2010年1月25日

花や四季

初夢はどうだった?」
という話題は、正月が明ける位までの新年の挨拶後に切り出される話題ランキングで絶対に首位を奪う事は無いものの、さりとて30位を切る事は無さそうな気がするよっつです、こんばんは。

ただし夢の内容を覚えているなんて事は余程印象深い夢を見ないとあり得ないし、そもそも夢は覚えている、いないに関わらず毎日見るものだという話もある。
もしも厳密に31日深夜~1日早朝に見た夢が初夢である、と定義されるならば、その内容が悪夢で、しかも記憶に残らなかった場合、誰かに話して夢が叶わないように仕向ける事ができなくて嫌なので、僕は毎年初めて印象に残った夢が初夢であると勝手に定めている。
因みに僕の今年の初夢は、午後6時を過ぎるとカニバリズムに目覚めてしまうロンドンブーツ淳の住処である地下迷宮から、スーパーのレシートの裏に書かれたメッセージを頼りに脱出を図る、という夢だった。話すまでも無く叶わないだろう。


「では、誕生日の記念に何でも好きな夢を叶えてあげましょう」
との妖精の囁きに乗って、生まれて初めて浅草の花やしきへ行く事にした。



浅草といえば、昨年までやっていた「もじあるき」の初ロケを敢行した場所であり、メジャーな仲見世通り~伝法院通りは飽きる程歩いていたので、「朝の番組に似つかわしくない雰囲気」という理由でロケを見送った浅草六区で腹ごしらえをする事にした。

ぶらぶら歩いて、フィーリングに任せて入った飲み屋の牛めしが大ヒット。量が少々物足りないが、よく煮込んである牛肉と、見た目大根・食感強いて言うなら蒟蒻、の謎素材が最高に美味い。



テレビでは丁度競馬中継をやっていて、僕ら以外の客は皆競馬新聞片手のダーティ・オールドメンで、最高に場違いだったのだが、最近競馬に興味を持って競馬場に行った話をしていると、隣の客が少し目を見開いてこっちを向き、「若いの、競馬に興味があるのかい?」という表情で振り向いた。気をよくしてくれたのか、騎手の誰かの話を聞こえよがしな独り言で口に出していたが、申し訳無い事に僕らはそこまでの知識はまだ無かった。
だがまあ、幸先良いスタートである。

花やしきに着いてみると、沢山のコスプレイヤー達があちらこちらでポーズを決めて写真を撮っている。どうも今日はそういったイベントが園内で開催されているらしい。しかしジェットコースターに並んでいるルフィは妙だ。普段もっとスリリングな体験を、海賊王を目指す過程で経ているだろうに。
だが、周りの一般客の人達も別段関心を示さないところを見ると、コスプレというものが相当な市民権を得てるんだなあと実感する。

そんな感じで、花やしき名物の一般家屋を突っ切るジェットコースターや、打ち上げ式のアトラクションを順当に制覇した後、やはり場所柄ノスタルジックな気分になってしまい、昔懐かしのびっくりハウス、ホラー風味のコースターライド、そしてリトルスターという回転する星型の装置を堪能した。
特に個人的に子供の頃から大好きなびっくりハウスでは、ちょっとはしゃぎ過ぎてしまい、対面に座っていたコスプレイヤーカップルの「それ程でもない」という印象を覆す程はしゃぎ過ぎてしまい、カップルに「座る位置が悪かった=僕の座っていた側で体験すれば僕の様な恍惚感を味わえるに違いない」という勘違いを生じさせてしまい、「もう1回あっち(僕が座っていた側)で乗ってみようぜ」なんて話をして列に並び直していた。悪い事をした。

その後ゲームコーナーへ行き、弓射ちという珍しいものがあったので体験。





結果は3本中2本、俵の的に刺さったものの、得点になった(黒い箇所に刺さった)のは内1本で、竹とんぼをもらって帰った。




明日からは今年1発目の大きな仕事が始まる。
今年2発目以降をものにするためにも、気を引き締めないとというところだ。

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2010年1月23日

同窓会

こんにちは。工房員の我妻です。

先日、同窓会というものに行ってきた。厳密には、10人程度が集まるプチ同窓会とでもいおうか。僕は中学を卒業してから、なんどか引越しを繰り返してきた。当時はケイタイ普及夜明け前。小学校~中学校の旧友とのパイプはゼロに等しく、風の噂で彼らが今何をしているのかということを聞いているに過ぎなかった。

僕にとって、「一番面白かったのはいつだろう?」と振り返るとき、揺るぐことなく『小学校~中学校時代』であったと考える。そこを過ぎ去ってからは、“いかにつまらなくならないか”だけを考えて、日々生きていたような気さえする。あのときが沸点であり、あれ以上面白いものはこの世に存在していないとすら思う。全てが面白おかしく狂っていた。

今では30歳になってしまっている。中学卒業から数えると15年も会っていない。明日死んでしまったら、半生会わなかった計算になってしまう。自分を形成したであろう友人たちだが、人生の半分以上も顔を会わせていないとなると、もはやそれは疑わしきもので、本当にそこに実在していたのかも、思い出もあやふやだ。あんパンの中身は、当然あんが入っている。人生の半分以上、当たり前のようにそこにあったあんパンを食べていないとなると、やっぱり「あんパンの中身は本当にあんが入っているのだろうか?」と疑わしくなるものなのか。

そういう中で、たまたま、
小学校~中学校時代の面子と会う機会に恵まれた。

一緒の塾に通って一緒の団地に住んでいた仲の良かった友人が、美術刀剣刀匠の資格をもった立派な『刀鍛冶』として岡山で働いていることが分かった。偶然にも刀鍛冶としての彼のHPを見つけたことから判明したことだった。唯一僕と連絡網のある小学校時代からの友人が、彼にメールを送り親交が復旧した。1月は東京庵で仕事があるとのことで、だったらその時に会おう。連絡が取れて、来れそうな人間が集まるというアンオフィシャルな同窓会を開こう。

彼は同窓会の前日まで、他の刀匠と仕事をするため山篭りをしていたらしい。決して空手バカ一代ではない。その刀匠の庵が山の中にあるからということらしい。山から下りてきた彼を囲んだ旧友の数は10人程度だっただろうか。ただただ懐かしく、本当に嬉しかった。15年会っていないというのは、15年月日を重ねている。「案外、歳を取ってみるもんだなぁ」と妙に思ってしまった。

15年という褶曲した月日の稜線は霞がかり、川底を覆うように堆石した各々の15年は計り知れないし、推し量れない。色々変わっている部分もあるけど、まったく変わっていない。こうやって顔を合わせるだけでこんなにも嬉しいということが面白い。またいつ会うのか分からないけど、集まった面子のほとんどと15年もあっていなかったというのは、いまとなってはそれすらも良き思い出。

まるで蜃気楼のようだった。
朝方家に帰ってきたときは、昨日のことを“まるで昨日のことのように”思い出していた。ヘルツォークの『アギーレ』で、キンスキーが客船を人力で山越えさせるシーンがある。なぜだかあのシーンが、今はいっそう分かる気がする。
来月から個人的な今年の山場が始まる。その目前に30歳になり、旧友との連絡網が復興した。昨日の蜃気楼のなかで、僕は霞を食べることが出来たのだろうか。その答えはこれからだ。

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2010年1月17日

因縁の府中自動車試験場へ

こんにちは。工房員の我妻です。

先日、因縁の府中自動車試験場に、免許の更新に行って来ました。
≪なぜ因縁になったのか?≫については、以下の「府中試験場~免停返上篇」をご覧下さい。

———————– 
ある日のこと。

苦虫を噛み殺しながら東府中くんだりまで交通違反者講習を受けに行ってきた。ルサンチマン100%の芳醇な殺気を漂わせながら、自動車講習を受けに。はっきり言ってね、席について左右前後を見渡すと、どいつもこいつも一癖ありそうなケダモノばかりで、とてもじゃないが堅気な人間なんて一人もいない。そりゃそうだ、平日の早朝からこんなデッドエンドにいる輩は基本的にヤクザな商売している人間しかいねぇもん。

トラッカー、ビラ配り、サンドウィッチマン、ニート、ホスト崩れ、ベーゴマ職人、ロマンスグレー、そして俺…そんな人間たちしかいないわけでね。言わば、違反者たちによる違反者のための人間動物園ですよ! 人間学園「ZOO」と名付けよう! まず最初に、それが違反講習の本質だと理解していただいたうえで、下記を追っていっていただければ幸いです。

まずこの講習なのだが、名前では呼ばれない。僕は1025番というトリッキーな名前で(あだ名は25番)一日を過ごすことに。「なんでこんな雑居房みたいな仕打ちされなきゃいけねぇんだ! 俺の中のサソリが黙っちゃいねぇぞ!」ってんで、渡辺文雄的存在をメッカチにしてやろうと思ったんですが、教官の人たちは意外と親切なんで拍子抜け。

『親切のエレメント』を巧みに使い分ける教官の手馴れた対応に、キバを抜かれる人間学園の獣たち。講習を受けていたケダモノの人数は27人ほどいたのですが、この第一関門『親切のエレメント』の時点で、ニート・サンドウィッチマン・ベーゴマ職人あたりの、言うなれば独眼鉄・偏翔鬼・男爵ディーノ(@男塾)レベルの猛者は軍門に下ってしまうことに。

午前の講習は違反にまつわるエトセトラなんかの高説をたれるのですが、この説法がなかなか厄介な関門。延々と、交通事故に遭った人たちの悲惨話を煽るんですよ。春団治みたいな面をした教官が生き生きとした顔で「植●人間! 障●者! ●がもげたりしてハンデだな! そりゃ悲惨の限り! 獅子身中の虫を殺せ!」(ホントにそう言ったんだよ!)とか説法するんですけど、あまりにパンクで。何かの前衛運動かと思ってしまうほどの舌鋒に、思わず笑っちゃいました。「交通事故の叩き売り」という演目なんて初めて見たし、なにより、あんなにも恍惚の表情で“人の生き死に”を語る人を久しく見ていなかったので。『府中のゲッぺルス』を見れただけでも高い金を払った甲斐がありました。この利剣によって煩悩や魔障を打ち砕かれた受講者も多数で、彼らは何を思ったのかメモ欄に教官の教えである「常楽我浄」と書き綴っておりました(これもホントなんだから!)。

お昼を過ぎる頃には、27人のうちの約半分が魂を砕かれ、もぬけの殻になっていましたが、僕はさきほどのデマゴーグを録音するほどの余裕もありましたし、まだまだ健全でした。しかし午後! 

これこそがこの講習の最大の山場であります。「運転実習」(14000円)の他に、「屋外活動」(10000円)という項目があり、我々違反者は双方どちらか一方を受けなければならないわけですが、4000円も高い「運転実習」を受ける人のほうがなんでか多い。終了時間はどちらも一緒なのに、なんでか車に乗るほうが多い。僕なんかは原付で捕まったケダモノですよ。「なんで車なんか運転しなきゃいけねぇんだ!」ってことで、「屋外活動」を選んだんですが、どうも予想以上にダメージが大きいような気がしてきて、内心穏やかではなくなってきたのも事実でした。気がつけば、「獅子身中の虫を殺せ!」と小声で呟くマイセルフになりかけておりました。危ないィィ!

ゴミ掃除とか自転車の整理などとタカをくくっていたんですけど、活動内容はどうやら「交通量の激しい交差点での手旗の上げ下げとティッシュ配り」ということが判明。
おいィィィ! 聞いてないよォォォ! 完全な『辱め』じゃないか! 俺に“ロードス島の巨像”になれと? 見世物になれってか? 加えて「ティッシュ配り」だとォォォォ? 俺の人間的アキレス部を切断する気か?! お里が知れちゃうよ! 

“交通量の激しいところで客観的に現場を見ながら社会活動をする”ということらしいけどさ、確かに交通的には『善』かもしれないけどね、ホスト崩れ・ニート・サンドウィッチマン・酒気帯び常習者、そして俺なんかがそんな人目の多いところで交通活動をしたら社会的には『悪』以外の何物でもないでしょうが! みんな、オデコに『悪』ってタトゥーを入れている大罪者ですよ! 

だってホスト崩れなんか、元プロボクサー畑山みたいな金縁メガネをかけて、全身黒のロングコートを着たうえから、「交通安全」って書かれたタスキをかけてんだよ。コントじゃない! 俺が子供だったら、『不安』しか感じないね。「交通安全」っていうタスキかけてる人物が限りなく安全じゃない人種なんだよ。「~~~哉(也)」って反語文法があったけど、彼一人で体現しちゃったよ。“歩く疑問の終尾詞”となった彼氏、もちろん「横断中」っていう手旗を持ってるんだけど、絶対に「ここではないどこかを横断中」って解釈されちゃうよ。あんなね、瀬々敬久がプロデュースしたみたいなホスト崩れが手旗持ってたら、僕たちなんて単なるVシネの共演者にしかならないですよ。

彼以外にも、ティッシュ配りが社会的に悪影響を及ばすのでは? と感じた人ももちろんいました。小学生たちに≪マジで故意する5秒前≫みたいな危ないオッサンもいたし。キチンと考えてよォォ、何の更正に来たのかわがんねぇよ。

ちなみに、僕は来世分の笑顔を前借りして精一杯配ったので(残りティッシュ数:ゼロ!)、中選挙区制に戻れば当選するくらいの『街の人気者』にはなれたと思います。途中、僕のあまりの作り笑いに翻弄されたのか、中国人らしきご婦人が「産婦人科はどっちですか?」と聞いて来るほど! もちろん、場所は答えずに笑顔で『謝々!』とだけ返事をしておきました。ともあれ、二度とこんなことは避けたいッ。場所の都合上、多磨霊園を縦断して駅まで戻らなければならない、という断罪感も抜かりがないよね。
from the cradle to the graveっかての。

————————

と、こんな因縁があったわけです。
まぁ今回は、特に何もなかったんだけどね。

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2010年1月11日

1QQ8

こんばんは。工房員の我妻です。

今年はW杯イヤーです。思い起こせば、ドイツワールドカップにおける日本の惨敗は、文字通り惨めなものでした。“チームがバラバラだった”などと後に回顧されていますが、その構造の中心が『中田と反中田派閥の対立』だったのは、今更いうまでもないのでしょう。僕は、それに関する記事や書籍などを読んでみて、この二つにはまさしく相反する発想があったのではないかと、個人的結論に至りました。

それは、反中田派(黄金世代を中心にしたメンバー)といわれた彼らのスタンスが、座的・ムラ的な特徴だったのに対し、中田は家父長的・イエ的な発想の持ち主だったのではないのだろうか?? ということでした。まるで中世の西国と東国のようなスタンスの違いです。これじゃ、チームに和をもたらすことなどできるわけがないですよ!! なぜって、この後、日本は南北朝に分かれて内乱が始まってしまったわけですから(日本史で一番面白い時代ではあるのですが)。

具体的に何が違うかってのを、簡単におさらいすると……。
西国の村落生活中心に対して、東国の在地領主制。弥生文化を早期に取り入れたのに対し受け入れなかった東国。婚姻による結合…すなわち年齢階梯制を重んじるのに対し同族結合関係を重んじる東国。海を生活の中心に考えているため、貿易と水田に重きを置く西国に対して、山を重んじ農耕と土地…そして銭に主を置く東国…まさに西船東馬な相違…などなど。

リフレッシュの意を含んだマリオカートでワイワイする村落自由生活的反中田派閥に対し、あくまで合理的発想に基づいた時間管理をする中田。先輩後輩の縦の関係を尊重することや、黄金世代など呼ばれエリート街道を進んできた一種の選民的発想も少なからずあったであろう反中田派閥に対し、カズやゴンに対してもタメ口でダメだしをしていた年功序列など意に介さない中田。楽しくやって尚且つ勝てればいいという発想の反中田派閥に対して、サッカーはビジネスでもあるわけだから勝たなきゃ意味がないという発想の中田。
反中田グループと中田の食い違いは、まるで中世の西国&東国のように全てが真逆の発想で動いていたのではないのかって思ってしまうわけです。けっこう無理やりだけど、僕は西国&東国的な差異が当てはまるような気がしてしまうのです。

そんなわけだからして、反中田派閥(小野など)は正月の年取魚として「ブリ」を食べているのに、中田だけは「サケ」を食ったりするのだろうし、「餅は四角!」だと吼える中田に対して、反中田派閥は「はぁ? 丸に決まってんでしょ!」と反発したり、「死穢」を忌避する中田に対して、「産穢」を忌避する反中田派閥などなど…そんなところまで対立していたのではないだろうか?? と、疑念は止まらない。そりゃ、ボールどころか何も回ってこない!

この溝を埋めるのがカズであったりしたんだろうなぁと。実際、中田は態度こそ家父長的だけど、本来は父的存在に助けられて躍動する長男的資質の持ち主のように感じます。彼の出発点でもある『前園の後ろで「ラ王!」と叫ぶ姿』を覚えている人ならばご理解いただけると思うのです。ツネ様こと宮本では、役不足だったのでしょう。

もし名波であったなら…。
サッカーファンならそう思った人は少なくないはずです。
その名波浩の引退試合が先日行われました(当日、静岡エコパスタジアムに観戦しにいった人たちが羨ましい!!)。
いかに名波という存在が大きかったのかを改めて思い知らされました。フレンドリーマッチ的な要素が極めて高いとはいえ、あんなに華のある国内の試合って、ここ最近あっただろうか。もちろん思い出補正がかかってはいるのだけれど、98年組のまばゆいこと。この試合に4万人以上のお客さんがつめかけたというのが、論より証拠。ジュビロ組も含めて、あの面子だけでずっと酒が飲めてしまうから不思議です。本当に素晴らしい引退試合でした。いいもん見れた、ありがとう!

あと、中田は今すぐにでも現役に復帰するべき。

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2010年1月6日

鰭崎英朋展へ

こんばんは、工房員の我妻です。

先日、弥生美術館にて1月3日より開催している「鰭崎英朋展」へ行ってきました。何年か前に新聞で小さく特集されたのを読んで以来、僕は鰭崎英朋という挿絵画家が好きになり、今回の展覧を昨年から楽しみにしていたのです。昨今、泉鏡花の集成本「続風流線」の挿絵に見られるような妖艶かつ粋然な画風や、生涯「挿絵一筋」として画家人生を送ったことなどが再評価され、じわじわとその存在が再浸透してきているようです。

純文学以外の家庭小説や探偵小説が当時の文壇で「文学」と認められなかったように、当時の明治~大正という時代において、挿絵画家もまた「画家」とは認められなかったといいます。日本画研究会「烏合会」の仲間であり、ともに挿絵界を牽引していた鏑木清方は、その後、本格的に日本画家へ転向し大成するや、その名を今に残すこととなったものの、挿絵一筋に生きた鰭崎英朋の名は、挿絵衰退の流れに飲み込まれ歴史の谷に置き去りにされることとなります。なぜ、彼が挿絵一筋に生きたのか。そういったことに興味を覚えてくださった方は、ご自分の眼で弥生美術館まで足を運んで確かめてきてくれるのではないか、と期待しております。

本来ならば、荒涼とした谷の合間の、まるで月の世界のような何もないところでその存在を思い返されるでもなく、ただ時の過ぎ行くのを当たり前のように思い返すだけであったかもしれない鰭崎英朋という人物に、唯一、光明を差し込ませるにいたったものがあるとすれば、それは泉鏡花という存在であったことは間違いないと思います。事実、僕も泉鏡花ファンであり、たまたま新聞で鏡花の文字を見つけたところ、記事の核心が「鰭崎英朋」であっただけ、という幸運に恵まれた結果に過ぎなかったほどです。

我々が目にする再編集/再語訳された現在の明治~大正時期の小説に、かつては挿絵が挟まれるのが通例だったことを考えると、なんとも不思議な感じがします。例えば、英朋が描いた泉鏡花の小説「愛火」の口絵なんかは、間違いなく現代語訳された今のものにも残したほうが、より一層の世界観の広がりをみせると思うのです。泉鏡花の世界観は好き嫌いがはっきりわかれるところだと思いますから、挿絵を加えることによって、少なからず苦手意識を和らげる効能はあると思うのです。特に、英朋の描く絵の雰囲気は、まさに鏡花の小説の世界にピッタリなわけですから!! 現代語訳にしてくれるのは大変読みやすく助かるのですが、“当時の雰囲気を残す”ということにももう少し気を配れないものなのかと思ってしまいます。

先ほど、鏡花と英朋の相性はピッタリだと書きましたが、それもその通りで、二人には「大の幽霊好き」という共通点があったようです。極度の潔癖症の鏡花と仲良くなるというのは、よほど他の部分で感性が合わないと無理でしょうから、その幽霊好きたるや相当のものだったのでしょう。現に、英朋は「あそこには幽霊が出るらしい」と噂の立ったところには必ず訪れていたといいますし、墓地の隣に引越しをしたということも伝えられています。鏡花の幽霊好きに関しては、“語るに及ばず”でしょう(作品にいっぱい登場しているからね! みんなも読んでみてね!)。
さらに個人的には、英朋と鏡花は女性観も似ていたのではないかと思われます。看板絵や挿絵などで女性を描く機会の多かった英朋は、女性に対して独特の捉え方がありましたし(襟足が重要らしい)、鏡花も「婦系図」「女客」や「国貞えがく」などで見られるフェミニストっぷりから察するに、双方ともに“女性を立てる”という価値観でも近いところがあったため意気投合したのではないかと。

ちなみに、英朋の師である右田年英は、あの月岡芳年の弟子にあたります。そして芳年の師匠が歌川国芳ですから、英朋もまた異形の妖怪・幽霊画家としてのDNAを引き継いでいたわけです。そんな英朋が描く幽霊画が一点ほど弥生美術館にも展示されていたのですが、クソ巧くてひっくり返りそうになりました。しかしながら、「これ君にあげるよ」とプレゼントされたら、全力で「結構です」と断るくらい気持ち悪いものでした。
僕が鑑賞したものとは違うものですが、泉鏡花の自宅に英朋から贈呈された幽霊画が飾ってあったらしく、鏡花の奥さんは「お願いですから、あの気持ち悪いの外してくれませんか…」と懇願していたという話が残っているそうです。ですが、鏡花は「絶対に外さん」とずっと飾っていたといいます。奥さんの気持ちが痛いほど分かります。

そんなわけですから、鰭崎英朋の絵は、まさに泉鏡花の世界と肝胆あい照らす、水魚の交わりだったのです。ちなみに、三遊亭圓朝大先生も大の幽霊好きで名作怪談をたくさん残しております。圓朝や鏡花の世界観を、幻想的かつ写実的に撮ることができたのは、後にも先にも巨匠・中川信夫くらいしかいないのではないかと思うくらい、「真景累ヶ淵」「牡丹灯篭」などは傑作だと思われます。ですが、中川信夫は特に幽霊好きだったというわけでもない(詩が好きだったため、形而上の世界に非凡な才を発揮できたのであろうといわれている)のを考えると、幽霊好きという相通ずる共通点があったことも確かに大きいのでしょうが、それにも増して“同時代に泉鏡花という存在がいた”その一点のみが、幽明線上にいた鰭崎英朋を現世に引き戻し再発見させるにいたった幸運と呼んでも差し支えないのかもしれません。

日本画家としての才能を発揮しつつ、その一方で挿絵というきわめてイラスト的な絵でなければならないという異型の画家・鰭崎英朋。存在そのものが幻想的な画家でしたから、弥生美術館を後にして、谷中で墓参りをしているときには、東京の古今を体感しているようで、とても不可思議でした。その後、散歩がてらに根津~千駄木界隈を廻って、ここに来たときはよく行く蕎麦屋で蕎麦を食うなど谷根千をブラブラと。幻想的な気分が抜けることはなく、せっかくだからと湯島天神で鏡花気分を味わって帰る頃には、やっぱり明治の小説は面白いなぁと思うばかりでした。

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2010年1月5日

青い肌の乙女

よっつ2010ですこんばんは。

「亜麻色の髪の乙女」って曲が大好きで、カラオケで女の子に歌われるとイチコロ率8割を超える位好きなんだが、そんな話は関係無く、「アバター」を正月観に行ったお話。
「昨今主流になりつつある3D上映の本命であるこの作品を観て3D元年を迎えよう」と言う友人・翔太の呼びかけで友達と府中に集まり、鑑賞した。


結論から言うと、最後に観た3D映画が「スパイキッズ3D」という事を差し引いても、やはりこの技術力は凄まじい。もう3Dである事が当たり前の世界という事が一番凄い。
だが、思いもよらない辛さを感じる箇所がひとつあった。
特に最初の1時間にそれを強く感じていたのだが、「キャメロンの遠近感を強いられる」という点が非常に辛かった。

僕は映画において、24コマ信望者である。何故そうかと言われれば、不足したコマ、つまり情報は観る人が想像する最良の1コマで補えるからである。
別にコマ数の問題ではない。アニメなら最低15コマな上に、デフォルメという形で余計な情報が削がれている。
こういったフォーマットの話でなくても、例えば物語の構成ならば、尺の中で映画は登場人物達の時間を自由に切り貼りし、全ての時間を提示するわけではない。「シェーンが馬に乗って去った後、忘れ物を取りに帰って来たら」興醒めだし、その仮定は「馬で去る瞬間」を最後にする事で存在を消されている。

こういった諸々の要素で映画は成り立っているわけだが、最近になって初めて現れたこの3D、奥行きという要素を高い技術力で追求するとどうなるのか。
それが僕の感じた、今までとはまた別の「不気味の谷」ではないかと思うのだ。
よしんばキャメロンが主観を徹底的に排した、数学的な画面設計をしていたとしても、デジタル放送の女優の小皺の様にそれは浮かび上がってくる。
おそらく誰もがこの技術を意のままに扱えたとして、同じ風景を描いたとしても、そこには描いた人の数だけの別の世界が広がる事になる。

勿論それは当たり前の話で、アニメなら「絵柄が気に喰わない」、映画なら「物語が気に喰わない」等、ありふれた出来事だ。「センスが良い/悪い」という評価の真の意味は「センスが合わない」という事実と同じだ。

そして以上の僕の3D描写に関する評価も主観に塗れたものであり、僕は変な趣味と言われる事も多いし、大多数の人にとっては問題無いものだと思う。巷のアバター評を見ても技術に対しての評価が多いのも自然な事だと思う位、やはりこの技術は凄い。
映画の日で1300円で観たのだが、技術だけで1000円の価値はある。
まあ逆に物語は300円というか、「ポカホンタス」と「攻殻機動隊」と宮崎アニメをミックスして、911テロ以降のハリウッド映画の例に漏れず、女遊びしまくった演歌歌手が女の気持ちを歌い上げるみたいに自らの侵略の歴史をなぞる感じで、驚きは特に無い。
「もう僕はずっとmixiにログインし続けて人間辞めます」みたいなラストが新鮮と言えば新鮮だが、あの自分勝手な主人公にはそれ位の落とし前は着けてもらわねばむかつくだけだったし、まあ、技術だけでこれだけ腹一杯なので、物語まで斬新過ぎると正直ついて行けなかっただろうから丁度良いんだと思う。



さて、ここまで多少ネガティブな感想を書いたが、つまり、ここまで考えを至らせる3D映像は今まで無かったという事が言いたかったのであり、そういう意味ではこれは映画じゃない気がする。強いて言うなら万博のアトラクションというか、それでもアトラクションよりは一歩先に進んでいるのだが。

あるいは「発明」なんだろうか。
多分映画が発明された時、こんな感じだったんだろうなあという体験をさせてくれる映画、だからこそ映画ではないというか、もう「アバター」の中に映画が含まれているという感じだ。
大げさかも知れないが、これを観て人生変わる人は居る気がする。
この先こういった方式が主流になったとしたら、確実に「今までの映画には戻れない」という作品が現れるだろう。それを作るのはこの「アバター」を観て影響された作家かも知れないし、3Dを見慣れた観客が自分の解釈の中で作り出すのかも知れない。
それを引き起こすパイオニアになるであろうキャメロンは、それがウィリアム・キャッスルみたいな位置に過ぎなかったとしても、映画史に名を残すのは決まったようなものだ。
最初に書いたように「3Dが当たり前になる」時代の、その歴史の始まりを目撃したいなら、必見。
そして明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。



(以下、これから観に行く方への小ネタ)

・僕らが行った劇場の3D映写の方式は「XpanD」という方式らしく、3D映写は安定している(首の角度等に影響されない)ものの輝度が著しく下がる方式らしいので、こだわる方は劇場に問い合わせるなり調べるなりした方が無難です。

・「XpanD」方式では、眼鏡の眉間に3D描写に関する信号を受け取るレンズが付いており、眼鏡の位置を直す時にそこを塞ぐとスクリーンに映写されたままの映像(ぶれた映像)になってしまうのでご注意。

・技術の限界で仕方無いとは思いますが、例えば飛び散る火の粉が立体的に飛び出して見える箇所も、スクリーンの端で唐突に消えてしまい、それを見ると箱庭感が凄くて興醒めなので、できる事なら視界がスクリーンで埋まる様な席がベストと思います。

・あと一緒に観た友達の間で持ち上がった話では、「シガニー・ウィーバーのワカメ酒」的なシーンで「ハリウッドの厳しい契約事項」という嫌なリアリティが飛び出して来るとの事だったので、ご注意下さい。

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2010年1月2日

2010年 or Not

明けましておめでとうございます。工房員の我妻です。
みなさん、素敵な初夢はご覧になれましたでしょうか??

僕は、『列車内に持ち込んだお気に入りの一張羅の服(そうです“1軍”と呼ばれている服たちです)が全て盗難に遭う』という初夢を神様からプレゼントされました。ジュラルミンケースの中に服を入れるも、特急『シナノジ(信濃路)』なる架空列車の中で盗難、そしてパニックとなり、たまたま居合わせた鉄道専門誌の編集長と共に犯人探しをするという初期クローネンバーグを彷彿とさせるB級感バリバリの内容でした。途中、鉄道専門誌編集長が豪華客船の写真を眺めながら、
「じゃなきゃ、グレート・ムタがいるわけねぇもんなぁ」
と呟くシーンがあったのですが(ムタは夢にはいっさい登場せず)、夢から覚めるやそのことを思い出し、自分自身でそのあまりの不可解さに大爆笑してしまいました。
と同時に、これが悲しいかな…今年の初笑いとなってしまいました。
キチ●イじみていた己の初夢の内容で初笑いをしてしまう、という低俗極まる自己完結型バタフライエフェクトを体験してしまったことに若干の恐怖を覚えている次第です。僕が見たキ印の初夢は、地球の裏側でイナゴの大量発生・カニの大量死滅といった天災をもたらすわけでもなく、ただ単に“寝起きに思い出して自分で初笑い”というエフェクトしかもたらさなかったことを考えると、2010年は早速、霧の中に迷い込んでしまったのではないかと心配になってきます。『2001年宇宙の旅』ならぬ、『2010年霧中の旅』の幕開けです。誰か僕を誘導してください。そんなアナタを『2010年夢中のナビ』役に任命します。

といっても、年明けを難しく考えてはいません。所詮は、形式的イベントにしかすぎません。
今から4年くらい前だったでしょうか。
大晦日に格闘技のイベント(『PRIDE』だったかな)をさいたまスーパーアリーナまで見に行き、そこで選手と観客みんなでカウントダウンをするというようなことがありました。早期決着の試合が多く、その日の興行は時間的に“巻き”の状態が不運にも続いてしまい、22時ちょっと前にはメインイベントも終わってしまうという予期せぬ事態となっておりました。カウントダウンまで残り約2時間……出玉が出尽くした状態からいったい何をして時間を潰せというのでしょう。このような試合運びも考えられたでしょうから、時間配分に柔軟性をもって対応できなかった明らかな運営ミスである、と会場はザワつき始めておりました。そんななか、喧騒を打ち消すようにイノキボンバイエのリズムが粛々と流れ出したのです。

「アントニオ猪木は、この日すでに2回ほど登場しているから、さすがに今更猪木で時間を潰そうにも無理があるでしょ。『元気ですかーッ!!?』もすでに2回いってるし。何度確認すんだよ」

誰もがそう思って猪木のリングインを見届けると、猪木はまるでゲティスバーグのリンカーンよろしく威風堂々こう話し始めました。

「今日はみんなありがとうーーーーッ!!! ところで、俺の頭の中では時計が2時間進んでいる。そろそろ年を越そうとしているんだ。ムフフフッ。そういうわけで行くぞッッーーーッ!! 10! 9! 8!…」

と、大フライング&強制的に観衆3万人が猪木と共にカウントダウンをさせられ、「…2! 1! おめでとうーーーッ!!」と猪木が叫ぶや(僕の時計では 22:15頃だったのですが僕の錯覚なんだと思います)、パーーンッ!! という室内花火の轟音に加え、大型スクリーンには『新年明けましておめでとう』の文字がエゴイスティックに打ち出され、大量の紙吹雪&バルーンが天井から降ってくるという、どこからどう見ても盛大な24:00:01の光景が繰り広げられていたのです。もちろん、BGMもNEW  YEAR感バリバリの選曲で、いったい自分が何をしているのか本当にわからなくなったほどでした。
(ご指摘の通り、“僕自身が何かを必至に自分に言い聞かせていたことだけは分かっていた”、それだけは自白させていただきます)

15分ほどで猪木暦の年越しイベントは終了し、帰路につくためにホームで電車を待っていると、間違いなく赤羽行きの電車は23:●●と電光を反射させていたように思いますし、駅ですれ違う人たちも今からまるでカウントダウンをするかのようなテンションで街に消えていったのを記憶しています。
先ほど年は越したじゃないか。もう終わっているというのになんてバカげた行為をする気なのだろう! どれだけ節操を失くしたら、年越しカウントダウンを2回もすることができるのだろうか!! 
帰宅途中の京王線の車窓から一瞬だけ見えたホームの屋根から釣り下がった時計の長針と短針が、12という数字の上に同時に覆い被さっているのを見たか見ないかの刹那、僕は泳ぎきり疲弊し尽した双方の目に自分の両手を被せました。僕は覆うことに成功したのです。
「どうだ、僕のほうが被せるのが早かったんだゾ」。


年明けになんの意味があるのでしょうか。あれ以来、もうよくカウントダウンだとか新年だとかの意味はわかりませんから、区切りは自分の誕生日だけと決めています。数字の上では、どうやら09から10になったとのことです。僕にはいつ明けたのか分かりませんでしたが、今がもし本当に2010年なんだとしたら、先に書いた初夢は、まさに悪夢としかいいようがありません。

抱負なんかもありません。2010年は、『ワールドカップ南アフリカ大会において三浦知良選手が代表メンバーに選ばれる』ということさえ叶えば、あとはどうだっていいと思っています。
カズに新陽が昇ってくれるのならば、2010年は本当になんだっていいと、僕は思うのです。しいていえば、それが僕の抱負です。

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