2007年9月30日第23回「ミツバチのささやき」
「ミツバチのささやき」前知識
といった点がおおまかに挙げられると思う。 ●世界観の広さ、奥深さ この作品の基本軸は、一人の少女の「通過儀礼」、精神的な成長物語といえる。 しかし、そこで描かれる物語は、主人公アナの個人的なエピソードに留まらず、彼女を取り巻く人々の営みや、周囲の環境、土地の持つ記憶、ひいては政治・歴史的な背景を含めた時代性にまで拡大していく。そこに監督の抱く世界観の広さ、深さが見て取れる。 例えば、アナの目を通して描かれるいくつかのエピソードがある。
といったものだが、そのひとつひとつには(アナが)それまで属していた幼い少女(=子供)の世界では気づくことのないもの
との出会いが含まれている。 ひとつの物事、人物を描くうえで、その背後に潜むもの、背景に広がるものの存在が繊細な形で内包されている(≠説明描写)。だからこそ、奥深い、広がりのある作品になっているのではないだろうか。 *その最たるエピソード×モチーフ* 「フランケンシュタイン」と重ねられた「兵士」の存在。 [フランケンシュタイン](映画の中のキャラクター) ↓↑ [村の外れに住んでいる精霊](イザベラの嘘) ↓↑ [ケガをした脱走兵](内戦の残党、兵士) このイメージの結びつきが、物語をいわゆる「不思議な体験談」「ファンタジー」といった全くのフィクションにせず、しっかりと現実の世界に帰納する大人びた視点を持たせているのではないか。 ●繊細な演出 そういった物語の構築の仕方(作品の骨格部分)が前面に出すぎることがなく、 これみよがしな演出、わかりやすい声高な主張もない。丁寧さ、繊細な表現(≠弱さ、曖昧さ、ナイーブさ)というのもこの作品の魅力のひとつだろう。 登場人物(とりわけアナ)の表情、仕草の変化、振る舞いや、アナとイザベラのやりとりの自然さ、父親役の俳優の抑制された確かな演技は見るたびにその都度「発見」がある。 家族全員で食卓を囲む際、父親がアナに時計を見せる場面は、その演出の巧みさがよく現れているシーンのひとつではないだろうか。 時代性を踏まえたうえでの、周囲との環境、人間同士の関係性が自然な形で見て取れるからこそ、ひとつのシーン、場の演出に説得力を感じる。 ●愛情の豊かさ 各キャラクターにむけられた眼差しには、常に暖かさを感じずにはいられない。村の住人ひとりをとっても、そこには何か確固たる存在感がある。 同時に、登場人物の抱える複雑な心情にも注目したい。 父親の寡黙さ、母親の抱える孤独感(内戦の記憶から生まれるものなのだろうか…??)、アナとイザベラ、姉妹の微妙な年齢の差。(自我が芽生え始めた段階のアナと、「女性性」を意識する段階に踏み込んでいるイザベラ) 家族だれをとっても、一面的、紋切り型の人物にはなっておらず、そこには彼らの営みを見つめようとする暖かな視線がある。 ●ロケーションの魅力 ●絵画のように印象的な画作り これはもう作品を見れば一目瞭然…というくらい素晴らしい。
数えあげたらきりがないけれど、この作品を見ると「場のもつ力」の凄さに感動させられる。 ●アナの魅力 奇跡!!…ありえない存在感。 イザベラとのお互いに異なった魅力が、映画全体の印象をも変えるくらいに際立っている。 ○以上、大まかではあるものの、この「ミツバチのささやき」という稀有な作品の魅力について考えてみた。見る人によってその魅力は異なるであろうし、それこそがまたこの作品の、ビクトル・エリセという作家の器の広さ、深さであると思う。 ![]() |