゲームで言えば昔の、3次元をワイヤーフレームで構成するシューティングとか軒並み危なそうだ。
テレビ番組なら「ケイゾク」のオープニングとか。実は以前「両国編」で似た様な編集をし、今回と同じ理由で修正を余儀無くされている。
映画で言うと「セブン」のタイトルクレジットが危なそうだ。

実際の放送コードは配色とか画面上の面積比率とか詳しく規定されてはいるんだろうが、何か差別語とされている単語の自主規制に似た感じの印象は否めない。
半面、いくらテレビを見る時に部屋を明るくして離れて見ても、最近のテレビは画面が大きくなる一方で、日本の住宅事情を鑑みるにその影響にナーバスになっても仕方無いかなあ、とも思う。


そもそもこんなトリッピーなもんを朝から流れる子供番組に作るなって? それは君、子供に失礼だよ。特に子供の頃の僕に。


【PS】
今回3DCGを手がけるにあたって参考にした映像(勿論足元にも及んでない)。

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