2005年10月18日

第20回「Hole」

止むことのない雨。原因不明の奇病のまん延。はがれ落ちる壁紙。互いに関わりあうことのないマンションの住人たち。唐突に窓から投げ捨てられるゴミ袋…。蔡明亮(ツァイ・ミン・リャン)監督の描く世界は、他に例えようもないほど奇妙で独特だ。

ストーリーとしては、ごく単純である。主人公の「男」(名前はない。『階上の男』??)はマンションで一人暮らし。そこに、階下の住人「女」から、水漏れがしていると苦情が来る。男は修理を頼むのだが、工事をした人間が床に穴を開けたまま放置してしまう。かくして、男の部屋と女の部屋はひとつの穴によってつながったまま、生活を送る羽目になる…。

この粗筋に冒頭で書いた要素が加えられ、奇妙な様子を呈す。そしてさらに独特さをかもし出すのは、なんといっても時折挿入されるミュージカルシーンだろう。暗く陰鬱な本編とは違い、きらびやかな衣裳に華やかなセット。昔の歌謡曲のような歌。ポップで、どこかエロティックなその世界では、登場人物たちは自身の思いの丈をこれでもかとばかりに唄い、踊る。

このふたつの世界の差と絡み具合は、監督ならではのものと言ってよいと思う。

では、そんな異なる世界を用いて、一種奇抜な手法で物語られるこの作品から何が伝わってくるのか。

蔡明亮監督がその作品に一貫して描くのは、人間の孤独の深さだと思う。

他者とのコミュニケーションを切実に欲しているにも関わらず、それが叶わないとき、人はどうなるのか。登場人物の人間関係が壊れていく/壊れた様を描き、人間の孤独な状態を浮き彫りにしつつ、‘個’となった人間が他者との関係を保つ/持つことがいかに重要かを問うのだ。

そしてそこに描かれる「孤独」は、単なる寂しさであったり、感傷といった範疇には収まらない。安易な感情移入や共感を求めようとはしないし、見るものにカタルシスを与え、解消させようともしない。蔡監督の描く「孤独」は、人を追い詰め、狂わせる。そして狂わされた人間の振る舞いを、時に狂気の沙汰としてシリアスに見せ、また時には滑稽さとしてある種のおかしさを発揮させつつ、笑いを誘うのである。蔡監督は、まるで人間の<飾っている部分>を一枚ずつはがしていくかのように、登場人物を孤独にする。そうすることで、もとから人が隠し持っていたり、心の中に抱えているであろう一面に迫っていくのである。

そこまで徹底して、人間の弱い部分やどうにもならない世界を描く蔡明亮監督だからこそ、私は、この作品にこめられたラストに感動せずにはいられない。

ついに奇病に冒された階下の女。階の上から穴を通してその姿を見ていた男は、子供のように大声を上げ、涙を流し悲しむ。男には助ける術などないのだ。しかし、作品はそこから鮮やかな転換を迎える。女の部屋に差し込む一筋の光。穴から伸ばされる男の手。女は文字通り、その救いの手を伝って、男の元へ…。


たったひとつの穴が、コミュニケーションの壁を破壊するきっかけとして、救いをもたらす。蔡明亮作品の中でも、最もわかりやすくポジティブなラストで締めくくられるこの作品は、そんなコンセプチュアルな作品として見ることも可能だ。しかし、そうした概念的な部分よりも、監督自身が考える一貫した「人間像」を見て取ることができるからこそ、この作品は何度も見たくなるような不思議な魅力をもっているのである。

(蔡明亮 監督/1998年/台湾・フランス/カラー/93min)

#づけし(中村 武史)|づけし(中村武史)|コメント・トラックバック(0)