2010年2月19日

vancouver olympic

早いものでトリノから4年が経過しました。
4年前のトリノでは、カーリングに大ハマリしてしまい、Youtubeをはじめ、方々でネタ探しに明け暮れておりました。
そんななか見つけたのがコレでした。



『人間はハマってしまうと、こんな物騒なものにまで行き着いてしまうのだなぁ』と、今の自分が過去の自分に警鐘を鳴らしている次第です。
ボードの点数が66666…(number of the Beast)ではなく、なぜ8並びなのかイマイチ理解できませんが、久々に「正統派バカメタルPV」を見た気分で、とてもほっこりしたのを覚えています。

そんなスウェーデンチーム。デュポン姉妹擁するデンマークに勝利するなど、調子はなかなかのようです。PVでノリノリのアンナさんも健在のようで、日本チームとの対戦がいまから楽しみです。
METAL IS FOREVERとはよく言ったもので、スウェーデンチームの面子が、4年前とほとんど変わっていないというのも色々な意味で驚きです。 

“氷上のチェス”などと知的なイメージが先行しがちのカーリングですが、意外とBurning!Burning!だったりしますので、みなさんもご覧になっていただければ幸いです。
説明するまでもなく僕はスウェーデンチームを応援しているため、スウェーデンチームを中心としたプログラム構成の民放キー局が、ある日突然空から降ってくればいいなぁと願ったり願わなかったり。
そんなバングーバーの日々が続いております。

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2010年2月17日

跳躍7次元

よっつです、こんばんは。


●被写体の輪郭のエッジがぎざぎざにならないよう、鏡に映して撮影する。
●ブラックミスト等、各種フィルターを使って光を散らす。
●カメラの前にガラスを1枚用意し、ピントを合わせたいもの以外が映り込む範囲にワセリンを塗って劇的なフォーカスを生み出す。
●暗部を引き締めるために銀粉を塗した黒いスクリーンに撮影素材を投射したものをさらに撮影する。


以上はデジタルビデオで如何にフィルム撮影的な画を得るか、という目的で、金の無い学生時代に見知ったひと工夫の数々だが、慎ましい努力を無にするどえらい奴が現れてしまった。


Canon EOS 7D



このデジタル一眼レフカメラにはおまけ機能でHDで動画の撮れる機能が付いているのだが…。
噂には聞いていたがとんでもない代物だ。
おまけの域を超えている。
最近のお仕事でよく触らせてもらっているので、先日行ったカメテスの画像を載せてみますが…。



どうですかこの後ろのボケ具合。怖ろしい事に被写体のづけしからの距離は2mも離れてないのです。









因みにこの画像は興奮の余り加工した画像で、特に意味はありません。

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2010年2月8日

怪物

こんばんは。工房員の我妻です。

珍獣って、響きが面白いだけです。やっぱり「珍」の要素を動きやら態度やらで示してこそ、珍獣たる面白さがあると思うのです。珍獣といわれる動物が、ピクリとも動かなかったら、やっぱり興味が殺がれちゃうわけでしょ? 

むかし、リットン調査団のトークライブを見に行ったとき、そんなことを思った。普段、舞台で「シャイニングウィザード」とか「鶴田のニー!」とか飛び跳ねている人たちが普通に喋っているのを見たとき、物凄い違和感を感じてしまったのです。まったく動かない。珍獣は、動かないとただのアニマルだということに気が付いたのです。止まっていても成立するのは、そりゃ動物じゃなくて実は怪物なんだよ。

余談開始。
でも、トーク中の2時間、水野さんの左手がずっと震えていたのには好感が持てた。あれはセブンセンシズだった。ピンクフロイドの「ザ・ウォール」なんかを、あの震えと合わせてかければ最高の興ざめになるはず。舞台で震える人なんて嫌いだけど、舞台で震えない人間はもっと嫌い。
余談終了。

少し前、怪物を見た。
それはゾウでした。2月3日のこと。岡山市の池田動物園が、飼育しているゾウの「メリー」に恵方巻きを食べさせるというnews映像を見たときのことでした。その恵方巻きは、トウガンの中にシャリに見立てたサツマイモと、小松菜、ニンジン、バナナなどを入れた“2本で重さ10キロ”もあるゾウ用としてこしらえた特製のものだった。断面部分を見ると、粉々にされ散りばめられた彩り豊かな野菜が、我々が食す恵方巻きと同じようなデザインになっており、たしかにそれは恵方巻きとして遜色のない出来栄えを誇っていた。

丁寧に飼育員が、ゾウを西南西の方角に誘導し、あの長い鼻に特製恵方巻きをクルクルっと巻きつかせて、口に運ばせようとしていた。
だけど、刹那にゾウは恵方巻きを足で踏み潰すや粉砕し、地べたのうえで残飯状となったそれをムシャムシャと食べ始めてしまった。もちろん西南西なんか向いてやしない。

こいつは怪物だ、と僕は映像を見ながら思った。

「引越しのご挨拶に伺いました」と、新たに隣に居を構えることになったお隣さんから、挨拶がてら粗品を渡された瞬間、それを足で踏み潰し、箱から飛び出た何かしらの物質を凝視しつつ『わざわざお心遣いありがとうございます』と挨拶したらどうなるだろう。
どんな形であれ、“奥様は魔女”ならぬ“隣人は化け物”というソープオペラが幕を開ける。

ゾウに恵方巻きという人間の文化を押し付ける光景。口に運ぶ気配すら見せず、いきなり足で冬瓜を粉砕するゾウの動物本来の凄さを見たとき、やはりゾウは怪物なのだなぁと畏怖を感じてしまった。

カズ三浦カズ「人間も動物ですよ」(「日本も世界ですよ」的な)

ならば、ゾウからみれば、無理やりワケの分からない物体を鼻に巻きつかせられ口に運ばせようとした人間たちこそが怪物に写ったかもしれない。ムシャムシャと残飯を食い散らかす怪物・ゾウと、それを満足そうに見つめる怪物・飼育員さんたち。その中間に、バラバラと散乱する野菜たち。あれは、まるで中国とアメリカに挟まれる日本?! 気が付くと、そこには政治的ポンチ絵が完成していたのでした。

享保13年。
長崎から2ヶ月かけて江戸までゾウを連れてきたとき、東海道には多くの見物人が訪れたという。京都を通過する際には、天皇にお目通りすることとなり急遽、ゾウに従四位が贈位された(無階ではお目通りができないため)。歩いていただけなのに、従四位。ちなみに石田三成も従四位。

カズ三浦カズ「人間も動物ですよ」(「日本も世界ですよ」的な)

色々あるが、春先にゾウを見に行こうと決めた。そんな日記です。

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2010年2月2日

ゆきゆきて

どうも、よっつです。 

最近は割と大きな仕事でばたばたしているのだが、1日が運良くスポッと空いたので、ピーター・ジャクソンの新作「ラブリー・ボーン」を見に行った。
なので順当に行けば映画の感想日記になるはずだが、今日は多分そうならない。

本当は吉祥寺にでも観に行きたかったのだが、雨のせいで渋々新宿へ観に行った。指定席の映画館はあまり好きじゃないのだが、映画の日だから仕方無いか、と自分を納得させた。

映画はペンギンの人形が入ったスノードームにまつわるエピソードから始まり、以後キーアイテムのひとつとして使われていた。
ピーター・ジャクソンらしい幼女殺人鬼の執拗な描写に感心しながら、殺された主人公が死後しばらく、現世と天国の狭間で思い通りの世界で遊んでいるシーンは「俺の作りたかった春のシオンはこういう感じなんだよ!」と悔しい思いをする。
ピーター・ジャクソンはスプラッター界の神であるが、イコールそれはファンタジーの鬼であるという事が、一連のシーンを観れば納得いくはずだ。
ストーリーの進行は、多分この作品は主人公と同じ14歳の少女向けなため仕方無いとはいえ、幼女殺人鬼の最期が天罰チックなのが腑に落ちなかったが、デレクばりの崖からのダイブを決めるので良しとしよう。

そんなこんなで劇場から出ると、雨は雪に変わっていた。




南国生まれだからか僕は雪を見ると無条件に嬉しい人間で、意味も無く新宿近辺をぶらつく事にした。
「タイムズスクエア辺りえらい事になってる気がする」
根拠も無くそう思い、自分はスノードームの中で満たされた生活を送っているペンギンなのだと思いながら街を歩く。

雪はしっかりした結晶になったり、シャーベットみたいになったりしながら降り続く。極小サイズのレフ板になって新宿の明かりを空気に跳ね返し、いつもはやかましいネオンや看板をやわらかい霞に隠す。

新宿駅南口に着くと、案の定タイムズスクエアの遠近感は雪に狂わされれていて、工事現場の向こう側に本物のタイムズスクエアがあるみたいになっている。時計は青白い、朧ろ気な光で、現在時刻はよくわからない。



家に帰ると、近くの駐車場にはもふもふと雪が積もっていて、写真を撮った後踏んで回った。



そういうわけで、もう良い歳なのににやつきながら夜の街をほっつき回っているうちに、映画の事は頭から飛んで行きました。



「岬には岬の掟雪積もる」―。
(どんな町や村にもある種の掟のようなものがあり、人々は普段それに従って生活しているが、ある日雪が全てを白く塗り潰して、どんな掟も消え去ってしまった)

これは祖父が読んだ句の一首で大好きなもののひとつだが、雪に過剰な魔力を感じるのは血のせいか、土地柄なのか。
多分東北の人とかは定例行事どころか逆に災害として受け止めるだろうからまた違うと思うけど。しかしご当地の災害で言うと台風ですら、死者を尻目にちょっとはしゃいでしまう事は否定できないからやっぱり血なのかねえ。

そんな事を考えながら、明日には欠片も残ってないであろう雪を踏み付け、キシキシと悲鳴を上げさせていた。

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